挿話2

 黒い部屋に、足音だけが響き渡る。私は協議場の机に座っていた。

 視界は暗闇の中にあり、ほとんど何も見えない。あるといえば、机に備え付けられたライトが灯っているだけだった。


「遅い」


 奥のほうから、チェスの声が上がる。彼の姿は暗闇で見えないが、いらついているらしく甲高かんだかい足音をたてながら歩き回っている。

 暗くてよく見えないが、右側の席には評議員長のサイトが座っているはずだった。


「ミラは一体何をしているのか」


 チェスの声が闇に響き渡る……。

 私は何度もこの部屋に来たことがあるが、どうしても慣れなかった。私のすべてがまれそうな暗闇。自分が座っている場所にライトがなかったら、私は自分を保っていられないだろう。


「遅れて申し訳ありませんでした」


 入り口からミラの声がする。私は彼女の声があまりにも弱々しかったので心配になる。しかし、暗闇のせいで彼女の姿は見えない。


「遅いぞ、ミラ。もう皆が集まって1時間は過ぎている。今まで何をしていた?」


「作業の修正を行っていました」


「修正? 私はいつそんなことを頼んだ」


 返答はない。音が闇に吸い込まれたような感じがする。


「ミラ、余計なことはするな。私の計画に君の意思はいらない」


「失礼しました」


「そんな入り口に立ってないで、さっさと動け。時間が惜しいのは君もよく知っているはずだろう」


「はい」


「返事をする前に動け。のろまめ」


 足音は入り口から移動していき、私の左側にライトが灯る。


「遅れは取り戻す。準備はいいか、ミラ」


「はい、用意はできています」


「それでは、会議を始める。まず重要なことからだ。簡単に言うと、問題が発生した」


「問題……?」


 サイトの怪訝けげんな声が右側から上がる。


「強い『世界間矛盾』が発生し、被検体ひけんたいたちがパーツに拒否反応を示し始めた」


 短く事実を話すチェス。


「ミラ、被検体のゆがみ度合いを示したデータを出せ」


「はい」


 机から液晶のモニターが出てくる。


「空間モニターでなくてすまないね。現在、こちらの世界にはこれしかないのだ。それに起動するのも遅い」


 のろまな機械だ、と吐き捨てるように呟くチェス。


「3番目のデータを見てくれ」


 完全に起動したらしく、いくつかのデータがモニターに映し出されている。私はチェスの示したデータを見る。しかし、画面が小さくて見にくい。私はモニターに指で触れて、データを大きく映し出すように操作した。


 そこには、痛ましいデータが羅列されていた。


「被検体の歪み数値だよ。これは異常すぎる。世界間矛盾を引き起こす『ワールドディア』が近くにいるのか」


 私は思わず声を上げる。


「このままでは被検体たちは間違いなく消滅します。計画の中止を求めます」


「少し落ち着きたまえ、まだ消滅するとは決まっていないのだぞ。ミラ、どのくらいの『存在確率』がある?」


「1年後に、約12パーセントです」


 ミラが淡々と答える。


「12パーセントもあるのなら、続行できる」


「いいえ、12パーセントしかありません。計画の中止を……」


「なんだね、あなたは? あなたはどちらの世界の者かね」


 チェスの詰問に答えることができない。


「一緒にいすぎて、情が移ったなんてことはやめていただきたい」


 不機嫌そうなチェスの声。


「あなたは我々の世界のことを忘れてしまったのか」


「いいえ」


「なら、計画の中止など私たちの前で二度とおっしゃるな」


「しかし……」


 チェスの表情は真っ暗で見えない。しかし、冷たい目でこちらを睨んでいることを、私は感じとる。

 私とチェス、お互い何も喋らない。ただ、無言の圧力を彼から感じる。


 だめだ、ここではっきりと意見を言わないといけない。そうしないと、私はきっと後悔してしまう。


「しかし、被検体も人間です。その人生を私たちが操っていいのでしょうか。私たちの道具に使っていいのでしょうか。あなたたちにはこの計画が必要なのかもしれません。ですが、何人もの人間を犠牲にしてまで、それらにかかわる大勢の人間に影響を与えてまで、計画を行うことなど……」


「あなたは我々の世界の者たちと、こちらの下等世界の者たち、どちらが大切なのだ?」


「もちろん私たちの世界は大切です。しかし、違う世界だからといって、人間の人生を支配するのはどうなのかと思います。まして、今回は消滅……生死にかかわることです。私たちに生殺与奪の権利はないと思います」


「強者が自身の存在を守るために、弱者から搾取することの何が悪い。自然の摂理も弱肉強食ではないか」


「それは詭弁きべんです」


「なら、我々は理念を掲げたまま、ちろというのか?」


「そんなことは言っていません」


「世界間通路もあと数年で閉じようとしている。時間内に我々の理念を満たす、現在の方法に変わる計画を考案せよ」


「それは……」


 どのようにすれば良いのか分からずに、私は言葉に詰まる。


「もうこれしか時間も方法もないのだ、潔癖症め」


 何も言えず、黙り込む。


「こんな会話ばかりをしていてはらちが明かない。異議が出たため、規程に則り議決を採る。このまま計画を続行するか、否か」


「私は棄権きけんする」


 サイトが静かな、しかし、よく通る声でチェスに伝える。


「ならばしかたない。残りで議決を採る。ミラ、モニターに映し出せ」


「はい」


 モニターに映し出されたデータが消えて、私たちの言語で続行と中止の二択がタッチボタンで表示される。

 急に、後ろがざわつき始めた。暗闇で分からなかったが、あと数十名が背後に控えていたようだ。


 私は無言のままモニターを見つめる。どちらが正しいのか、私には分からなかった。どちらが間違っているのか、私には分からなかった。


「何をそんなに迷っている。あなたの意見はもう決まっているのだろう」


 チェスの催促する声で、体がびくっと反応する。


「今さら迷っておられるのか。では、迷っているあなたに私の意見を述べよう」


 たのしそうなチェスの声。


「正直、私は被検体がどうなろうと構わないのだよ。ただ、データは問題があるが故に、重要な標本サンプルとも言える。今までの計画で、ここまで歪んだものはなかった。上手くいけば貴重なサンプルが取れて、我々の世界が救われるのかもしれないのだぞ。今回の計画の綻びがどのように影響を及ぼすのか、あなたは見てみたくないかね」


 チェスの問いかけに、何も答えられない。


「あなたは情が移り始めているらしい。そろそろ計画から退しりぞいてもらう。それにHPACCハパックが水面下で探りを入れたところ、こちらの内部で不穏な動きもあるようだ。あなたまで失うと、私たちには希望さえなくなる」


 ここは狂気に満ちあふれている。心の中で助けを求めてみても、誰にも届かない。

 私は震えた指先で、モニターの画面に触れた。

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