第7話 Have To
ソラ・シーブリーズは剣を振るう。
膨らむような音を立てて炎が拡がった。
眼前の魔物、オルゴイホルホイは火に弱い。ダルモア村では、こいつを見たら火を起こせは常套句になっている。
火。
ユウちゃんの火起こしの手際は見事だった。あれは『ファイアスターター』だろうか。ついつい見入ってしまい、そんな手間をかけなくても魔法で火が起こせると伝えそびれてしまっていた。悪いことをしたかもしれない。
もちろん、この刀身を覆う炎の温度は焚き火なんかの比ではない。
体を癒すのではなく、敵を焼き尽くすための炎。
キィという甲高い声を上げてオルゴイホルホイが距離を取る。案の定、炎を嫌がっている。
「一気に押し切るよ」
剣を握る手に力を込める。
おれは背後を窺った。
尻餅をついたユウちゃんが呆然とこちらを見ている。
しかたがない。レッサーゴブリン一匹にさえ抵抗もできず組み伏せされていたのだ。有用な『パッシブスキル』も『アクティブスキル』も持っていないのだろう。
戦闘の訓練を積んでいない一般人が、オルゴイホルホイと遭遇して怯えるなと言う方が無理がある。
大丈夫だ。おれが守ってやる。
ユウちゃんに、そして自分に言い聞かせるようにおれは心の中で呟いた。
オルゴイホルホイは強い魔物だ。
LVはわからない。敵のステータスを閲覧する方法は限られている。
ただ、体長から察するにLVが一桁ということはないはずだ。
正直、余裕はない。『ヒートクラフト』というアドバンテージを加味した上で、勝率は五分だ。
年に一度くらいの頻度で、村にオルゴイホルホイが迷い込むことがある。その時は
掌に汗が滲む。
「うわっ」
おれの目の前にオルゴイホルホイの頭があった。
思考に割いた時間は数瞬。その隙に距離を詰められた。
速い。
大きく仰け反る。おれの鼻先をオルゴイホルホイの牙が通過した。
危ない。あの牙は猛毒を含んでいる。ちょっとでも掠めれば動けなくなる。
「でも、体がお留守だ」
牙が生えた頭部は警戒すべきだが、胴体は怖くない。
体勢も不充分なまま、おれはオルゴイホルホイの背に思いっきり剣を振り下ろした。
手応えを得る。両断こそできなかったものの、炎をまとう刃は野太い胴の半分ほどまで沈み込み……そこで止まった。踏み込みが浅かったらしい。
ヤバい。抜けない。
当然、熱と傷の痛みからオルゴイホルホイが死の物狂いで暴れ始めた。
「ちょ、待っ、て……っ!」
意地でも剣から手は離さなかった。だからこそ、おれの体は右に左にと振り回され、どうにか刃が肉から外れた。
ただし、反動で体が宙に放り出される。
無防備な対空時間はほんの一瞬、その隙を見逃すことなく振るわれた、大木のようなオルゴイホルホイの尾がおれの脇腹に直撃した。
悲鳴も出ない。吹き飛んだ先にあった樹の幹が砕けた。
《ソラ・シーブリーズ》
《Lv:18》
《HP:789/1080 MP:552/639》
視界の端に浮かぶ自身のステータスを確認する。
一撃でHPを200くらい持っていかれた。さすがに強い。
「おい!」
ユウちゃんが声を張り上げた。
心配させてはいけない。笑わなければ。
「だい、じょうぶ……!」
骨は折れていない。『セカンドラップ』を発動させておいてよかった。
本当は腹を押さえて転げ回りたかったけど、我慢。
ほら、敵は待ってはくれない。追撃がきた。
おれは木の残骸に背を預けたままの姿勢で、猛毒の牙を突き立てようと迫り来るオルゴイホルホイに対し、炎の剣で迎え撃った。
刃と牙が衝突する。耳障りな金属音。
オルゴイホルホイは熱に怯み、身を引いてくれた。
だが、こちらも質量に押されて腕が軋む。『ヒートクラフト』がなければ本格的に歯が立たなかったかもしれない。
「い、った……」
敵との間合いが再び開く。おれは剣を杖代わりに、ゆっくりと立ち上がった。
オルゴイホルホイの牙が紫電が帯びた。
たぶん『サンダーエンチャント』だ。自慢の牙にサンダーカテゴリの属性を付与したらしい。
最初の方針通り、一気にかたをつけよう。
おれは右から左へと剣を振るった。
ばふ、と炎が軌跡に沿って拡がる。火の粉が舞う。
オルゴイホルホイは警戒し、攻めあぐねているようだ。鎌首をもたげ、こちらを見据えている。迂闊に接近しようとはしない。
魔物にも知能はある。だからこそ、この炎熱は危険だと理解している。
だが、魔物には知識がない。致命的な作用を理解していない。
この『炎の槍』は刀剣に炎を帯びさせるだけの魔法ではなく、その名の通り、剣の軌道に合わせて炎が形を変えるのだと。
被我の距離は走って約五歩。
おれは剣を構えた。
左手を正面にまっすぐ伸ばし、柄を握る右手を胸元まで引き絞る。それは、弓を構える姿に似ているかもしれない。
剣を突いた。空気が爆ぜたような噴出音とともに炎が伸びる。
オルゴイホルホイは微動だにしなかった。その頭に、殺傷力を持った文字通りの炎の槍が突き刺さった。
頭部が爆散した。
「よし」
直撃した。
炎が伸びるなんて思ってもいなかったのだろう。
障壁の展開も甘かったはずだ。たぶん、クリティカルダメージだと思う。
だが、頭を失ってもオルゴイホルホイはまだ暴れていた。
すごい生命力だ。脳みそどうなってんの?
とはいえ、目か鼻か、敵を感知する術を封じられた木偶の坊を切り伏せる作業は容易い。
おれはオルゴイホルホイに近寄り、剣を滑らせた。
三回目の剣戟でやっと動かなくなった。
「……ふう」
おれは息を吐き、緊張を解いた。
個人的な評価としては辛勝だが、損害だけ見れば圧勝か。『ヒートクラフト』の鍛錬を積んでいてよかった。おかげでこちらの怪我は軽微だ。
振り返ると、ユウちゃんはまだ固まっていた。
脅威は去ったというのに安堵の色は見えない。
目を見開き、オルゴイホルホイの死体に視線を注いでいる。
恐怖で思考が強ばり、魔物が息絶えたことさえ認識できていないのだろうか。可哀想に、よっぽど怖かったのだろう。
おれがなにか声をかけようとした時、やっとユウちゃんが口を開いた。
「そいつは食えるのか?」
「食えないよ」
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