第2話、深く深く降り積もる、雪の結晶の下にあるもの
SIDE:『スノークリスタル』
箒のトゲトゲの方を向けながらにじり寄ってくるルコナを巧みに回避ししつつ、タカが詳しい話を要求すると。
「ほら、カズちゃんの虜になっちゃった人多かったでしょ? みんな、ユーライジアに行けば世界一の美姫とお近づきになれるのかも、なんて思っちゃってるみたい」「……なるほど。結構切実だな」
交換留学という名の、姫の気まぐれ……というより、『妹』であるセリアとカズは憚ることのない親友同士で。
セリアにお願いされて彼女はラルシータへ来ていたのだが。
来る前からカズへの期待は高かった。
何故ならば、来年ユーライジアで開催される十年に一度の祭典、『建国祭』における催神事の代表者候補としてユーライジア発刊の新聞、ライジア新聞に載っていたからだ。
『世界の至宝……世界救いし女神の再来』、と称されて。
その新聞はラルシータにも届くもので、父、ルレインなども愛読している。
大げさで妄想めいた中身が人気らしいが、当のカズのことだけは大げさでも妄想でもなかった。
カズを迎えてからのラルシータときたらそれはもう色めき立っていた。
カズの歩くところ歩くところ人が集まる。
その盛り上がりようは、居住区まで届いてくるほどで。
その騒ぎにほとほと疲れ切ってるのだろうと思いきやカズときたらたいしたもので。
見事なほどに近づきすぎず離れすぎずの距離間を持って立ち振る舞っていた。
すげえなって誉めそやせば、慣れてるからの一言。
問題だったのは他人と接するのに慣れすぎていて、結局留学期間が終わるまでタカやルレインに対しても客の立場を崩そうとしなかったことだが。
「理由はそれだけじゃないのよ。ほら、セリアちゃんの方が留学期間一週間長いでしょ? もしかしたらこのままセリアちゃんまで帰ってこないんじゃないかってみんな心配してるみたい」
タカは理由を聞いてはいなかったが、交換留学のはずなのにセリアの方がその期間は長い。
カズはもう帰ってしまったのだから確かに何でだろうとはタカ思ったが。
自分にとっても悪いことではないので、そういうこともあるか、なんて考えていて。
「はっ、心配って。そこまであいつに人気があるかよ」
「え? うそぉ。まさかタカ知らないとか言わないよね? セリアちゃんだってカズちゃんに負けないくらい人気者なんだよ? カズちゃんと付き合うようになってから、人当たりが良くなったって言うの? 元々美人さんだしなによりこのラルシータのお姫様だからね。当たり前と言えば当たり前なんだけど」
言われてみれば確かに。
そんな気もしなくもないタカである。
だけどそれを表に出すのは、当然のごとく恥ずかしいので。
「……ふん、どうせ猫かぶってるだけだろ。セリアは人気者、なんてタマじゃねえし」
代わりに出たのは、そんな言葉だった。
まぁ、なんだか上っ面だけで理解されてるみたいでタカはむかむかしたのもあるだろうが。
鼻を鳴らしてタカがそう言うと覿面にルコナは面白そうな意地悪そうな顔をする。
「なになに、独占欲? セリアは俺のものだー、みたいな?」
「ば、ばばっかやろ。そう言う意味で言ったんじゃねえよ」
誰もいやしないのに、辺りをせわしなく見回してうろたえるタカ。
その言葉が本意でないのは……端から見れば一目瞭然で。
「えー違うの?じゃあ本命は誰? やっぱカズちゃん? それとも最近になって『お兄ちゃん』って呼ばせてるサキちゃん? それとも他の誰かかな?」
「何でそんな話題になってんだよ……」
いきなり十段飛ばしくらいに変わる話題。
ちなみに、ミアはセリアの妹である。
となるとタカにとっても妹になるのだが、そもそもセリアが妹であることは名義上のことで、タカにとって実際はそうではない。
それを理解した上でなのか。
ルコナの朝から疲れる話題に思わず脱力するタカ。
「だって気になるじゃん。なんだか最近たくさんの女の子が周りにいるみたいだし」
実の所、先程からカズあたりのことで突っ込まなければならない事があるような気がするのだが。
違和感はないのでそのまま考えないことにする。
その代わりに、タカは常々疑問に思っていたことを口にした。
「気になるか? それってもしかして、ルコナさんもその一人だから?」
カズの言葉じゃないけれど。
男だ女だなんて関係ないというかそう言うめんどくさいのはまだいいや、なんてのが本心なタカである。
だから単純に、深い意味はなくそれならルコナだってそうじゃないかって言ったつもりだったのだが。
「わ、わわ私っ? だめよそんなのいけないわ! いや、うん、属性としてはありなのかな……いやいやっ、確かにタカの事は好きだけどそれはあくまでも家族的なものであって、残念だけど私の心はすでに売約ずみとゆーかだったらなんでタカはそこにいるのかな、うん! 確かに統計では男の子ってみんな……っ」
なんだか引くくらいに曲解したらしい。
ルコナはタカが今までで初めて見る態度でうろたえている。
仕舞いには丸まってぶつぶつ言いだして。
「分かった分かったもういいって。俺が変なこと聞いたのが悪かったんだ、戻ってきてくれ」
「ううん、タカは悪くないの。そうだよね、そう言う可能性を考えてなかった私が悪いんだ……」
うんざりしてタカがそう言うと、あっさり我に返った……のかどうかは分からないが、不意にルコナは真面目な顔を向けてきた。
急だったので図らずもどきりとする。
カズがどうだセリアがどうだと言ってはいるが、ルコナだって負けてはいないとタカは思う。
特に、その柔らかな銀とも金ともつかない髪はそれだけで一種の芸術品を思わせる。
まさしく、自らが発光しているように見える月のよう。
どこか……懐愁抱かせる色。
「だったらそうだね、うん。ひと勝負しようか」
何がだったらなのかは分からないが、ルコナは笑み一つ浮かべて、手に持った竹箒を構えた。
一見してなっていない、ど素人の構えを。
―――どくんどくんと波打ち流れる赤。
「だから意味分かんねえって、そんなのだって刺さると痛いんだぞっ」
―――絹のようなすべらかな肌に吸い込まれる青銀。
「ふふ、だったら試してみればいいじゃーん」
にじりよるルコナ。
タカは、半ば無意識のままに後ずさる。
―――お辞儀するように、抱きしめるみたいに倒れる。
―――染まる赤。むせ返る罪と悲しみ。
―――怪しく光る月の赤。
それでも尚暖かな光消えない青い月。
「ほら、いっくぞ~!」
しゃりと。ふれる竹箒と錆びた鉄錫杖。
「……え?」
自分はいつの間に構えていたのか。タカは焦る。
身体が勝手に動くのだ。
「わわっ、やるなっ」
構えにもなってないに等しい竹箒を軽く払って。
無防備に晒されるルコナの身体。
タカはそれを引き寄せるようにして……。
「……はい、ルコナさんの負け」
ひりだすようにしてタカは言葉を紡ぐ。
からんと。落ちたのは鉄の錫杖。
―――それは決して覗いてはいけないもの。
激しい動悸と吹き出る脂汗、絶叫したい衝動を誤魔化しタカは笑う。
―――だから凍らせる。誰の目にも触れぬよう、白く青い結晶の下に。
「うぅ~。なんでよぅ」
「なんでって、ルコナさん完全に懐取られてるじゃん」
歪む視線に見えるのは簡単に折れそうなほどに細い彼女のうなじだ。
「そんなのタカも一緒でしょ」
うんと背筋を伸ばして、彼女は触れる。
タカの首筋に。
ひやりと、冷たく凍える感触。
懐かしさすら覚えるそれは。
決して手のひらの冷たさだけに留まらなくて。
―――もう二度と思い出さないように、封じたのだ。
スノークリスタル。それが、記憶の墓標。
その名前で。
「つ、つめてっ。や、やめろよっ!」
「きゃわっ」
かっと。タカは我に返って。
両手で押すようにしてルコナを離す。
ついぞまで懐にいた妹のような少女は、その見た目の軽さを証明するみたいに、ふわりと宙を舞って落ち葉たまる地面に尻餅をついた。
「いたたっ。なにするの~」
「ご、ごめんっ! お、俺もう行くからっ」
ルコナの方に視線を向け、介抱してやる余裕すらタカにはなかった。
ルコナは関係ないはずなのに。
このままだと、思い出してはいけないものを思い出してしまいそうだったから。
視界を染める止まらない水を誰にも見せたくなかったから。
タカは走る。
その場から離れ、逃げるように。
後には、ぽかんとするルコナだけが残されて。
「うーん。もぅ大丈夫かなって思ってたんだけどな……」
やれやれと。ひどく見た目にそぐわぬため息。
反動つけてルコナは起きあがる。
「どう思うレイ? やっぱりまだ早いのかなあ?」
「……さてね。それはあやつ本人にしか分からんだろ」
空にだけ届くかと思われた問いかけ。
しかしそれを苦笑で受け止めたのは大樹の裏に背をもたれかけさせていた、ラルシータの王、ルレインだった。
髪色が煙を塗したような銀灰色であることと、『光(セザール)』に祝福されし白銀色の瞳以外、そのままタカを大きくしたような、濃密な時を重ねて結果を出したと言ってもいい、中年という言葉が似つかわしくない男。
それは、魔精霊すらも虜にすると言われる、妖艶さすら伺わせる美貌と、どこか気だるげな空気がそうさせるのかもしれない。
「一体、何を焦っている?」
その反対側に座り込んだルコナに、本意を探る言葉を投じるルレイン。
「もう、あんまり時間ないみたいでさ……」
「……そうか」
大樹を挟んだその間には。
重い重い沈黙が支配するばかりで……。
(第3話につづく)
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