終章.未来の先に

「う……うぅ~ん……」

 頭がぼぅーっとする。耳がキンキン鳴ってとてもうるさい。

 それに、なんだか眠い。ずいぶん長いこと寝ていた気もするけれど、それでもアクビが止まらない。

 目をこするとだんだん青空がみえてきた。

 白い雲もある。綿あめのような雲のよこにヘンテコな銀色のボールがうかんでいる。月のようにもみえるけど、月よりずっと大きい。太陽がそのとなりにあるけれど、ぜんぜんまぶしくない。

 太陽と月が近づいたら日食がおこるって、このまえ…………

「パパ?!……うっ」

 さけんだとたん、気持ちわるくなって頭をかかえた。

 勢いよく起きたせいか、景色が回ってみえる。

「おおっ。目がさめたかね、おじょうさん。うむ、糖がたりておらんようじゃな」

 のそっと、近づいてきた影が桜子の肩にふれる。グローブのような手は温かく、気づかう声も穏やかだが、えらく早口だ。影の片手が宙をタイプする。

 聞きなれないしゃがれ声に「だれ……?」と桜子が体をひく。

 ソファで身を固くした桜子に、北欧の神をおもわすヒゲ面が不釣り合いにちいさい目をまばたく。

「おおっ……いや、すまん。これだけ長いJCから覚醒した者に出会ったのは、はじめてでな……いや、そもそもほかにもいなんじゃが」

 さらにわからない言葉を連発する老人に、桜子が逃げ道に探すように部屋をみまわした。

 桜子の部屋ほどの広さに、本棚が所狭しとならんでいた。むかし、桜子がつれていってもらった国会図書館みたいに色とりどりの本が、トレバーの背丈の倍まで棚におさまっている。

 不思議なのは天井で、桜子がみた青空が広がっているのに、陽射しも風も感じない。まるで天井だけ透けているようだ。

 部屋には窓が一面にだけあり、そこにはなぜか地球が漆黒にうかんでいた。

 水の惑星の軌道上には、独楽のような奇妙な形状の銀色が六つほど、互いに距離をとって制止していた。よくみると、自転している地球の大気圏からは糸のようなものが、シルバーの独楽につながっている。

「うちゅう……?」

「うむ、これかい?……いや、わしらは〈ルナコロニー〉にはおらんよ。これはただのライブ映像じゃ」老人が地球に目をやると、漆黒とともにきえ、菜の花畑に変わった。

「こっちが、わが家じゃ。おじょうさんは知らんかもしれんが、春の菜の花は美味くてのぅ。酒の肴に……おっと、すまん、話がずれたなぁ」

 ガシガシと老人が頭をかく。

 咳払いし、背をのばした老人は「わしは、ベン。ジョンストン・ベンだ。技術史を研究しておる。おもにヒューマノイドと、初期のディープスリープがわしの専門じゃ。パブリックライセンスとなる以前の情報が乏しくての。これほどのブレイクスルーだというのに、名前と理論しか残って……」

 ヒューマノイド、というベンの言葉がモヤのかかったような桜子の頭に白い人型をおもい出させた。

「そうだっ! トレバーは? おじいさん、あの、わたしといっしょにいた白くて、人の形をした、その……」

 身振り手振りで伝えようとする桜子にベンは「まあまあ」と手のひらを立ててから、

「ヒューマノイド、じゃろう? 大丈夫じゃ。ボディのダメージはひどいもんじゃが、神経ユニットは無事じゃよ」

「トレバー、こわれたんですか……?」

 泣きそうな顔の少女に目の高さを合わせると、老爺は静かに頷いた。

「おじょうさんにはつらいかもしれんが、ついてくるかね?」

 桜子は躊躇わずに立ちあがった。


 ベンの家はかなりの広さだった。桜子が寝ていたのは資料室の一つで、そこがいちばん、"レトロ"な造りだと前を歩くベンは頭を搔きながら説明した。目を覚ました桜子が驚かないようにという気づかいに、礼を述べる桜子の表情は暗い。

 二人の歩く廊下は、まるで屋外だった。そよ風が吹き抜け、頭上からは暖かな日光が降りそそいでいる。ウグイスの鳴き声に混じって遠くから街の喧騒まで伝わってくる。だが、屋内であるのは足元の芝生が倒れないことや、鈴なりのトマトの"緑の壁"を曲がるとき、印のように半透明の柱が見え隠れしていることからもわかる。この半世紀で普及した〈自然と生きる家ボーダーレスホーム〉の紹介をしたいベンだったが、俯いたまま後ろをついてくる少女を肩越しに見た家主は静かに口をつぐんだ。

「わしのガレージじゃ。おじょうさんには、工房ピットと、いったほうがしっくりくるかな」

 資料室から最短距離を辿ってきたベンが振りかえる。穏やかな声にようやく顔を上げた桜子の前には半透明のドームが青空に境界を引いていた。半円形の屋根は昔のビニールハウスに似ている。違うのは、屋根が真珠貝のように陽の光を何色にも反射するところだ。

「九年ほど前に郊外で見つけてのう。所有者がいないということがわかってわしの浮遊機フロートヴィークルで運んできたんじゃ。外観はそりゃあもう、公衆トイレの遺跡じゃとおもうくらいにさびれとったわい……おっと、すまん。中もほとんど部品が残っておらんかったんじゃが、驚いたことに初期ヒューマノイド用の機材がほぼ手つかずで残っておった。メンテナンス用ポッドにはこれまた貴重なディープスリープのログがあっての……」

 熱っぽく語るベンの言葉が続く。工房は一軒家ほどの大きさがあり、円形状の室内は手術室と工業製品の生産ラインを一緒くたにしたような散らかり具合だ。桜子の記憶している大ぶりの寝台から、屋根に届きそうなくらい高い、蜂の巣のような六角形を組み合わせた、ほのかエメラルドグリーンに輝く、よくわからないオブジェまである。

 三十年以上前、ここピットでトレバーが最後にメンテナンスをおこなったことを、ベンも桜子も知らない。そしてピット内を見回した桜子は、そのことを唯一知る、馴染みのを奥に見つけ、駆け出していた。

「待っとくれっ! 彼の状態は……」

 近づくにつれ、マリンブルーの液体に浮かぶ懐かしい顔の傷がはっきり見えてくる。変わり果てた姿に一歩一歩がひどく重たく感じた。液体は球状のまま宙を浮き、表面がオーロラのようにたゆたっている。時折、傍の蜂の巣と同調するように強く光っていた。

「トレバーっ……!」

 一世紀ぶりに再会した家族ヒューマノイドを前に桜子の膝から力が抜けた。優しげな目元にみるみる、涙が溢れる。

「はぁ、はぁ……おじょうさん。発声モジュールは故障しておるが、神経叢直接接続ニューロコネクトで文字に変換してくれるよ」

 遅れて追いついたベンが息を切らしながら説明すると、オーロラに文字が浮かび上がった。

「【サクラコさま! おおっ!! お元気になられたのですね】」

 小刻みに震える角張った白いフォントが、どこかトレバーを彷彿とさせる。そのおかげか、両まぶたと右目がなくなり、ほとんどの人工皮膚オーガスキンが剥がれてなお、くすんだカーボンカラーの髑髏が喜んでいるように感じた。

「うんっ。わたしは元気……あっ」

 涙を拭って立ち上がった桜子が手に目を落とした。トレバーに言われるまで、自分が歩けなかったことを忘れていた。さすった腕は細く、骨まで感じるが、間違いなく自分の体だ。

 桜子の考えを読んだように、ベンが朗らかな声で「無機体置換イノーガニカル・リプレイスメントはしとらんよ」と頷いた。

「イノーガニ……?」

「すまんすまん。肉体を他の素材に置きかえることじゃ。サイボーグのようなもんかのう。もっとも、リプレイスメントは新しいテクノロジーじゃから、ごく少数の者たちしか取り入れておらんが。つまり、金持ちじゃな」

 熊のようなたくましい肩をすくめるベン。緑がかったその目を追って桜子が振り返ると、トレバーのフォントが「【それはそうとベンさま、サクラコさまの治療はこれほど短期間で済むものですか?】」と尋ねていた。

「治療……」

 思いだそうと目を細める桜子にベンが突如、驚いて仰け反る。

「まさか、おじょうさん。ディープスリープの理論を実用化したドクター・ジョウコクのご息女かっ?!」

「ええっと、上国は父の名前ですけど」

 困ったように答える桜子の後ろでいきなり、甲高い音が唸りをあげる。振り返ると、左目しかないトレバーの頭部が小刻みに揺れている。白いフォントが「【ややっ?! さてはアマツキの者かっ! サクラコさま、お逃げください!】」と赤く色づいたオーロラに走り、ハニカム構造のオブジェが鼓動のように点滅しだした。

「ちがうっ! わしはドクター・ジョウコクの伝記を書いとるんじゃ……いかんっ! エネコアをオーバーロードさせるつもりか! アドミンオーダー、ダウン……」

「だめっ!」

 システムを止めるべくコマンドを発したベンの制止を振り切り、桜子が炎のように揺らめくオーロラへ飛び込んでいく。

 髑髏トレバーを抱きかかえた瞬間、ビリッと鋭い痛みが走ると、桜子の意識は暗闇へ落ちていった。


「さっきはごめんなさい……」

 メディカルポッドで仰向けになった桜子が肩をすくめると、体の動きに合わせて虹色のコクーンが伸び縮みした。さきまではミイラのように全身を包んでいた透明な膜は、頭部の検査が完了し、サナギさながら少しずつ縮んでいる。

「気にしなさんな。おじょうさんに怪我がないのがいちばんじゃよ。用心してMPメディカルポッドに入ってもらったが、蘇生はうまくいったようじゃ。検査がすべて終われば、じき降りられるよ。それに、元はといえば、しっかり説明をせんかったわしが悪いんじゃ。トレバー君はまず、わしの身元を尋ねたというのに、資料にあったヒューマノイドにそっくりで肝心の自己紹介をないがしろにしてしもうた」

 桜子の顔の前に浮かんだホログラフィで、ベンが人のよさそうな緑がかった目を伏せる。

 トレバーが過負荷オーバーロードさせかけたエネコアは、二十二世紀に本格運用が始まった新しいエネルギーシステムだという。応用量子力学を基礎にしているとベンが説明してくれたが、桜子にはもちろん、さっぱりだ。父の上国なら、ベンと気が合ったに違いない。

「あの、トレバーは?」

「ううむ。さすがにエネコアを乗っ取れはしなかったが、逆流した高エネルギーでだいぶダメージを負っとる」

 桜子を守るため、電力供給を逆手に取り、ピットのエネコアへ強制的にアクセスしたトレバーはダウンしている。桜子がトレバーの頭に抱きついたとき、ショートを防ぐため自らをシャットダウンさせたのだ。

 高エネルギーのパルスが桜子の心臓を一時的に麻痺させたものの、エネコアの安全装置が動作し、ベンはすぐさまピット内の救急キットを使って桜子を蘇生してくれた。その後、ピットから程近い自宅のメディカルルームへ運ばれた桜子は、半世紀前なら夢物語だった自動医療機メディカルポッドで診察と治療を受けている。

 琥珀のようなコクーンに包まれ、不安だった桜子に、ピットにいるベンは遠隔で「医療の進歩はすさまじくての」と桜子を見つけたときのことも説明してくれた。機能不全に陥りかけたトレバーを散歩中に発見した歴史家は、"胎内"の桜子を近傍の医療センターへ連れていってくれたのである。

「それにしてもおじょうさん。このカスタムヒューマノイドをずいぶん気にしとるが、贈りかね?」

「物じゃありません! トレバーは……家族なんですっ! わたしが一歳のとき、パパが……父が作ってくれました」

「もっと聞かせてもらえんかの?」

 ホログラフィのベンに桜子が目を逸らす。コクーンはさらに縮み、ベンが掛けてくれた空色の毛布の端が見えるようになっていた。毛布の下は、資料室で目覚めたときに傍に置いてあった花柄のワンピースを着ている。昔に着ていたワンピースを思い出すと、次から次に記憶が湧き上がった。

 上半身を起こし、溢れる涙を桜子が拭いきるまでベンは時折、手元に目を落としつつ、ただじっと待った。

「……わたしはアメリカで生まれました。父も母も日本の人で、二人はアメリカで出逢ったそうです。父の家が古い家系だと聞いたのは、日本に来る直前でたしか、ええっと十一歳のときだったから二年まえだとおもいます」

「遮ってすまんが、一つ聞いてよいか。おじょうさんは、いまが何年じゃとおもうかね?」

 質問の意味がわからないというふうに桜子が質問を繰り返す。そんな桜子をホログラフィ越しに見つめ、ベンはしばし間を置いてからゆっくり話し出した。

「二年前といえば、ちょうど〈ルナコロニー〉の完成五十周年じゃったな。セレモニーに太陽系中から人が集まってのう。南の海の係留場は、それは豪華なクルーザーが並んどった。おじょうさんも資料室で月のまわりの環状ドックをみたじゃろう? 式典のときは月面への着陸が特別に認められての。おっと、また話が逸れてしもうた。それが二年前、西暦年の六月のことじゃ」

「二一一九年……」

「そうじゃ。おじょうさんを"起こす"とき、トレバー君がわしにこの腕輪を渡しての。話だけでは信じてもらえんと考えたんじゃろうな。一世紀のディープスリープなど聞いたこともなかった。おじょうさんが目覚めてからは、トレバー君にされとらんか、見とったんじゃよ。このごろ、アンダーグラウンドのAIアルゴリズムインターフェイスが言葉で聴覚から脳を"乗っ取る"事件が多くての」

「……じゃあベンさんは、わたしがトレバーに操られているとおもっていたんですか?!」

「信じられんじゃろうが、ありうるんじゃ。むかしのペテン師は言葉巧みに人をだましとったが、いまじゃ、AIがずっとうまくやる。もっとも、おじょうさんはトレバー君がダウンしても平気そうじゃったから……」

「そんなのひどいっ! わたしがほんとうのことを言っているかテストするために、わざと言わなかったんですね!」

 桜子が乱暴に毛布を払いのけると、腹囲に集まっていた虹色のコクーンもするするっと消えていった。ポッドから床に足を降ろすと、タイルのようにひんやりして冷たい。鳥肌が立ったが、いまは少しでも早くトレバーに会いたかった。

 後ろから落ち込んだ声で「すまんかった」とベンが謝るのを無視し、桜子は裸足で病院によく似た部屋のドアに向かう。半透明のドアが自動的に開くと陽の差す廊下が見えた。閉じこめるつもりはないらしい。

 廊下に出ると白い欠けらが目の前を横切った。桜子が西海岸の自宅でもよく目にしたモンシロチョウは「ついてこい」と言わんばかりに留まってひらひら舞っている。ベンの仕業なのは見当がつく。ただ、どちらへ行けばトレバーの元へ行けるのか、桜子にもさっぱりわからない。仕方なくチョウのほうへ足を向けると、輪郭がほのかに光る四枚羽根も動き出した。

「どうしよう……」

 野菜や果物の育つ畑を歩いていくうち、心細さが強くなっていく。寂しさがさまざまな疑問となって桜子の頭を駆け巡った。

 どうして、父がいないのだろう?

 どうして、トレバーは傷だらけなのだろう?

 どうして、目が覚めると未来にいるのだろう?

 あの晩、父は花見に行く約束をしてくれた。父が約束を破ったことはない。母が亡くなってから、父はそれまで以上に桜子と過ごす時間を大切にした。

 けれど、あの晩は様子が違ったのを覚えている。いつも以上に疲れたようだったから詳しくは聞かなかった。それがいけなかったのだろう。ぎゅっと桜子が手を握りしめる。元をたどれば、目に見えて痩せていくほど父を追い詰めたのは、自分なのだから。

 第一線で走る研究者として、新進気鋭の起業家として、毎日目も回るように忙しい父が変わったのは桜子が十歳になった頃。突然よく転けるようになり、少し体を動かすにも汗びっしょりになった頃。父が言うように「ただの偶然だ」と信じるほど、桜子は疎くない。

 その頃から父は桜子と世界中の名医を訪ね、夜中に目が覚めるときまって、傍を離れず宙に浮かんだホログラフィを睨む背中があった。広いホロボードを埋め尽くす難解な専門用語と、幾重にも続く数式。父の足元にうずたかく積み重なった本のどれもが、父の専門分野ではないことも桜子は知っていた。

「わたしのせいだ」

 目をつむった桜子の脳裏に父と母の顔が流れていく。いつかその日がくるとわかっていても、本当に一人になると海で溺れたように息苦しかった。真っ青な顔をして助けに来てくれた母と、涙を浮かべて砂浜で待っていた父はもういない。三人で平和に過ごした日々は二度と戻らない。

 つつっと、桜子の頬を涙が伝った。その雫を拭うように、風が吹きつける。

「えっ……」

 まぶたを開いた桜子はまだ畑にいた。だが、そこはまやかしデジタルの庭園ではなかった。

 丘のような場所に立つ桜子の足は、確かにザラザラした地面を踏みしめている。けれどその土粒が日光を反射し、吸収し、ビーズのような透明感を持たせていた。昔、上国に見せてもらった工場型農場ファクトリーファームの土と似ている。会社の社会貢献事業として開発した次世代培養土は、有機マイクロカプセルの集合で水や養分を蓄え、必要に応じて排出をおこなうプログラム可能な土壌だった。量産が課題なんだ、と肩をすくめていた父のアイディアは今、桜子が踏み込むとまるで鳴き砂のように「シュッ」と軽い音を立てている。

 ビーズの大地には、ブドウ畑のような背の低い樹木が幾何学模様を描いて茂っている。陽当たりのいい"樹冠"が鳥の巣よろしく大玉のメロンやドリアンを支え、複数の植物が共生し、実をつけているらしく葉のあいだからぶら下げるマンゴーとトマトが見える。樹の根元で麦わら帽子の人影がしゃがむと、土の中へ手を突っこんだ。鈴なりの芋を引っぱりだした人影が桜子に気づいて手を振ってくる。ぎこちなく振り返す桜子には、人影の体に走る青い亀裂が見えた。

 迷路のような木々は見渡す限り広がり、ぽつぽつと散らばる丘地に色も形も異なる家が建っていた。まるでいくつもの牧場が境なくつながっているようだ。

 ふいに、羽ばたくような音がした桜子が顔を上げた。目を細めると雲一つない青空にくっきり、翼の生えた矢のような影が浮かんでいる。

「あれって、ドラゴン……?」

 地上からもはっきりわかる四対の翼で優雅に空を駆けるクロム色は、桜子の知る旅客機よりも大きい。チョウのようで、体と同じくらい長い尾がしなっている。翼は半透明で日光が当たると翅のように煌めいた。ドラゴンは徐々に速度を落とし、前方の超摩天楼群ギガノトシティへ向かっている。かつて桜子の住んでいた西海岸も世界有数の大都市メガロポリスだったが、午後の陽を浴びて黄金に輝くこの街は、その数十倍もありそうだった。地平線から天を衝く高層建築が時折、高ささえも変え、上空には豆粒のような影が飛び交っている。

「DRAGON、というのだそうです。さすがお嬢さまマイディア。相変わらず、鋭い」

 振り返ると、知らない"カボチャ頭"のヒューマノイドがぎこちなく歩いてくるところだった。小麦色のボディは人の肌そっくりに艶があるが、赤く点滅する継ぎ接ぎのような亀裂が走っている。頭部があるべき場所には季節はずれのオバケカボチャジャックオランタンが凶悪な笑顔を光らせていた。

 記憶にあるヒューマノイドの影も形もないが、特徴的な言い回しは間違いようがない。ヒゲもじゃのオーバーオールが距離を置いて気まずそうに立っている。

「トレバーっ! もうだいじょうぶなの? わたしがわかる?」

「ええ。キャリブレーションが済んでいないこの時代のセンサでも、そのロイヤルパープルの瞳を見まごうことはありません。おや、まだ髪を結えていませんでしたね。これは失礼。ベンさまにお借りしたボディなら、どんなヘアスタイルもできそうですよ」

「……ベンさんが?」

 駆け寄った桜子へ片膝をつきながらカボチャ頭がうなずく。

「農園のヒューマシナの予備パーツです。現代では自己一致を持つ回路プログラムへの強制アクセスも、コピーも禁止されているそうで、ワタシの意識を移すには新しい体を注文オーダーメイドする必要があるとベンさまに教わりました。そうそう、この頭部はコスプレ用です。せいで、ワタシの顔は見るに堪えない状態ですからね」

「傷つけることを言うてすまんかったのう。トレバー君のタイムスタンプをみせてもらったよ。一世紀以上も前にこれほどの信頼関係を築く人とマシンがいたとは。おじょうさんにとって彼は、まさに家族なんじゃな」

「性別はありませんがね」

 真面目らしい声で稲妻のような口元を光らせたカボチャ頭にベンが口を開きかけて閉じる。年代物のヒューマノイドジョークは聞き流すことにしたらしい。

 桜子は、見慣れない人間らしい機械ヒューマキーナが伸ばした手の浅黒い肌におそるおそる指先を滑らせた。オーガスキンは樹脂のような摩擦が、触れただけで皮膚ではないとわかる。けれど、いま桜子の触れているスキレイヤは滑らかでじんわり温かい。汗のような湿り気もあって目を閉じれば人肌と間違えるかもしれなかった。動かした指に産声の凹凸まで伝わってくる。

 ふいに金属のような冷たさを感じて桜子がまぶたを開けると、人差し指がスキレイヤのをなぞっていた。青ではなく真紅に脈打つ光のラインは流れ出るマグマをおもわせるのに、ツルッとした肌触りは冷え固まった火山岩のようにひんやりしている。

 記憶にあるなにもかもと違っていた。まるで、触れることのできる夢を見ている気がして桜子が吊り上がったランタンの目を覗きこむ。

「ねぇトレバー。わたし、夢をみているのかなあ? もしかしてわたしはもう……」

「そんなことはありませんよ、お嬢さまマイディア。言葉では信じられないのなら、することができます。ベンさま、このボディの〈メモリーシアター〉機能は察するに、ワタシの記憶を外部へ投影するためかと思いますが」

 水を向けられた老年の技術史研究家がうなずく。

「そうじゃ。ヒューマキーナの記憶は犯罪にかかわらない限り、第三者が知ることは禁じられておる。シアター機能は認証を得たメーカーが提供しておるほぼ唯一の出力アウトプット機構じゃな。きみのボディはこの《》と接続できての……っと。説明はいらんかったか」

 足元の"ビーズ土"がひとすくい、宙に浮いた途端、テントウムシの形を取った。荒いピクセルイメージのような土画ソイルアートは次第に色づいていき、ドーム型の桃色の鞘翅さやばねが立体的に広がると、続けて浮きあがったビーズが黒髪を結った女の子を描き出す。鞘翅のシートに腰掛けた女の子を乗せ、太く茶色の六本脚がガシガシと宙を進み、その傍を棒人形のようなシルバーの人型ヒューマノイドがてくてく歩いていく。

 最後にトレバーと散歩したときだ。

「地磁気を応用した物体浮遊法ですか。これなら、さほどエネルギーを消費せずに物を浮かせる、と。土粒子に光素子を内包し、いわば球体型の液晶を形成することで自由度の高い描画を実現しているのですね。それにしてもこの演算量は凄まじい。お借りした体の体細胞並列回路セルパラレルプロセッサがなければ……おや! サクラコさま泣いていらっしゃるではありませんかっ! ワタシの話が長いばかりに。ここは土下座を……」

 カボチャ頭を地面へ擦りつけようとするヒューマキーナを制して桜子が首を横に振る。

「ちがうよトレバー。なつかしくなっただけ。でもわたし、きのうは……じゃなくて、ええっと百年まえ?は歩けなかったはずだけど」

「それはサクラコさまの病気が治療できるようになったからですっ! ワタシもベンさまから聞いたときには信じられませんでした。それとも、これはワタシの夢なのでしょうか?」

 オバケカボチャと少女に見つめられたベンが困ったように頬を掻く。

「わしの信用はゼロにちかいようじゃな」

「いえ、ワタシの信頼調査に基づくベンさまの人物評価は、Aランクです」

「……なんじゃと?」

 太い眉に埋もれた目を大きく見開いたオーバーオール姿へトレバーが深く頭を下げた。

「おふざけと格付けをお許しください、ベンジャミン・"ベン"・ジョンストンさま。ワタシには、に備えてサクラコさまをお預けするに相応しい御仁が必要でした。事情を明かしたとき、それを信じていただける方は歴史に精通した者でなければなりません。権力によって書き換えられた都合のよいストーリーではなく、過去の真実へたどり着いた者が」

 百年前のあの夜、囮となった上国は天月の手に落ちた。本人の計画でこそあれ、そこに死への欲望をトレバーは感じ取っていた。父娘の計画を天月石楠へ流した裏切り者ミズクをわざわざ信頼したわけもそこにある。

 天月家の当主が瑞貴を始末することはけっしてない。

 彼女を目にするたび、上国は裏切られたことへの激しい怒りと、気づかなかった自分を許さないだろう。自責の念に苛まれ続ける上国の姿こそ、天月石楠がもっとも欲したものであるとトレバーは読んだ。

 上国から聞いた幼少期。近しい者が語った当主の人となり。そしてかつて一度だけ目にした荘厳さに隠された猛毒の気配。創造主へ向けられたシャクナゲのごとく気高い女傑の紫の瞳に、ヒューマノイドは、相手の心の臓を止めるほど濃い憎悪どくを見た。

 だから創造物トレバーは、その毒の花を創造主ジョウコクへ差し出した。

 すべては彼が生き、彼女マスターとの約束を果たしてため。マスターサクラコの望みは、彼と過ごす時間。その望みを叶えることこそ、自らの使命だと解釈するヒューマノイドには、たとえ地獄の日々であろうと彼に生きてもらわなければならなかった。

 ヒューマノイドの推測は的中し、彼は天寿を全うした。だが彼女の望みは叶えられていない。

「その点、ベンさまは技術史研究家でいらっしゃるうえ、二十二世紀きってのジョウコクファンであられる。十代のころ、歴史の闇に埋もれた"ヒューマノイドの父"の存在を知り、追い続けてこられた。九年前のピットは、ワタシからのささやかな贈り物でした。パーツ取りが見向きもしないアンティーク小屋を見つけたベンさまのお顔は忘れません。ピットがヒューマノイドの父のものだと確信されたときの、飛び上がって喜んだこと。そして宝物のように大事に持ち帰るお姿に、ワタシは確信しました。この方なら、サクラコさまをお任せできる」

 結果的にワタシはこうして一命を取り留めたわけですが、とコスプレしたヒューマキナが肩をすくめる。"土アート"の人型がいつの間にか突っ伏し、脚を畳んだ女の子がテントウムシの翅にもたれて目を閉じていた。

「ねえトレバー……わからないことだらけだよ。パパのファンってどうゆうこと? 歴史に埋もれたっていってたけど、パパになにがあったの?」

「ジョウコクさまはお亡くなりになりました……四十九年と○○年○○日まえに」

「なくなっ、た……?」

「トレバー君!? 彼女はついさっき、人類最長のディープスリープから目覚めたばかりだぞ? その手の話はゆっくりと……」

「だからこそです。長期の深眠は脳に多大な負担を強いる。現に、サクラコさまは過去と現在の判別に苦労しています。荒っぽいですが、生きることに目を向けてもらわなければ……お許しを、お嬢さまマイディア

 トレバーが借り物の腕に加重を感じると、目を閉じた桜子がもたれかかっていた。バイタルセンサは正常を告げている。ショックで気を失ったのだろう。少女の頭を自分の肩に載せ、片手でカボチャの首元に手を掛けた。

 金属パーツの外れる音に合わせてハロウィンオレンジが浮き上がる。ヘルメットよろしくジャックオランタンを脱いだトレバーのを前に、さしものベンも痛々しい表情を見せた。旧式ヒューマノイドが地面に置いた"仮面"を無言で手に取り、オーバーオールのポケットからレンチに似た工具を取り出して接合部を調節する。

 老爺の気づかいに回路の中で感謝しつつ、すでに外れかかった顎をトレバーがこじ開けた。"嫌な音"がしたが桜子には聞こえないし、どのみちもう、換えの部品もない。口腔内に指をねじ込んで目当ての手触りを探す。若干の熱を帯びているが、輪の滑らかな表面は健在だ。

 バングルを喉から取りだし、数珠を数えるように親指と手のひらで感触を確かめる。sightなどなくとも感じるシンプルな螺旋構造と、三つの輪をつなぐ楓の葉の留め具。かつての体なら不可能だった繊細な感覚フィーリングに、トレバーは時の流れをしみじみ思いながら腕輪を細い腕にそろっと嵌めた。

「よっぽどだいじなんじゃな」

 ランタンヘッドを付け直すトレバーを手伝いながらベンがため息交じりに感想を述べると、凶悪な笑みを光らせてカボチャ頭がうなずいた。

「ええ。過去を知らずに生きていくなら不必要かもしれませんが」

「過去をなかったことにはできんよ。時期はべつじゃがな」

「……もし、ワタシが蘇生せず、ベンさまにサクラコさまを託していたなら、お嬢さまマイディアは幸せに生きられたでしょうか?」

「それはどうじゃろうな。現実を受け入れたとしても一生、違和感が残るじゃろう。きみが手を尽くしたところで、おじょうさんは知るための苦労を惜しまんだろうしな。やがて真実を知ったとき、彼女はどうおもうかね?」

「ひどく落ち込むでしょう……裏切られ、置いてけぼりにされた哀しみが、癒えない傷を刻み込む」

「それが答えじゃな」

 うなずいた歴史家の前でトレバーがすくっと、立ち上がる。腕には苦しげな表情をした桜子がお姫様抱っこされている。その姿はさながら、忠誠を誓う騎士だ。カボチャ頭の騎士が目を光らせて続ける。

「とはいえ、今は体を休めるときです。ベンさま、一部屋お借りできますか。貴方さまを見張り、査定し、誘導したことは否定しませんが、すべてワタシの所業。ずうずうしいと自覚していますが、どうか……」

「わかったわかった。わかったから、そのまどろっこしい言い方はやめとくれ。きみのことじゃ。わしが断れんことも織り込み済みじゃろう?」

「個人情報に配慮したかたちでなら、貴方さまのお知りになりたいことをお答えできるかもしれません……お礼として」

「まったく。末恐ろしいやつじゃな」

 ため息をつきながらベンが家のほうへと歩いていく。後ろに続きながら、カボチャ頭が殊更に会釈した。

「ウチにおるのは構わんが、ボディはどうするつもりじゃ? きみはいま、だろう? 不適合のエラー処理でいっぱいいっぱいのはずじゃ。uniHuma社にいけば古いボディも修理できるかもしれんが、まちがいなく質問攻めに遭うぞ?」

「確かに……ベンさま。さきほど意識のコピーが禁止とおっしゃっていましたが、ボディを新調した場合、移行はできるのですか?」

「あ、ああ。もちろん。じゃが、カスタムヒューマキナボディの値段は高いぞ……」

「それは、地中海の島より高いですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る