第7章 後編

 千里さんの地元から、冷えた自宅に戻ってくる。私はパソコンラックの前に座り、千里さんの地元で得た情報を思い出す。得た情報は、彼女の友人だった女性から聞いた話と、通院していた病院で見たデータの書かれた紙ぐらいだろうか。


 知人の女性の話しは、千里さんがいなくなる前に話していた内容と一致する点が多かった。また、その女性との会話をきっかけに、千里さんの通っていた病院に至り、超能力者の遺伝子に関するデータを見つけることができた。ただ、そこから千里さんにどうつながっていくのかは、全く分からなかった。


 他に手掛かりがあるとすれば、偶然ポケットに入っていた数種類の薬だけだった。千里さんの部屋で意識を失う前に、彼女が薬について話していた記憶はあるが、あいにく気が動転していたため、よく覚えていなかった。


 私は千里さんの実家の情報の他に、薬についても同時に調べていた。最初はネット検索で薬の形状をヒントに調べてみたが、結果として形状だけでは名前や効能などは分からなかった。


 別の手段はないかと考えながらサイトのリンク先を辿っていくと、どこかの研究室を模したサイトに行き着いた。


 そのサイトは、有料で薬の種類や効能を調査するというものであった。本来の利用目的は、誰にも知られずに覚せい剤や大麻などの麻薬かどうかを調べるのだろう。サイト自体はダークウェブ内にあるものに近かったが、ほかに方法もなくメールで問い合わせて、薬を指定された私書箱に郵送した。


 その調査結果は抗癲癇こうてんかん剤と精神安定剤、そして残りは名称及び効能不明だった。

 他にも薬があったと思うが、たまたまポケットに入れた薬のうち、判明したものは2つだけだった。残りは薬にかなり詳しそうな似非機関でも分からなかった。


 この世界では開発されていない、彼女の言葉が頭の中で繰り返される。


「……」


 パソコンを起動して、薬の分析ファイルを再び開く。指が無意味に画面をスクロールさせる。薬の説明文が流れるように動いていく。用途の判明しなかった薬については、かなり詳しく分析されたようで、膨大な項目が羅列されており、素人では全く理解できない専門用語があふれていた。


 しかし、詳細な分析もむなしく、薬の説明文の最後には不明という文字が記載されていた。モニターに示されている効能不明という結果は、この世界のどこでも開発されていないという事実を裏付けているのだろうか。


「……」


 そして、富樫や青井さん、上川さんには千里さんがいなくなったことを伝えていなかった。千里さんは会社を退職したのでいつかは伝わるはずだが、彼女の失踪はあまりにも不自然すぎて、私からはとても言い出せなかった。





「おはようございます」


「お、おはようございます」


 裏口にいた警備員が挨拶してきたことに驚き、返事が少し遅れる。


 今日はビルの裏口から出勤してみた。その理由はエレベーターを調べるためだった。


 私は廊下を音もなく歩いていく。最初の分岐を左に、次の分岐を右に曲がるとすぐにエレベーターが見える。私はエレベーターに近づいて観察する。


「どこも変わったところはないよな」


 自分自身に確かめるように呟く。ボタンの周囲を見ても蓋のようなものは見当たらず、地下を示すB1のような表示板も、もちろんない。


 何気なくボタンを押してみる。エレベーターを待っていると、二人の男性社員が近づいてきた。


「なあ、知っているか」


「突然なんだ」


「このエレベーターに乗った人が消えるって噂」


「そんな話聞いたことないぜ」


「去年退職した雨宮って部長がいただろ。あいつがいつも言っていたんだ。夜中にこのエレベーターに乗った人が消えるって。ひゅ~どろどろどろ」


「おいおい、時期を間違えてないか。今は冬真っ盛りの1月だぞ。そういう話は夏の暑い時期にしろよ」


「すいません」


 私は思わず声をかける。


「はい、なんでしょうか」


 エレベーターについて話をしていた男性社員がこちらを向く。


「そのエレベーターの話ですが、もう少し詳しい話を聞かせていただけないでしょうか」


 私の言葉に、男性社員は戸惑っているようだった。


「すみません、いきなりこんなことを言って」


「いいえ、それはいいですが、私が知っているのはさきほど話していた程度でして」


「その部長のお名前を、もう一度教えていただけないでしょうか」


「えっと、品質管理部の雨宮部長です。でも、雨宮部長は健康上の理由で、去年退職しています。確か地元の病院に入院したと聞いたことがあります」


「どこの病院か分かりますか」


「いや、そこまでは分かりません」


「そうですか、ありがとうございます」


 気付けば、エレベーターが到着していた。エレベーターは私を誘うように、扉を開けたまま待機している。


「それでは失礼します」


 私はエレベーターには乗らず、その場を立ち去った。不思議そうな男性社員の視線を感じながら、ロビーに向かった。



 ロビーを通り過ぎて、階段で2階に上がりシステム部の開発ルームに急ぐ。システム部はフレックスタイム制のため、始業時間前だと社員がかなり少ない。そのためこの時間帯は目を盗んでデータファイルにアクセスするのが容易だった。


「いらっしゃい」


 まるで喫茶店のマスターのように、管理人が挨拶してくる


「経理部の木原です」


 首に下げた社員証を管理人に見せる。


「はいはい、少し待ってください」


 磁気リーダーにカードを通す。


「最近よくここに来ますねぇ」


「はい、最近システム部の業務を手伝っていまして」


 適当な言葉でその場を取り繕う。


「ふ~ん、頑張ってくださいね」


 私は空返事をして、ぎこちない足取りで開発ルームに向かった。





 人で賑わう食堂で、一人ため息をつく。


 結局、人事系のファイルを調べても雨宮という人物のことは分からなかった。唯一、名前が記載されたファイルがあったが、健康上の理由で退職とだけ記されてあり、ほかの情報は消去されていた。


 千里さん、どこにいるんだよ。いなくなった彼女に、届かない言葉を呟く。


 彼女が去り際に残した言葉が脳裏に甦る。人の心が読める。彼女は確かにそう言った。実際に見たものを可能な限り思い返してみる。


 奇妙な配列のキーボード、不気味な線が描かれた用紙、それを受信した超小型のFAX機。夥しい数の薬、そのうち幾つかは名称も効能も不明。千里さんの誰かに宛てた文章、そこでも彼女は心が読めると書いていた。それから、黒服の男に腕を刺されて意識が飛び、朦朧とした中で、私は彼女の告白を聞いた。


「人の心が読めるってそんな……」


 そんな馬鹿な、と口に出そうとして思い留まる。彼女の告白は真実であるかどうかは分からない。しかし、絶対に嘘であるという確証もない。まして自分は、偽りとは思えない彼女の悲しい声を覚えている。話の内容はとても信じられないが、彼女の言葉には信じられる痛みのようなものがあった。


 ジレンマに悩まされる。それにさっきから、名前を呼ばれている気がする。ついに幻聴も聞こえ始めたらしい。


「おいっ、木原!」


「うわっ!」


 思わず、席から飛びのく。その反動で、食器がひっくり返りそうになった。


「せっかく本店に戻ってきたっていうのに、歓迎の言葉はないうえに無視かいな」


 声が大きく、れしい大阪弁。こんな言葉を喋るのは彼女しかいない。


「あ、青井さん」


 驚きの声が口から漏れる。


「ただいま! といっても、出張で寄っただけやけどね」


 いつもの笑みで挨拶してくる青井さん。


唖然あぜん


「むっ、唖然てなんやの。人が忙しい中、寄り道したっていうのになぁ」


「いや、ごめん。本当にいきなりだったから、頭がついていかなかった」


「まあ、久しぶりにご飯でも一緒に食べようか」


 ちょっと待ってと言って、青井さんは食券を買いに走っていった。



「ここの食堂懐かしいわぁ」


 青井さんは感慨深げに、辺りを見渡す。


「何も変わってないからね」


「ところで、千里ちゃんは? びっくりさせようとして、連絡してへんねん」


 青井さんの言葉で、思考が完全に止まる。


「えっと」


 返答にきゅうする。言い訳の言葉が浮かんでは消える。


「どうしたん?」


 青井さんは不思議そうな顔で尋ねてくる。黙っていてはいけないという焦りから、ますます返答できなくなる。


 なんていえば良いのか、答えは出てきそうになかった。千里さんがいなくなったと本当のことを言うのか。それとも、事実を隠して余計な心配はかけさせない方がいいのか。しかし、退職したことはいつかは分かる。どうすればいいのか、答えを延ばす時間はない。


「いや、今日は千里さん休んでいてね。ちょっと会社にいないんだ」


「へ~、千里ちゃん風邪かなんか?」


「うん、最近調子が悪いみたいでさ」


 なんですぐにばれる嘘をついたのだろうか。罪悪感と言い訳が頭の中に浮かんでは消えていく。


「そうか、残念やなぁ。せっかくいろいろ話できると思ったのに」


 本当に残念そうに、青井さんは口をとがらす。


「だって頼りない木原に会っても、何の話もできへんわ」


「むむ、そんなひどい。僕だって面白い話の一つや二つするさ」


「じゃあ、なんか面白いことでも言うてや」


 真剣に考え込む。これでもかこれでもかと、貧弱なボキャブラリーを組み合わせては掻かき回していく。そんなことをしていると、青井さんが笑い始めた。


「木原、あんたの考え込んだ顔が一番笑えるわ」


「そんな殺生な」


 二人して笑う。なんでもない会話でも、すごく懐かしかった。過去の楽しかった思い出が、胸の中でくすぶる。


「あっ、そうそう。ここにも用事があったんやけど、午前中は富樫さんがおる支店に行ったねんな。でも、富樫さんおらへんかってん」


「えっ、富樫も風邪か何か?」


「ううん、ここ最近は休みを取っているらしくて。理由聞いてもそれだけしか言ってくれへんかった」


 何かが、引っかかる。


「有休を使ってまで何してんのやろうなぁ、あの人。嫁はんと旅行にでもいってんのやろうか」


 ぼんやりと考えを巡らす。富樫が休んでいることなんて、きっとどうってことない理由に違いない。青井さんの言うとおり旅行に行っていたり、風邪が長引いていたりしているのだろう。


 なのに、どうしてか一抹の不安がよぎる。千里さんがいなくなったのと同じように考えてしまうのは、考えすぎているのだろうか。


「おーい、もしもし」


 青井さんが私の顔の近くで、手を振っている。


「あっ、ごめん」


「あんた、まだ一人でぼーっと考える癖あんのね。人と話してるときぐらい会話に集中せんかいなぁ」


 ぶーっと、彼女は頬を膨らます。その子供っぽい仕草が少しおかしくて、怒られているのに笑ってしまう。


「悪かったよ。ごめんごめん」


「あんたにしては素直でよろしい! って木原、あんた老けた?」


「自分ではそうは思ってないけどなぁ。老けたように見える?」


「うーん、疲れているように見えるからかねぇ。経理って結構ハードなん?」


「うん、かなりハードだよ。いつもパソコンの前でにらめっこしてる。おまけに、家に帰っても宿題があって、休む暇なくパソコン三昧ざんまい


 オーバーに肩をすくめてみせる。寸劇が得意な青井劇団に一矢いっし報いようではないか。


「パソコンばっかはきっついなぁ。うちなら疲弊するどころか、衰弱死してるわ」


「青井さんはパソコンを使うの嫌がっていたもんね」


 青井さんの前では口が裂けても言えないが、彼女の場合は衰弱死するのではなく、発狂死しそうだった。彼女の暴走する姿を、ちょっとだけ想像する。破壊されるパソコン、けたたましい悲鳴、乱れ飛ぶ罵詈ばり雑言ぞうごん……。


「木原! あんた今、余計なこと考えたやろ!?」


「い、いえ。滅相めっそうもございません」


 鋭い。


「まあ、疲れてるんならリフレッシュするために、なんかしたらどう? 具体的には分からへんけどさ」


「リフレッシュか。ちょっと考えてみるよ」


「どうやってリフレッシュするか考えこんでしもうて、さらに疲れるとかやめてな。それやと、本末転倒やから」


「そうだね、ありがとう。気をつけるよ」


「ところで少し前にに木原から送られてきたメッセージやけど、ホテルでごーじゃすでぃなー食べるってやつ、覚えてる?」


 すっかり忘れていた。


「予定通りに4月に集まるのでいいの? うち、すっごい楽しみなんやけどさぁ」


 千里さんのことが頭を過ぎる。今、彼女はいない。見つかるという確証は何一つ無い。その事実を分かっているのに、その現実を解っているのに……。


「うん、楽しみに待っていてよ」


 私はどうして、このようなことを言ってしまったのか。





 昼休みも終わり、青井さんと別れる。


「また連絡ちょうだいなぁ」


「うん、わかったよ」


 エレベーター前まで青井さんを送る。

 手を振る青井さん。閉まるエレベーター。それを、ぼんやり眺める私。


 私は経理部に戻る気になれず、ビルの屋上に行くことにした。



 空は澄み切ったような青色で、ところどころに薄く雲がたなびいている。私は缶コーヒーを片手に、屋上の手すり付近で考え込んでいた。


 千里さんの失踪。それがどんなものかは分からないが、普通の失踪でないことは確かだ。彼女の心が読めるということや何かの計画に加担しているということも、普通の世界とはかけ離れている。このままだと、彼女を探し出すのは無理に近かった。


「失踪に普通も普通じゃないもあるかよ」


 独り言と白い息が、冷たい空気に溶ける。急に寒気を感じ、片手をポケットの中に突っ込んだ。


 ふと、高い空に目を向ける。そこに、今にも消えそうな真昼の月があった。その月の姿が、千里さんと重なる。


「千里さん、どこに行ったんだよ」


 一人、つぶやく。

 冷たく吹き荒れる冬の風。流れる白い雲がゆっくりと月のほうへ近づいていく。このままだと、月は雲で見えなくなる。


 ゆっくりと消えていく淡い月。その姿を、私はなすすべもなくただ眺めているだけだ。

 都会に切り取られた蒼穹そうきゅうの中、真昼の月は雲のベールを被り、見えなくなっていった。


 缶コーヒーを傾けて揺する。中身はすでに飲み干してしまい、手には軽い缶の重さだけが残っていた。


 携帯を取り出して、富樫にメッセージを送ってみる。数分待ってみたが、反応はなかった。


「直接、富樫に会いに行くか」


 私は誰もいない屋上を後にした。





 終業してから、私は富樫の住んでいるマンションに来た。富樫が勤めている支店も、この場所から歩いて近い。


 呼び鈴を押そうとしたが、部屋の様子が違和感を覚える。廊下に面した窓にカーテンがかかっておらず、磨りガラス越しに部屋の中がぼんやりと見て取れる。目を凝らして覗き込んでみると、家具らしきものはなく、人が生活していない雰囲気が伝わってくる。


 呼び鈴を押してみる。返事はない。

 何回か呼び鈴を押していると、エレベーターの方から足音が聞こえた。この階に住んでいる家族なのだろう、両親と小さな子供二人が話しながら横を通り過ぎていく。


「すみません」


「はい、なんでしょうか」


 男性が振り返る。


「この部屋の住人なのですが、現在はどこかに行っているのでしょうか」


「隣の部屋に住んでいた人ですか。引っ越してきたと思ったら、一ヶ月も経たないうちに、また引っ越しましたよ。今は空き部屋ですね」


 富樫もいなくなっている。その事実に、私が困惑して話せずにいると、女性が状況を補足してくれる。


「去年の10月にいらっしゃって、それから11月中旬までは住んでいらしたみたいなのですが、引っ越してきた当初も人のいる気配がなくて、気付いたら出て行かれたみたいでした」


「そうですか、失礼しました」


 それ以上何も言えずに、私はマンションを後にした。





 自分の家に帰ってきて、パソコンの前で考える。


 富樫は住んでいるはずのマンションにいなかった。帰りの電車の中で、携帯からメッセージを送ってみても全く反応がない。その事実が、私の胸に不安として降り積もる。富樫が勤めている支店にも行ってみたが、青井さんが言ったように、一週間前から出社していなかった。


 千里さんの失踪。富樫の不在。様々な出来事が頭の中で、関係性を辿たどって繋がろうとしていく。だが、あまりにも情報がなく、答えを出せない。


 糸を結んではほどき、また結んでいく。結果、糸はこんがらがっていく。結び目はきつくなり、二度とほどけなくなる。。


 頭が煮詰まってきたので、気晴らしにパソコンのブラウザを開いてみる。

 メールの受信ボックスに新しいメールが届いていた。私はメールをクリックし、内容を確かめる。


 【返信】追加試料による結果報告について(薬の調査継続について)と書かれた題名が目に入る。発信元は薬物大学第4研究室と記載されており、見ただけで架空の研究室だと分かる。私は無心で本文に目を通す。


『抗癲癇薬の観点から、効能不明薬剤を用いたラットによる追加実験を実施。癲癇症状を有するスナネズミの脳波について、発作時の棘波が投薬後α波に変化、抗癲癇薬と同様の効果あり(電極部位はFp1、Fp2、C3、C4、O1、O2)。投薬直後、ラットの行動に異常は認められなかったが、翌日に急激な衰弱が起こった。また、別のラットが癲癇症状を……』


 私にはどんな内容なのかいまいち分からなかったが、様々な実験をして薬の正体を探ったようだ。だが、結果は不明という文字ばかりだ。読み続けていると、出口のない迷路を歩かされている気分になる。


 何回も、意味の分からない用語が並んだメールを読み返す。しかし、読めば読むほど見つけるべき答えだけでなく、答えまでの道筋も見失いそうだった。

 私は何気なくブラウザのアイコンをクリックする。ぼんやりした目で、画面を見つめる。室内なのに冷たい手は、キーボードの上に所在なく置かれる。


 私は一体、何をしたらいいのだろう。検索サイトのニュース欄を眺めながら、自身の進みようのなさを感じてしまう。

 少し埃が被ったキーボードに目を向ける。どこにでもありふれたキーボードだ。


「そういえば……」


 些細なことかもしれないが、一つだけ心に引っかかていたものがあった。それは、千里さんが持っていたパソコンのキーボードの文字配列だ。確かその配列は、C、S、T、N、A、E、Hだったはずだ。あと、人差し指を使う中心部分は母音が多かった気がする。


 サイトの検索エンジンに、思い出した文字配列を打ち込んでみる。検索ボタンを押した瞬間、結果が画面に表示される。関係のなさそうな項目を流し見ながら飛ばしていく。


 何ページか見たところで、キーボードに関係する項目が目に入る。考えるより先に、指がクリックするため動く。


 ホームページのタイトルを探すと、キーボードにおける最適配列とページ最上段に記載があった。ページの中身は様々なタイプのキーボードが紹介されており、それぞれのキーボードに詳細な説明が記されている。私はマウスのホイールを動かし、このページのどこに「C、S、T、N、A、E、H、D、G」が載っているのか探していく。


 すると、ページの最後に、千里さんの部屋で見たキーボードが載っていた。上段は、F、W、R、L、I、O、U、Y、Q。中段は、C、S、T、N、A、E、H、D、G。下段には、X、B、M、V、Z、J、P、K。


 キーボードの説明文に目を通す。


「この文字配列は、キーボードを打つ上で『最速値』に最適化した結果のタイプである。使用頻度の高いアルファベットは人差し指を使用し、使用頻度の低いアルファベットは薬指や小指を使用する。よって、母音系列である、A、E、I、O、Uがキーボードの中央部に集中することになる。1960年代に発案され、商業用タイプライトをはじめとする印刷事業に浸透する。そして、パソコンが開発されて当該配列が使用されるかに見えたが、問題が出てきた。それは偏った指への負担である。使用頻度の高い文字を中央に配列することによって、人体的に動かしやすい人差し指を多く使用することができ、文字を打つ速度は速まる。だが、人差し指の極端な使用により、長期的な指への疲弊が募ってくる。よって、能率は長期的に見ると低下するという初期の人間工学に基づいたレポートが提出されたのである。このレポートを元に『疲弊度』と『最速値』との関係性を研究し、現在のキーボードの配列に近づいた」


 必要な部分だけを読み飛ばしていく。この後の文章は現在のキーボードへの成り立ちが書いてあるだけで、重要な事柄は書かれていなかった。


 文章の最後に差し掛かる。そこには、キーボードを開発した企業が記されていた。


 思わず声を上げる。企業一覧の中に、見知った名前が入っていた。それは私の勤めている会社であった。

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