第4章 前編

 季節は十月、夏の気配は消え去り、空気が冷たくなってきた。人も街も衣替えをして冬の到来に備えている。


 今日も、私は地成さんと外回りをして、いつものように昼前に会社に戻ってきた。

法人営業の業務を始めて、もう半年が経つ。まだ地成さんと同行する時もあるが、一人でも提案業務をこなせてきていると感じる。こんなことを地成さんに言うと「まだまだ、半人前」と、怒られるだろうが……。



 昼前に会社へ戻って、一人休憩する。私は自分のデスクに腰掛けてコーヒーを飲んでいた。


 ふと下を覗くと、大通りの街路樹が黄色に色づき始めていた。葉が風を受けて揺らめき合い、互いに凋落を誘っているように見える。


 空調の効いたフロアの快適さに、あくびが出る。体全体からはなまけた雰囲気が出ているだろう。こんな姿になるから「窓際」という言葉がリストラ手前の人を指すことになったんだと実感する。仕事のない社員が窓を見つめながらだらけている姿は、あまりにも似合いすぎている。


 そんなことを考えていると、ポケットにしまっていた携帯が震え始めた。慌ててポケットから携帯を取り出す。

 内容は富樫からのメッセージで、昼飯を食べようという誘いだ。時計を見ると12時を過ぎていた。メッセージを返信して、急ぎ足で食堂に向かう。



 定食を受け取り、富樫たちの座るテーブルに急ぐと、すでに同じ部の4人がそろっていた。富樫たちは血液型占いの話で盛り上がっているようだ。


「血液型占い、ですか」


 占いを信じていない私にとっては、なんとも言うことができない話題だった。きっと信じている人、特に女性の方々がいるので、発言には気をつける。


「木原は何型なん?」


 青井さんが尋ねてくる。


「僕はA型だね」


「やっぱりなぁ、そんな感じしてるわ」


 青井さんは確信のこもった表情でうなずく。


「ちなみに、みんなは何型なんですか?」


 私は会話に遅れて入ったため、誰が何型か把握していない。血液型占いは信じないけれど、何があるか分からないこのご時世、誰が何型か知っていてもいいだろう。


「うちは熱しやすくて冷めやすい、B型よB型!」


 パンチングを繰り出しながら、自分の血液型を述べる青井さん。


「私はO型ですね。青井ちゃんいわく、基本的に何事もストレートらしいです」


 当たっているかもと言いながら、おいしそうに親子丼を食べていく千里さん。


「言いたくないけど俺もB型。青井と一緒か……」


「何よそれ。その台詞そっくりそのまま富樫さんに返すわ。うちだって富樫さんと同じ血液型なんて願い下げやわ」


「ふん、熱しやすいB型が怒ったぞ。でも、安心だな。すぐに冷めて元通りだ」


そう言いながら手を上げて万歳の格好をする富樫。変な効果音をつけながら、上げた手を適当にくねらせる。


「な、なんやて。富樫さんこそ……」


「か、上川さんの血液型は何なの?」


 険悪で意味不明な雰囲気が流れ始めたため、会話をさえぎって上川さんに話をふる。上川さんはうどんをすするのを止めて、私に答える。


「AB型です……」


「AB型なんだ。青井さん、AB型はどんな性格なの?」


「えっとなぁ、誰にでも公平で……。そうそう思い出した、メルヘンチックや。愛ちゃん、小さい雑貨とか可愛いマスコットとか似合いそうやしなぁ」


「ええ、愛ちゃんらしいですね」


 千里さんが微笑みながら頷く。上川さんは少し考え込んだ顔つきになりながらも、うどんを口に運ぶ動作は休めない。


「まあ、信じるも信じないも人それぞれよ」


 青井さんが自分の考えを押し付けないのは珍しい。思わずそのことを口に出しそうになったが、直前で思いとどまる。そんなこと言ったら、青井さんに何を言われるか分からない。


「俺は信憑性に欠けると思うけどな。人間が四つのタイプにしか分類できないってのはおかしな話だし、血液型占いの『あなたの血液型に当てはまる項目はこれですっ!』ってところ、全部普遍的なことばかりが書かれている」


「普遍的なことってどういうことだ?」


 富樫に質問する。


「誰にでも当てはまるような事柄をまるでその『血液型の特性』みたいに言っていることだよ。例えば、青井が上川に言っていた『誰にでも公平』ということだが、それが自分の血液型の性格だと、本に書かれていたとする。しかし『誰にでも公平』ってのは、みんな持っているような、心がけているような性格ではないか?」


「そうだな」


「この誰にでも当てはまるようなことを、その血液型の性格のように位置づける。すると、当たっているように思うんだよ。血液型占いには、みんな持っているような『普遍的な性格』を書いているだけなんだ」


「逆に『誰にでも公平』ではないと言うのも難しいし」


 私の言葉に、富樫は嬉しそうに頷く。


 ふと、青井さんたちが全く関係のない話をしているのが耳に入る。


「それでな、この前は妹とデパートのバーゲンに行ったねん」


「どこのデパートでやっていたんですか?」


 それに富樫も気づき、彼女たちに文句を言い始める。


「おい! 君たちは富樫大先生のご高説を全くもってうけたまわらなかったのかね!」


 こいつはよく呂律ろれつがまわるなと感心する。


「だって富樫小先生のお話、つまらんもん」


「この理屈に満ちあふれた素晴らしき世界観に、どうして魅せられないっ!?」


「途中まで聞いてたんやけど、あまりに理屈っぽくて聞く気が失せたの。そんな細かいこと気にせず気楽に生きたらぁ?」


「こいつB型だ。俺と同じにおいがする」


 お前、血液型占い信じていなかったんじゃ……。思わず、言葉が出そうになる。


 私は呆れながらご飯を口に運ぶ。ほとんど食べ終えた皿に目を落とし、水を飲もうとコップを取った。しかし、コップの水が入っておらず、しかたなくカウンターまで水を汲みに行く。


 コップに水を入れ、私はみんなのいるテーブルに戻ろうとする。しかし、私の足取りは思わず途中で止まってしまう。

 私はみんなの座っているテーブルを眺める。あと一週間で、半年間一緒にいたみんなと別れなくてはいけない事実を思い出す。


 私たちは研修の名目で同じ部署に集まっており、半年間の研修を終えると、違う勤務先に異動する。

 富樫は結婚して共働きのため、長距離の引っ越しが難しいことを考慮されたのか、本店からあまり離れていない支店に勤務することになった。

 青井さんは九州にある支店に、上川さんは北海道にある支店に配属されることになった。二人とも一人暮らしをしたことがないと不安がっていた。

 私と千里さんは本店に残ることになったが、私は経理部に配属され、千里さんは引き続き法人営業部に残留することが決まった。



「ただいま」


「おかえりなさい」


 千里さんが返事をしてくれる。青井さんと富樫は話すのに夢中になっているようだ。上川さんは一生懸命うどんをすすっている。


「木原も帰ってきたことだし、来週に開催する鍋パーティーの打ち合わせでもするか」


 富樫の提案に、女性三人が答える。


「うん、そうしよか」


「ええ、そうですね」


「はい……」


「場所は青井の実家でいいのか?」


「構わへんで、親も大丈夫言うてたし。鍋の種類はなぁ、みんな大好き『すき焼き』にしたわぁ。そんで集合時間は7時で、場所は家の近くにある駅なぁ。あとで詳しい場所は送信するわ」


「みんな大好き『すき焼き』とはシャレがいてていいな。もちろん俺も大好きだ!」


「私もすき焼きは大好きです。一人暮らししているとついつい野菜不足になっちゃって、野菜がたくさん食べられるいい機会にもなりますね」


「上川さんはすき焼きで大丈夫?」


「はい、大丈夫です」


「まあ、薄給のうちらがお金を出し合うんやから、たいしたものはできへんと思うけど。調理のほうは、愛ちゃんがいるからいけると思うわ」


「頑張ります……」


「ところで、富樫さん、青井ちゃん、愛ちゃん。引越しの準備は進んでいますか?」


 千里さんが会話の流れを変える。


「まあ進んでいるよ。俺は近場だしな」


「うん、ぼちぼちね」


「はい……」


 そのまま誰かが、会話を引き取って話し続けるかと思った。けれど、そのまま誰も話さなくなる。喧騒に包まれた沈黙が続く……。


「あの……」


 突然、上川さんが話し始める。


「みなさんと、あと一週間しか過ごせないのは寂しいです」


 上川さんの素直な言葉が、みんなの心に響く。思わず、私も心の声を漏らす。


「僕も、みんなと離れるのは寂しいよ」


「ええ、私も寂しいです」


 千里さんが、悲しそうにしょんぼりとする。


「俺もみんなと離れるのは辛い。その点、木原がうらやましいよ」


「どうしてだ?」


「千里と一緒に本店に残るじゃないか」


 確かに、千里さんが一緒にいてくれることはすごく嬉しい。だけど、それ以上に富樫や青井さん、上川さんと離れることが寂しかった。

 すると、富樫の弱々しい姿を見てふるい立ったのか、青井さんがコップをテーブルに叩きつける。


「もう、富樫さんまで暗くならんといてや! 富樫さんが鬱々うつうつと暗くなると、一瞬で場の雰囲気が沈むやろ!」


 青井さんが声を張り上げる。


「異動まで一週間もあるんやで。みんな元気出して~な。最後の一週間、明るく過ごさんといかへんで。このままだと、鍋パーティーまで暗いの引きずっちゃうわ」


 青井さんを黙って見ていた富樫が、納得したように笑う。


「そうだな、いつもの俺らしからんな。どうして俺が感傷にひたらなければならないのか!」


 奇声を上げていつもの富樫が戻ってくる。周囲の視線が気になったのか、千里さんが困ったように笑いながら富樫に声をかける。


「富樫さん、周りのみなさんから注目されていますよ」


「千里君、もう本店には用はないのだよ! どれだけ騒いでも、痛くもかゆくもないわ!」


 けたたましい声を上げながら、富樫は食器返却コーナーに走っていき、食堂を去っていく。私は鍋パーティの役割分担など、打ち合わせできていないことに気づいたが、すでに富樫はいなかった。


「相変わらず感情の波が激しい人やなぁ」


 青井さんは大きなため息をついて立ち上がり、返却コーナーに歩いていく。


「12時50分ですね」


 千里さんが食堂の時計を見ながら呟く。


「12時50分か。まあ富樫も行ったし、そろそろ部に戻ろうか」


「でも、愛ちゃんが……」


 千里さんと二人で、上川さんに視線を向ける。しかし、予想に反して、上川さんは食べ終わっていた。


「終わりました……」


 上川さんが手を合わせて、うどんを食べ終えたことを告げる。上川さんのうどんを食べるスピードは日に日に早くなっている。12時50分、今日は特に驚異的な早さだ。しかし、相変わらずつゆは飲まないのか……。


「じゃあ、行こうか」


 私の言葉に、千里さんが笑顔で頷きながら立ち上がる。それに続いて、上川さんも立ち上がった。


 去り際に、私たちがいたテーブルを見つめる。すでに、他の社員たちがそのテーブルにトレイを置き、楽しそうに会話しながら食事をしている。それだけで、私たちがいた雰囲気は、すべて消え去っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る