第5章 後編
曇った寒空の下、人々が雑踏の中を行き交う。私はその流れをぼんやりと眺める。休日ということで、みんな心なしかおしゃれをしているように見える。
今日は千里さんと約束をした一緒に遊びに行く日だ。約束した日から何度かメッセージのやり取りをして、どこに遊びに行くかを相談した。そこで決まったのが、一番大きいターミナル駅付近を散策することだった。
私は手持ち無沙汰にコートのポケットに手を突っ込み、携帯電話を手に取る。
「10時55分か」
自分でも聞き取れないくらい小さな声で、独り言を呟く。私は昔から人が多い場所が苦手で、できるだけ人ごみに入るのを避けていた。今日も待ち合わせ場所によく使われている大きなモニターから離れた場所に佇んでいた。
「やっぱり寒いな」
再び、携帯電話をポケットの中に入れる。
今日は一体どうなるのだろうかと考えていると、背中が軽く叩かれる感じがした。後を振り返ると、赤いコートを羽織った千里さんがいた。
「お待たせしました、木原君」
軽く首を横に傾けて、挨拶をする千里さん。
私の視線は千里さんの服装に釘付けとなってしまう。落ち着いた赤いコートに、ゆったりとした黒いスカート、濃い茶色のローヒールの組み合わせで、大人っぽくまとめられている。彼女の冬の私服は見たことがなかったので、とても新鮮だった。
「お、おはようございます」
時間に合わない挨拶をする。そんなガチガチの私を見て、千里さんは楽しそうに話しかけてくる。
「木原君、もう11時過ぎですよ。それとも、木原君は起きるのが遅かったのかな」
「起きたのは10時過ぎだから、それでおはようって言ったのかもしれない」
「起床したのは10時を過ぎていたのですか」
千里さんが指先を口元に持ってきて、驚いた表情をする。
「よく間に合いましたね」
「いま住んでいる場所からこの駅まで近いから、10時に起きれば間に合うよ」
「それでは、身支度は30分ぐらいですか?」
「朝の身だしなみなんて朝食を含めて、いつも20分ぐらいだよ。朝食に10分、服を着替えたり顔を洗ったりで10分かな」
「男性ってそれぐらいで朝の身支度を終えるんですね」
なるほど、と千里さんは感心する。
「私は頑張って8時半には起床したんですよ。10時まで寝ていた木原君の話を聞いていたら、少し不公平な感じがします」
「女の子の身だしなみは大変だもんね」
具体的に何をするかは分からないけど、一応千里さんに言ってみる。
「一つずつ言うのが嫌になるぐらいすることがあります。でも、早く起きないといけなかった一番の理由は、私の家からここまで来るのに、1時間以上かかるからなんですけどね」
千里さんはそう言って、私のほうに一歩近づいてくる。
「それでは、散策といいましたが、とりあえずどこに行きましょうか」
「うーん、いろいろ考えてみたんだけどね」
特に思いつかなかったと言えずに、私は口ごもる。
「私が考えたのは、あそこに見えている乗り物です。お昼ごはんを食べるまで少し時間もありますし、あれに乗るのなんてどうでしょうか」
千里さんの指先が向いた先を、目線で追ってみる。その先には、高所恐怖症の敵とも言える乗り物があった。その乗り物はビルの上で、飽きもせずグルグルと回り続けている。
「か、観覧車ですか」
自分の声が、震えているのが分かる。都合のいい言い訳はないか、頭の中を探してみるがちっとも見つからない。そんな私と観覧車を楽しそうに見つめている千里さん。結局、私は千里さんに何も言えず、引き摺られるようにして観覧車に向かっていった。
「足元にお気をつけてお乗り下さい」
私たちの番が来てしまう。高い場所は苦手だと断れない意志の弱さと、高い場所が怖いと恥ずかしくて言えない見栄っ張りを嘆く。
千里さんが案内員に笑顔で挨拶をしている。だが、彼女の挨拶は遠くの出来事のように感じられた。
「木原君、どうしたんですか」
観覧車に乗ることを
「えっ、あ……」
早く乗らないといけない。焦る気持ちが足を急き立てる。
「の、乗ります」
自分の言葉を合図にして、観覧車に乗るべく一歩踏み出す。そして一気に、体を観覧車の中に滑り込ませる。
千里さんも私に続いて、難なく観覧車に乗ってくる。私は落ち着かない気持ちのまま、観覧車の椅子に腰掛ける。
「それでは、天空からの街並みを15分間お楽しみ下さい」
15分間という言葉に、
「それでは、ドアをお閉めいたします」
乗務員によって、扉がゆっくりと閉められていく。待ってください、今すぐ降りますと言いたくなる。
「いってらっしゃいませ」
乗務員さんのスマイルで、私たちは空の旅に送り出された。
「これぐらいの高さになると街全体が見渡せて、清々しい気持ちになりますね」
千里さんがガラス窓に手を付けて、楽しそうにはしゃいでいる。
観覧車はてっぺんに差しかかろうとしていた。私は外の景色を見ないように、前を向いたまま千里さんに返事をしている。
「今日がもう少し晴れていたらよかったのになぁ。あっ、あちらにお城が見えますよ」
「うん、そうだね」
「お城があんなに小さくなってる。ここから眺めると、いろんなものが鳥と同じ視点で見えますね」
「うん、そうだね」
「会社のビルも見晴らしがいいのですが、繁華街から離れているので、こんなに建物は見えませんよね」
「うん、そうだね」
「あっちが会社で、こっちが私の家の方角かな。木原君のお家はどちらの方角ですか?」
「うん、そうだね」
「あの、木原君?」
さっきから同じことしか言わないロボット人間に、千里さんが不審そうに見つめてくる。
「木原君、心なしか青ざめていますよ。大丈夫ですか」
「うん、そうだね」
繰り返す同じ言葉。体は凍りついたように、うまく動かない。
しばらくして、彼女は何かに気づいたように、はっとした表情になる。
「木原君って、高所恐怖症だったんですか?」
「うん、そうだね」
どうにか観覧車から降りて、千里さんとランチを食べる。
「でも、木原君も高いところが苦手なら言ってくれれば良かったのに」
「いやいや、申し訳ないです」
熱せられた鉄板から、ソースの香ばしい匂いが立ち上っている。
「会社がビルの高いところにあるので、高い場所は慣れていると勘違いしていました」
千里さんがかつお節と青海苔を振りかけていく。待ちに待ったお好み焼きの完成だ。
「それに木原君はいつも窓の外を見つめていましたから、高い場所が好きなんだと思っていました」
「ビルみたいな安定している場所は大丈夫なんだ。だけど、観覧車やジェットコースターみたいに落ちそうな乗り物は苦手なんだ。でも、そんなに僕は窓を見ていたかなぁ」
「木原君って、いつも出勤する時間が早かったですよね」
「ラッシュの人込みが苦手で、早い時間に出勤していたんだ。今も早いんだけどね」
「私は早く起きるのが苦手で、いつもぎりぎりの電車で出勤していたんです。今もそうなんですけどね」
千里さんはおかしそうに少しだけ笑う。
「だから、私が会社に到着した時には、木原君が先に座っていて、視線はいつも窓の向こうなんですよ」
「確かに言われてみれば、朝は空を眺めていた気がするなぁ」
「どうして、そんなに空を眺めていたんですか」
千里さんの質問にうまく答えようとしたのだが、まとまりない理由を述べるだけになってしまう。それでも私が話を続けていると、千里さんが申し訳なさそうに口を挟んでくる。
「あの、お話の途中で悪いのですが、お好み焼きが……」
二つ仲良く並んだお好み焼きを見る。一方はソースが塗られて、すでに完成している。しかし、もう一方は裸のままで取り残されていた。
「しまった」
「もうそろそろ食べないと、ですね」
私は急いで裸のお好み焼きに、ソースを塗っていく。
「千里さんは先に食べていていいよ」
「木原君ができ上がるまで待っています」
彼女に先に食べてもらいたくて、何か言おうとする。しかし、喋ることよりお好み焼きを完成させることに集中したほうがよいと思い、無言で
かつお節と青海苔をふりかけ、最後にマヨネーズで白いラインを描いて完成する。このマヨネーズラインの描き方で、見栄えは大きく変わってくる。
「千里さんはマヨネーズをかけないんだ」
千里さんのお好み焼きを見て、彼女に話しかける。彼女は少し黙った後、意を決したようにマヨネーズを手に取る。
「いいや、かけちゃえ」
何か
「さあ、食べましょうか」
千里さんは手を合わせて、嬉しそうにしている。その笑みにつられて、こちらもつい笑顔になってしまう。
いただきますの挨拶をして、私たちは食べ始める。
千里さんはお好み焼きを細かく
千里さんと喋っているうちに、ふと喉の渇きを覚える。私の手がコップに伸びるのと同時に、千里さんもコップを手に取る。完全にコップを取る動きもタイミングも同じだった。
二人で顔を見合す。千里さんが柔らかな瞳を私に向けたまま、くすりと笑う。
「気が合いますね」
彼女の言葉に少し恥ずかしくなり、何も言えなくなる。私は照れ隠しに、水を一気に口に含んだ。
昼食を終えた後は、人通りの多い賑やかな通りを二人で歩く。何も計画を立てていなかったけれど、こうして歩くだけでもすごく楽しかった。
「お願いがあるんですけど、いいですか」
千里さんの歩調に慣れてきたと思い始めたときだった。彼女がお願い事と言いながら、バッグの中に手を入れて、何かを探している。
「どうしたの?」
疑問に思った瞬間、シャッター音が切られた。
脊髄反射のような鋭さで体を仰け反ったつもりが、時はすでに遅かったようだ。悪戯っぽく笑っている千里さんの手には、携帯電話がしっかりと握られている。どうやら私は写真を撮られたらしい。
「最近、携帯電話を変えたんです。それで今、知人の写真を撮ることに凝っているんです。さて、でき具合はどうでしょうね」
私はドキドキしながら携帯電話に視線を向ける。そこには自分でも悲しくなるくらいの間抜けな顔が写っていた。
「これはあまりにも酷いよ。お願いですから、取り直してください」
「いいえ、このような自然体の顔写真がいいんです。取り直しは聞きませんよ」
保存、保存と
私は何も反論できなくなり、黙り込む。自分に対して、痛ましい気持ちになる。
「それともう一つお願いがあるんですが」
その言葉が耳に入ると同時に、私は思わず手で顔を覆う。そんな私の動きを見て、千里さんは首をかしげる。
「木原君、どうしたんですか」
「また写真を撮られると思って」
「もう撮りませんよ。安心してください」
合点がいきましたと、千里さんが頷きながら笑う。
「もう一つのお願いは、もしあったら富樫さんや青井ちゃん、愛ちゃんの写真を貰えないかなと思いまして」
「じゃあ、取引しませんか」
「取引、ですか」
「富樫たちの写真を差し上げるので、僕の写真を取り直していただきたい」
「そんなにあの写真が嫌だったんですか。ごめんなさい、気付きませんでした」
千里さんは申し訳なさそうに、こちらに視線を向けてくる。彼女の謝罪を込めた表情に、目が釘付けとなってしまい、落ち着かない気持ちになってしまう。
「いや、ちょっと変すぎたからね」
落ち着くようにと、自分に言い聞かせる。
「先ほどの写真を消去しました。それでは、お約束の品をいただきましょうか」
「じゃあ、送るね」
歩きながらの作業に悪戦苦闘しながら、三人の写真を載せたメッセージを千里さんに送る。すぐに、雑踏の中で彼女の携帯電話が鳴り始めた。
「早速、来ました。ありがとうございます」
彼女が首を横に傾げて、私にお礼を述べる。
「どういたしまして」
私はその仕草に、手短に返事をする。
「富樫さん、すごい顔していますね」
「生憎、その写真しかないんだよ。もっとましなのを撮っておけばよかったと後悔してる」
「青井ちゃんは酔っ払っているときのですね」
「それは花見の時のかな。あの時は青井さんのせいで散々だったよ」
「愛ちゃんは愛ちゃんらしい感じですねぇ。ただ、スーツではなくて私服ですね」
「それは夏の旅行の時だね。風景を撮っている時に、上川さんが近くにいてね。風景と一緒に写りますかと尋ねたら、いいですよって言われて撮ったんだ」
「そのときの写真なんですか」
携帯電話を見つめたまま、千里さんは呟く。
「なんだか、最近のはずなのに遠い昔みたいに感じます」
誰かに思いを
「木原君は覚えていますか。お鍋パーティーの時の約束」
「どんな約束だっけ」
「今度、みんなで集まる時はどこかのホテルでディナーを食べに行くという約束です」
「思い出した。
「豪華絢爛なディナーは言い過ぎかもしれませんけど」
彼女はおかしそうに笑う。
「でも、いつになるんでしょうね」
確かに、具体的な時期は決まっていなかった。このまま計画が立ち消えの可能性も十分あり得る。しかし、それは嫌だった。もし実現したいのであれば、私が率先して言い出せばいいと思いつく。
「じゃあ、僕がみんなにメッセージを送ってみるよ。このままだと誰も言い出さずに無くなってしまいそうだし」
「そうですね。具体的に決めておいたほうが、いいですよね」
「じゃあ、近いうちに送信するよ」
「はい、お待ちしています」
千里さんはそう言うと、表情を綻ばせる。
「どうしたの?」
「いいえ、何でもありません。気にしないで下さい」
私がよっぽど不思議そうにしていたためか、千里さんが言葉を付け足してくる。
「そのように前向きに考えてくれるのが、すごく嬉しいなって思っただけです」
千里さんはにっこりと笑う。彼女の言葉と表情に、心を読まれたような気持ちになって、胸の奥がこそばゆくなる。
そんな取り留めのない会話を続けながら、私たちは冬の街を歩いた。
夕食は千里さんが以前に青井さんと一緒に行ったイタリアンレストランに入った。コース料理を注文したが、堅苦しい感じはなく、家庭的な味付けでとても美味しかった。二人で好きなメイン料理を選び、満足した気分で帰路に着く。
「やっぱり、この時間になるとすごく寒いですね」
はあ、と白い息を空気に滲ませる千里さん。街には12月の定番ともいえるクリスマスソングが流れていた。
ふと、空を見上げてみる。灰色の
「そういえば、もうすぐクリスマスだね」
「本当ですね。街が赤や緑に模様替えされているというのに、気付きませんでした」
彼女が小さく笑う。その笑った仕草が、街の景色に
「クリスマスなんて恋人や家族がいないとあまり楽しめない行事ですよね。今年はどのようにして過ごそうかな」
私はどのように返答したらいいか分からずに、黙り込んでしまう。
「木原君はクリスマスの予定は無いんですか」
千里さんが覗き込むようにして尋ねてくる。
「うん、悲しいぐらいに全くないよ」
「そうですか」
彼女はそれだけ言って、喋るのを止めてしまう。ぎこちない空気が辺りに漂い始める。
何も話さないまま、歩みを進めていく二人。
何かを話そうとする思いだけが、胸の中で空転していく。必死で会話の糸口を見つけようとするが、糸はますますほつれ合い解けなくなる。
「少し、休憩しませんか」
とりあえず、言葉を発する。
「そうですね。駅までもう少しありますし、ちょっと歩き疲れましたね」
私は適当な場所がないか探してみる。
「あそこの公園なんてどうかな。ベンチもあって座れそうだし」
二人して公園に入っていく。冬の公園は寒さのためか、誰も見当たらない。
「ここのベンチでいいかな」
「はい、木原君が決めた場所でいいです」
ここで長居をするわけでもないので、出入り口付近のベンチに腰掛ける。
無言で、座ったままの二人。
私は冷たい空気を吸い込み、少し頭を冷やすように心がけた。
「えっと、何か暖かい飲み物でも買ってこようか。休憩するのはいいけど、このままだと体が冷えてしまうよね」
私がそう言うと、千里さんは少し微笑んで、うんと頷いた。
「何かリクエストはあるかな」
「思いつかないので、木原君が飲みたいものと一緒がいいです」
「了解しました。では、ちょっと待っててください」
私は急いで公園の奥の方へ駆け出す。自販機は予想通り公園の奥に、ひっそりと行儀よく整列していた。私は何の飲み物を買うべきか考える。千里さんは私の買うものと一緒がいいと言ったが、やっぱり千里さんに合わすべきだろう。彼女は紅茶を飲むようなイメージがあったので、ミルクティーに決めた。私は二つの缶を手に取り、寒さに急かされるように戻っていく。
「やっぱり寒いな」
独り言を呟く。しばらく歩くと、ベンチに座っている千里さんが見えた。
そこで何故か、私の歩みは止まってしまう。足は進まずに、私は彼女の姿をじっと眺める。彼女の赤いコートがこの場所でただ一つの色彩として、浮かぶように映えていた。
吐息を手にかける千里さん。彼女は口に出さなかったが、やはり寒いらしく白い息で両手を温めていた。そして、彼女は祈るように手を組み、星のない夜空を見上げる。
そんな彼女の姿が、寒空の下に咲く一輪の赤い花のように見える。
両手に持った缶ジュースを強く握る。私は120円の温かみを確かめ、再び歩き出す。
私は太陽にはなれない。でも、この胸に広がる思いと缶ジュースで、少しは彼女を温められるはずだ。
「おまたせ、千里さん」
自分にできる精一杯の笑顔で、彼女に話しかける。
「あっ、おかえりなさい」
「はい、これ。紅茶で良かったかな」
「木原君が買いに行った後、紅茶が飲みたいなと思っていたところでした」
そう言いながら、彼女はハンドバックから財布を取り出す。どうやら、ジュース代を払う気らしい。そんな彼女の律儀さがかわいかった。
「いや、お金はいいよ。ここは僕のおごり」
「でも……」
彼女が話す前に、私は首を横に振る。
「それでは今度、何かおごりますね。ありがとう、木原君」
「安物なので、千里さんのお口に合うかどうか」
ふざけたことを言いながら、千里さんに缶を渡す。
「安物に慣れた口なので、お気になさらず」
千里さんは笑いながら、缶を開けて紅茶を口に含む。私も紅茶を口に流し込む。心地よい暖かさが、体の中に宿っていく。
「冬空の下で飲む紅茶って、暖かくておいしいですね」
彼女が言葉を話すたびに、白い吐息が滲んでは消えていく。
「こうやって飲むと、とてもおいしいね。普段紅茶は飲まないけど、こんなにおいしいって初めて気づいた」
「紅茶は飲まないのですか」
「うん、普段はコーヒーばっかりだね」
千里さんが缶に視線を向ける。
「木原君は、私が紅茶好きなのを知っていたんですか」
「何となくそんなイメージがあったから、紅茶を買ってきたんだ」
「そうだったんだ。私、木原君が飲みたいものでよかったのに」
「別に飲みたいものが特になかったしね。それなら、千里さんが飲みたそうなものがいいなと思って」
「優しいんですね」
千里さんは小さな声で呟いて、缶に口付けをする。
その言葉が、私の心を緩やかに締め付ける。
私が何か言おうとしたとき、千里さんが意を決したように話しかけてくる。
「わがまま、聞いてもらえますか」
「わがまま、ですか」
千里さんが使うような言葉ではなかったので、意外に思いながら言葉の続きを待つ。彼女はゆっくりと私に視線を向ける。
「今日は楽しかったですか」
「うん、千里さんのおかげでとても楽しかった。いろいろな話もできたし」
何より、傍に千里さんがいてくれて嬉しかった。
「あの、私、クリスマスも一緒にいてほしいな……」
彼女の言葉に、頭が真っ白になる。
「私、クリスマスも木原君と一緒に過ごしたいです」
二回目の言葉に、私は直ぐに返事をする。
「うん、もちろんだよ」
素直な気持ちを、彼女に告げる。
「僕も千里さんと一緒にいたい」
自分でも、驚くくらい素直な言葉が出てくる。
「嬉しい……」
千里さんは小さく呟き、私に寄り添ってくる。彼女の肩が私の腕に当たる。
私は自分の心に、淡く小さな炎が灯されているのを感じた。
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