第6話 炎の槍
「う、うるええぼろろろろろろろろろろろろろろろろろ」
ソラが川で吐いている。
「むう……」
おれはレッサーゴブリンの串焼きを見つめ、唸った。
人糞のような臭みの肉だ。
白ワインとヨーグルトとはちみつに長時間浸し、その上で七十二時間は煮込み、出汁はすべて廃棄し、徹底的にスパイスで味を上書きし、カレーに突っ込めばどうにか食えるかも、といった味だ。
半泣きになりながらソラが叫ぶ。
「言ったじゃん! だから言ったじゃん!」
「これは食えないな。埋めよう」
おれは串焼きを焚き火の中に放り入れた。食べ物を粗末に扱うことは嫌いだが、うん○の味がする肉を頬張る趣味もない。そもそもうん○は食べ物ではない。
「だからゴブリンを食べるなんて反対だったんだ。こんな見た目した魔物が美味しいわけないんだって……」
ソラが川の水で何度も口をゆすぎつつ、恨めしげに言った。
魔物。
レッサーゴブリンを指すらしい。おれが暮らしていた生活圏では馴染みのない単語だ。生物のカテゴリの一つということなのだろうが……。
ここは本当に、おれの知る世界と同じ世界か?
「……ばかばかしい」
頭を振って、くだらない考えを捨てる。同時にレッサーゴブリンの味も忘れる。
「さて、これからどうするか」
「一緒におれの村に行こう。……うぷっ」
嘔吐きながらもソラが提案した。おれの村、とはダルモア村のことか。
「ユウちゃんが最終的にどこに行きたいのかはわからないけど、見た感じ、たぶん物資も情報も入り用だよね。なにか提供できるものがあるかもしれない。おれの家でよければベッドもあるし、しばらく滞在しても構わない」
「……ふむ」
ソラの発言を反芻する。
いくらなんでもお人好しが過ぎる気がする。
常識的に考えて、メリットもなしにここまで親切に振る舞うわけがない。その笑顔の裏に、なにか別の狙いを隠しているのだろうか。
いや、こいつはどうにも頼りない。
運動能力はあるのだろうが、いかんせん生存能力が欠落している。一人では村までたどり着けないと判断し、単純におれに同行して欲しいだけかもしれない。火の起こし方さえ知らないほどポンコツなのだから。
その見返りとして一定の謝礼をすると申し出ていると考えれば、不自然な提案ではない。
ここは素直に頷いておこう。
「助かる。ありがとう」
「いいよ。困ってるんだし、当たり前だ」
ソラは笑顔を崩さなかった。
そうと決まれば、支度だ。
雑巾みたいにぼろぼろだったおれの服は廃棄することにした。川で洗ってはみたのだが、どうがんばっても煤と血が落ちなかったからだ。
だから、けっきょくソラの外套はこのまま借りておいた。
身長差から裾を引きずることになってしまうが、それはしかたがないとしよう。あと股間がとてもすーすーする。
裸足はあまりにも危険なためブーツだけは回収しておいた。
レッサーゴブリンの残骸は深く掘った穴に埋め、焚き火は崩して土をかける。ソラが持っていた水筒に川の水を汲んでおいた。
いざ出発。その時だった。
「魔物だ」
ソラが呟いた。
草を掻き分ける、ガサガサとした目立つ音。隠そうともしていない。
その襲撃者はまっすぐにおれとソラの眼前に踊り出た。
《オルゴイホルホイ》
《LV:18》
それは、ミミズだった。
赤みがかった胴体に黒い頭。鋭い牙が二つ覗いている。
凶暴そうなミミズといった風態だが、サイズが尋常ではなかった。
人間二人を飲み込んでもまだ余裕がありそうなほどに野太く長い体躯がうねり、足元の枝をパキパキと踏み潰していく。
「……は?」
おれはぽかんと口を開けていた。
待て。ちょっと待て。
こんな、アナコンダみたいな大きさのミミズだと?
生物学的にあり得ない。ミミズがこのサイズまで育つわけがない。
レッサーゴブリンのように、おれが知らない固有種で誤魔化すことのできる存在ではない。明らかにおれの知らない法則が働いている。
一体なんなんだ、この国は。
「オルゴイホルホイだ。不味いな、昨日の雨で土の中から出てきたのか」
苦々しげにソラが言う。
「こいつはエンゲルシュ島の固有種なんだ。……知らないよね? 毒を持ってるし、簡単なサンダーカテゴリの魔法も使う。とても凶暴だ。さっきのレッサーゴブリンとは比べものにならないくらいの強さだと思っていい」
「……なに?」
魔法? 魔法と言ったのか?
トラストン王国における常識を知らないおれに対して、おそらくソラは親切心から目の前の化け物ミミズの解説をしてくれた。だが、その補足を理解するに必要な、前提となる知識をおれは持っていなかった。
魔法を使う? 強い? このミミズが?
《オルゴイホルホイ》
《LV:18》
《HP:1346/1420 MP:285/290》
《攻撃力:430 防御力:199》
《魔法力:118 敏捷力:350》
視界の端にポップアップウィンドウが開いた。
レッサーゴブリンの時と情報量が違う。条件がわからない。
「下がってて」
剣を抜いたソラが、おれを一瞥し、庇うように前に出た。
その瞳から哀れみの色が見て取れた。
気が強そうに振舞ってはいるけれど、やっぱり戦闘の素人だ。怖がるのも無理はない。おれが守ってやらないと。そう言っているように感じた。
悔しいが、おれは身構えたまま動くことができなかった。
恐怖よりも混乱の方が大きい。理解できないことだらけだ。『レファレンス』のことも、規格外の軟体生物も。
そして、ソラの呟きも。
「『セカンドラップ』」
《アクティブスキル発動:セカンドラップ》
ソラの発声に一拍遅れて『レファレンス』が口を開いた。
ヘルプ機能が働いた理由は知らない。レティクルはまだミミズを捉えている。
ソラの全身が赤く輝いた。色の薄い炎のようにも見えるそれは、仄かな温かさと明るさを帯びている。
そして、
「――騎士の刃が東を向く時、火が熾こる」
ソラはなにを喋っている? その言葉はなにを意味している?
「――鼓舞の声、戦塵、鋒」
意匠の凝ったソラの両手剣が掲げられ、その先端がミミズを向いた。
「――前を向け」
聞こえた言葉は、そう、まるで魔法の呪文を思わせた。
その音律に合わせるかのように、ソラの持つ剣の刀身が炎をまとった。
彼の体を覆う赤とは違う、生物を殺傷するに値する熱量を持った激しい炎。
「『炎の槍』」
《アクティブスキル発動:ヒートクラフトLV5『炎の槍』》
その現象は、おれの混乱にとどめを刺した。
剣が燃えた。
なんのギミックだ。どういう仕掛けだ。
仮に液体燃料や発火装置の機構を剣に組み込んだとして、こんな、ガソリンをぶっかけたかのように荒々しい炎を吹けるものなのか?
おれは尻餅をついた。
「……嘘だろ」
やっと理解した。
この国は、この世界はおかしい。
おれの知る世界とは違うのだと。
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