第4話 火
「ありがとう」
おれは礼を言った。
ソラが外套を貸してくれた。
フードのついた、丈の長いデザインだ。茂みの中に荷物と一緒に隠してあったらしい。
おれが外套を羽織る間、ソラは『嘘だろ……』『腰とかお尻とか……声だって完全に……』とぶつぶつ呟いていたが、面倒なので無視しておいた。勘違いをする方が悪いと思う。
「えーと、ユウちゃん?」
ちゃん付けをするな。
「……なんだ。こっちを見るな」
「なんでそんな口が悪いの。その見た目で」
「悪かったな。生まれつきだ」
「あと、なんで髪伸ばしてるの? それは詐欺だよ」
「切るのが面倒なだけだ」
おれはつっけんどんな反応をした。
自分の見た目については自分が一番よく理解している。
昔から性別を間違われることが多かった。男らしい言葉遣いを心がけ、髪を短く整えて、それでも女に見られた。
だから外見に関して頓着することを諦めた。なにをやっても一緒だ。
「さて」
まだ体の芯が冷えている。やっぱり火を起こしたい。
村が近くにあると聞いた。
あるいはそこに行けば暖房設備が……どうだろうか。
おれは不躾にソラを眺めた。
服にしても装備にしても、彼を取り巻く文明のレベルにどうにも劣りを感じてしまう。だから、近くの村――ダルモア村とやらのインフラにも期待ができない。少なくともどの家庭にも電化製品が常備されている水準にはないだろう。暖炉くらいはあると信じたいが。
まぁいい。どうにでもなる。
たしかに問題は山積みだ。
聞いたこともない土地、見たこともない生物、頭の中に響く謎の声……わからないことだらけで、これからどうしようという不安はある。一方で、冷静に頭を回すこともできていた。
きっと、状況が逼迫していないからだ。
レッサーゴブリンと対峙した時はもちろん焦りを感じたが、イノシシにせよクマにせよ、危険な生き物はどんな場所にでも生息しているものだ。
元々、半生のほとんどを田舎で過ごしてきた。
駅も商店もない、ケータイの電波すら怪しいド田舎だ。
コンクリートの道路よりも未舗装の悪路を練り歩いた経験の方が多い。近所の山なんて庭みたいなものだった。貧乏だったこともあって、薪や山菜、小動物を得るために否が応でも自然と向き合う必要があった。もちろん危険な目に合った回数なんて一度や二度の話ではない。
だから、たとえ見知らぬ森に裸一貫で放り出されようとも、一週間くらいであれば苦労なく生存できる自信があった。
あれもこれもと考えるから混乱する。
火を起こせば体温も取り戻せるし、川があるから水も問題ない。食糧も、まぁなんとかなるだろう。
その先のアクションについて悩むのはそれからだ。
ちらりと、首を失ったレッサーゴブリンの死体に視線をやる。
あれの正体も後で考えよう。
「ナイフがあれば貸してもらえないか」
ソラに声をかける。きょとんとしてから、彼は、
「あるけど……なにに使うの?」
「火を起こすんだ」
受け取ったナイフは、革のシースに収まっていた。
木製の鞘を握り、引き抜く。鉄製の刀身が鈍く輝いた。年季の入った意匠だが、よく手入れがされている。
おれは近くの樹に歩み寄った。
《シロノキ:紙状に剥がれる白い樹皮と、まっすぐに伸びる幹が特徴の高木。幹の太さは50〜100センチ。高さは15〜30メートルに達する。明るい場所を好み、成長が早い。樹液には肌の保湿を促進する効果があり、化粧品として利用される。トラストン王国に広く分布する 》
無機質な声で『レファレンス』が述べた。
触れてみると表面はざらざらとして乾燥しており、一部がささくれ立っていた。手で毟れそうだ。
ソラが戸惑った様子で言う。
「えぇと……さっきも言ったけど、火打ち石は落としたんだ」
「そうだな、さっきも聞いた」
周囲は知らない植物だらけ。
それでも触ったり折ったりすれば、この手のものはこうだったという経験からなんとなく性質がわかる。
「……なにを見ている」
おれはソラの視線に気づいた。こっちを見つめている。
心配そうな、それでいて興味深そうな、そんな顔だ。お前みたいな子供に火が起こせるのかと、そう言われているような気がした。
おれが顔をしかめると、ソラは慌てて取り繕った。
「いや、その。なにか手伝えることはあるかな」
「……薪を頼めるか」
「それくらいなら」
ソラは意気込み、手頃なところに生えている木の枝を握り締めた。
「待て。折るつもりか?」
「え、そうだけど」
「生木は使うな。煙が出るし燃えにくい」
「へぇ。詳しいね」
「お前、火打ち石でなにを燃やすつもりだったんだ」
「いやぁ、なんか雰囲気が出るかなと思って持ってきたはいいんだけど、実は使ったことないんだよね」
呑気に笑うソラを見て、おれは呆れ顔を浮かべた。
じゃあ最初から素直にライターかマッチを持ち歩いてくれ。こっちだってこのやり方は面倒臭いんだ。
おれは辺りの地面を指し示し、
「地面に落ちている枝を持ってきてくれ。折って乾いた音がすればそれでいい」
「う、うん。任せて」
森の中に入っていくソラを見送り、おれは溜め息を吐いた。
◆
「ユウちゃん、本当にできるの?」
その三十分後。
ソラは心配そうにおれを眺めていた。
彼の足元には大小数十本の枝が転がっている。これだけあれば焚き火の薪として充分だろう。二時間くらいは燃えてくれる。
「黙って見ていろ」
ソラが薪を拾い集めている間、おれは火起こしの準備を行なっていた。
用意したものは、細く薄い板状の木と、1メートルほどの長さの枝。それとシロノキから剥ぎ取った紙幣サイズの樹皮だ。
「そんなんじゃ火は点かないと思うけど……」
半信半疑といった様子でソラが言う。
「黙っていろと言ったぞ」
「もしかして、できるって見栄を張って引っ込みつかなくなってない?」
「薪と一緒に燃やしてやろうか」
ふん、とおれは鼻を慣らし、その場に座り込んだ。
股の間に、細い板状の木――火切り板を設置する。木には予めナイフで小さな穴を掘ってあった。
もちろん、こんな物差しみたいに形成された木なんて自然界に落ちてはいない。立ち枯れていたシロノキの枝をへし折り、ナイフで削り出したものだ。
もう一つの棒状の枝は、そこら辺にあった枯れ草から調達した。
要するに、棒をくるくると回して火を起こすあれだ。
火切り板の上に、正確には小さな穴に突き刺すように、細く真っ直ぐに伸びた枝を垂直に立てた。
そして、枝を両手で挟み、しゅるしゅると音を立てて回転させる。
「おお」
ソラが感嘆の声を漏らした。
棒の回転によって削り出された粉末状の木の繊維を、摩擦熱によって火種に変える発火法だ。
腕力も体力も要する原始的な手法だが、練習を重ねれば女子供の筋力であっても着火まで三分を切る。いかに掌を高速で前後させて棒を回転させるかよりも、火切り板に棒を押しつけたまま回転させるための姿勢や腕の位置の方が重要だったりする。
「よし」
棒の先端、火切り板の窪みに溜まった木の粉が摩擦熱で黒く焦げ、白煙を吹いた。火種の完成だ。
あとは火種を地面に落とさないよう丁寧にシロノキの樹皮に乗せて、鳥の巣のように組み上げた細い小枝たちで包んでやる。
何度か息を吹けば、すぐに火が上がった。
《アドオンスキル発動:ファイアスターター》
びく、とおれは肩を震わせた。
レティクルを表示させていないにも関わらず『レファレンス』が喋ったのだ。
ソラを盗み見る。この声が聞こえた様子はない。
いっそのこと尋ねてみるか?
この謎の声の正体について、なにか知っていることはあるかと。
しかし、躊躇いが生じる。
おれだったらどうする?
もし、出会ったばかりの人間から、脳に語りかけてくる
間違いなく精神科の受診を推奨する。
「……」
雑念を抱きながらも、薪を少しずつ加えて丁寧に火を育てていく。ぱちぱちと、乾いた音が次第に大きくなってきた。
焚き火に手を翳す。
収縮していた血流がじんじんと指を巡る感覚が心地いい。
これで一息つくことができるだろう。
「すごいね。手際がいい」
ソラが驚いていた。
「鈍臭そうに見えると言いたいのか」
「そうじゃなくて。きみのような小さい女の子が……男の子が、こんなスキルを持ってるようには見えなかったんだ。熟練の旅人みたいだよ」
にこにこと笑って、ソラは当たり前のように焚き火を囲む。
こいつ、いつまでここにいるつもりだ?
いや、ナイフと外套を貸してくれたことは感謝しているし、別に構わないのだが。
「あったかいね。実はおれ、村への帰り道がわからなくなってさ。困ってたんだよ」
ソラは爽やかな笑顔で言ってのけた。
「……遭難していたのか」
「そこまで本格的なものじゃないけど……ちょっと迷ってただけだよ。ただ、昨日の昼間、崖から落ちそうになった時に持ってたパンとか干し肉とかぜんぶ落としちゃって。さすがにそろそろヤバいかなとは思ってた」
「笑顔で発表する内容じゃないだろう」
呆れた。頼りないどころかただのポンコツだ。
「それにこの森は植物が豊富なように見えるが。生き物もいるんじゃないのか」
おれは生茂る木々を眺めながら言った。
「捕まえるのって難しいんだよ。それにおれ、食べられる草と食べられない草を見分けるスキルも持ってないし」
「ふむ」
ソラは村が近くにあるはずだと言った。
額面通りに受け取れば、歩いて数時間くらいの距離だろうか。
でも目的の方角がわからないから、運が悪ければ遭難は何日も続く。一週間以上は覚悟しておいた方がいいかもしれない。
カロリーは確保しておくべきだ。
おれは水面に力なく浮かぶレッサーゴブリンの死体を見つめた。
「あれを食うか」
「嘘だろ」
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