第1章 後編
騒がしい声々と、たくさんの白いテーブルがあり、人々が席を埋めている。
私は同じ部に配属された新入社員と社員食堂にいた。この会社の食堂は、ワンフロアを使っており、たくさんの人数が利用できる。また、大きな窓ガラスがフロア全面にあり、とても開放感があった。
突然、自分の名前が呼ばれる。
「でも、木原の自己紹介はきいたなぁ。何たって名前の説明になっていない」
私の苗字を早速、呼びつけする男性。彼は
ただ、偏見かもしれないが、外見は物書きをしていたような貧相なイメージとは程遠く、がっしりとした体つきで、短髪に彫りの深い
「あの時うちも、しもたなぁと思ったわ。緊張しすぎてギャグ挟むの忘れてたねんなぁ」
富樫の向かい側に座った背の高い女性が、ニヤニヤ笑いながら私を見ている。
彼女は
また、彼女は身長が高く、私と同じくらいありそうだった。髪は女性にしては短く、目が切れ長で鼻も高く、中性的なイメージを抱かせる。
「………………」
千里さんと青井さんに席を挟まれて、黙々と昼ごはんを口に運んでいく少女に目が留まる。
彼女は
だが、ぱっちりとした大きめな目をしており、まなざしには力強さを感じる。派手さはあまりないが、可愛らしい顔立ちをしていると思う。それと上川さんを見ていると、つい小動物を想像してしまう。黙々と食事をとる姿はまさしくそれであった。
「ああ、悪い。今は木原が自己紹介をやり直すところか。最初のギャグの印象が強くてそれで盛り上がっちまった」
富樫が私の背中を強く叩く。不意を突かれて、私は咳き込んでしまう。
「あらら、大丈夫ですか」
千里さんが心配そうに微笑みながら、覗き込んでくる。
「米が肺に入ったら怖い病気になるらしいで。誤嚥性肺炎って言うんや。最悪の場合は死んでまうから、きいつけや木原君」
逆に全く心配した表情を見せず、青井さんはけらけらと笑っている。独特のアクセントに、本当かどうか分からない怖いことを言ってくる。
私はお茶を取って喉に流し込もうとする。しかし、一気に飲みすぎたようで、また咳き込んでしまう。
「落ち着けよ木原。俺たちに時間はたっぷりある」
私は体を屈めながら、ちらりと千里さんを盗み見る。彼女は先ほどと同じように、心配そうな笑みを見せていた。
「落ち着きました。すみません」
「さあ、お前のことを聞かせてくれ。あれだけ咳き込んだんだから、おこぼれ話の一つぐらいは出てきただろう」
「おもろいの期待しとるで」
「えっと、木原弘泰といいます。大学は南洋大学出身です」
「おお、南洋出身か。あそこは確か金閣が近かったな。小高い丘の上に位置して、夏は暑くて冬は寒い。とても過酷な環境だ」
富樫が話し出す。ただ、確かに言う通りなのだが、後の発言は余計だった。
「南洋にはようけ友達がいっとるわ。いいとこよね、南洋のある場所。落ち着いているし……」
青井さんが会話を奪い取っていく。青井さんが話している間、私は一言も話すことができずにいた。
「あの、木原君が全く喋ってないですよ」
そんな青井さんを制すように、千里さんが通る声で助け舟を出してくれる。
「あかんあかん、またやってもうた。うち、調子に乗るとすぐ自分のことばかり喋るからなぁ。気にせず喋ってな、木原君」
「は、はい……」
会話の主導権は戻ってきたが、これといって話すことは思い浮かばなかった。しかも、富樫や青井さんに会話のリズムを狂わされた感じもあり、話しにくい。
「でも、これ以上特に話すこともないし……。えっと、半年間よろしくお願いします……」
これで終わりなのかと、みんながこちらを見ているような気がする。
すると、富樫がお茶を飲み干してある提案をした。
「話すのが苦手そうな木原君によい提案があります。みなさん、ここからは質問形式にしてはいかがでしょうか」
「では、さっそく質問や」
当の本人である私やみんなの意見を聞かずに、いきなり青井さんが質問してくる。
「木原君に彼女はいますかぁ」
質問形式にしたことを少し後悔した。
「さあ木原君、答えたまえ。君にはこの質問に答える義務がある」
富樫がサスペンスドラマに出てくる刑事のように、厳しい顔つきでこちらを
「黙秘権を行使します……」
私が発言を拒否すると、富樫はにやりと笑った。
「黙秘権はもう使い果たしたよ、木原君」
黙秘権は回数制ではないのに、使い果たしたって無茶苦茶だ。
「さぁどうやねんなぁ、白状しいや」
青井さんはにやにやとした笑みを張り付かせたままだ。
「い、いませんよ」
私は正直に現状を答える。
「ふ~ん、そうなんか。何も隠すことやないのに、木原ちゃんはうぶやなぁ」
青井さんは頷きながら、また脈絡なく別の話題を話し始める。すると、富樫がその話題に食いつき、箸を振り回しながら応酬する。千里さんも相槌を打ちながら、ごく自然に二人の会話の中に入っていた。
さっきから、私は圧倒されっぱなしだった。同じ部署に配属された新入社員は個性が強い気がする。自分には強い個性がないため、みんなが少し羨ましかった。
ふと、私は上川さんのことを思い出す。彼女は何も話さなくて黙々と食事を取っているだけなので、存在感が薄い気がした。彼女も私と同じく、個性の強い面々に圧倒されているのではないだろうか。
気になって上川さんを見る。
「………………」
そこでも、私は圧倒された。
食べるのが異様に遅い。みんなもう食べ終わって、食後のお茶さえなくなっているというのに、まだ半分は残っている。
一生懸命……。何故か、そんな言葉が脳裏を過ぎる。やはり、個性の強い面々が集まっているようだ。
千里さんと青井さんが楽しそうに談笑している。今度は漫才の話題で盛り上がっているようだ。
すると、富樫が突然騒ぎ始めた。
「みんな、何かを忘れていないか!? 木原君に対して、まだ質問が一個しか出てないぞ。これでは申し訳が立たない。さあ、どんどん質問を!」
沈黙……。
「ないのかねっ、みんな!」
富樫が大げさに回りを見渡す。しかし、返事はなかった。
質問がありすぎるのもちょっと嫌だが、全くないのはとても寂しい。しかも、今まで出てきた質問は一個だけで、答えの内容もすごく寂しい。
「言い出した富樫さんが質問せなぁ」
青井さんが富樫に会話をふる。
「ないっ!」
富樫が即答する。思わず、私は富樫を見てしまう。
私がため息を吐こうとした時、凛とした声が耳に入ってきた。
「木原君の趣味は何ですか? よろしければ、お聞かせください」
千里さんだった。彼女は私と目が合うと笑顔で返してくれる。
「えっと、趣味は下手ですが、ギターを弾いています」
おお~と、小さなどよめきが起きる。
「どんなジャンルのギターを弾いているんだ?」
富樫が興味ありげに、質問を投げかける。
「うーん……」
私が話そうとしていると、喋り終わってないのに青井さんが口を挟んでくる。
「へ~木原君、めっちゃ内気な少年Aやと思ってたのになぁ」
青井さん、少年Aでは私が罪を犯したみたいじゃないか。ツッコム勇気がなくて心の中で突っ込む。
「内気な少年Aがギターをねぇ。大人しい人間さんは日頃の
「それは、ちが……」
反論しようとするが、青井さんが急にエアギターを弾き始める。しかも首まで振り回しながら、口からは念仏のような
ふと横を見ると、富樫がドラムを叩く真似をしていた。彼の手足が不規則に動き続ける。しかし、その動きはどう見ても溺れかかった人間にしか見えなかった。私は助けようか迷った挙句、放っておくことにした。
青井さんは完全に勘違いしている。私が弾いているのは、曲調の静かなポップスやクラシックだ。間違いを正す気も失せるようなマシンガントークだが、ここで勘違いされっぱなしになり「今度、木原君のパンクライブを見にいくわぁ」のノリで来られたら困る。少年Aは諦めるとしても、音楽のジャンルぐらいは正しておくべきだ。
「いや、あの、僕が弾いているのは静かな感じのポップスやクラシックです。激しいのはちょっと……」
「ふ~ん、そうなんや。てっきり日頃の鬱憤を晴らすためにヘビメタでも弾いてんのかと思ったわ。自分で自分を癒してんのねぇ」
「ヘ、ヘビメタ……」
青井さんはかなり違うジャンルを想像していたようだ。私は間違いを正して良かったと心底思う。
「でも、趣味があるのは、とてもいいことだと、思うぜ」
何とか助かったのか、溺れていた富樫が息を切らしながら生還した。
それから、みんなの趣味の話となり、しばらく自分とは関係のない話が続く。
「さて、会話の脱線を元に戻そう! 木原への質問タイム再開だ! 木原君に質問がある方はどしどしと、お聞きになってください!」
沈黙……。
「また富樫さんが言い出したんやから、自分で質問せなぁ」
青井さんが富樫に会話をふる。
「もうない!」
また即答だ。
「あの……」
突然、小さな声が響いた。みんなが声のした方を向く。それは上川さんの声だった。
上川さんの存在はまた意識の外にあった。これは私の注意力の問題ではなくて、彼女が存在を消すことに長けているのではないか。変な言い訳を思いつき、私はそのまま自分を納得させた。
「おお、上川君! 木原君に質問かね! 今、質問がなくて困っていたところなんだよ。さあ、なんでも聞いてくれたまえ!」
富樫が意外な質問者を発言するように促す。
「あの……」
全員の目が上川さんを注視する。彼女は伏目がちに、一点を見つめている。
突然、上川さんが静かに腕を動かした。手のひらは合わされ、何かに
そして、彼女は短く呟いた。
「……ごちそうさま」
オリエーテーリングが終わり、やっと自分の席に戻ることができた。
「六時半か」
視線を窓に移す。沈みかかった夕焼けが、空に
新しいデスクに、自分の顔がおぼろげに写る。そこには疲れてはいるが、充足感に満ちた顔があった。私は帰宅するために上司や先輩に挨拶をして、薄いカバンを持って部署を出る。
エレベーターホールに着き、ボタンを押してエレベーターに乗る。1階のボタンを押そうとしたとき、私はあることに気付いた。この建物は大規模な高層ビルだったが、なぜか地下がなかった。荷物の搬出入や駐車スペースなど、地下があったほうが何かと利便性があるはずなのにと不思議に思う。
エレベーターが降下していく。ふと、先ほどのエレベーターホールで、新入社員5人が集まって話していたことを思い出す。言葉を少しだけ交わしただけで、私たちは自然と会話ができていた。
エレベーターに乗るように急かす、白い歯を見せた富樫。軽いギャグを名刺代わりにして快活に話す青井さん。顔を上に向けて私たちを見渡している上川さん。耳元の髪をすきながら、笑顔で挨拶をする千里さん。
そして、私はどんなふうに、この風景に描かれていたのだろうか。
これからの会社人生が楽しいものになればいいな、と思う。
エレベーターが到着のチャイムを鳴らし、両開きの扉が開く。私はゆっくりと前に歩み出した。
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