第2話

 コーヒーの中にいるように、無限の暗黒が広がっている。

 今度は砂糖もクリームもない、完全なるブラックの中に、俺はいた。


 なにも見えず、なにも聞こえず、なにも匂わず、なにも感じない。

 強いて言うならば、自分の身体が綿毛のように浮いている感覚があるのみ。


 最後に見たのは光のなかで、



「ああ、ものすごい珍しい『立場』を引いてしまいましたね。他の人たちは最低でも人間なのに、カウルさんは動物どころか、生物ですらないだなんて。でもウイルスなら、本当のインフルエンサーになれますね(笑)。では、いってらっしゃい」



 と手を振る女神の姿だった。

 そして気がついたら、ここにいた。


 もしかしてこれが、『ウイルス』ってヤツなんだろうか?


 ……じょ……冗談だろ!?

 こんな何にもないところで生きろってのかよ!?


 これじゃまるで、路傍の石……いや、石のほうがまだマシだよ!


 そう叫んでも、声にすらならない。

 無味無臭の空間のなかを、ただ漂うのみ。


 ああ……。

 せっかく憧れの異世界に来たってのに、これじゃ……。


 他のソウルメイトたちは、いまごろロールプレイングゲームの世界みたいな所で、楽しくやってるんだろうなぁ……。

 女神にもらったボーナススキルを、バンバン使って……。


 そこでふと思い出す。


 ……そうだ! スキルだ!

 俺もたしか、スキルを貰ったんだ!


 ボーナススキルを決定する5枚目のカードを見たとたん、ずっと穏やかだった女神が大げさに声を荒げるほどのすごいヤツだったはず。



「これはこれは……! とてもとても素晴らしいスキルですよ! ボーナススキルの中で、間違いなく最高にして最強のスキルです! これからウイルスになるカウルさんには、もったいないくらいの!」



 しかし俺はその時、4枚目に引いた『ウイルス』のカードのショックで呆然自失となっていた。


 その、素晴らしいスキルの名前はなんだったっけ?

 たしか……。



『叡智の女神、ルールルの加護』……?



 俺が頭の中でそうつぶやいた途端、



『はい、なんですか?』



 どこからともなく声がして、俺の目の前に、光り輝く妖精みたいなのが浮かび上がってきた。

 だいぶサイズは小さくなっているし、言葉は頭の中に響くみたいで変だったが、その姿と声は忘れもしない。


 さっきの女神っ!?



『はい、呼ばれて飛び出てワンダフル。なにか御用ですか?』



 なにか御用って……。

 あっ、もしかしてお前が、『叡智の女神』っ!? どうりでカードを引いたときに、あんなにベタ褒めしてたわけだ!



『いえ、本当に素晴らしいスキルでしたから、素晴らしいと申し上げたまでです。それよりも、わたくしが叡智の女神じゃなかったら、いったい何の女神だと思っていたのですか?』



 そ……そんなことより、助けてくれ! 俺をここから出してくれ!



『ここから出たいのですか? せっかく感染の手間を省いて、人体の中に送ってあげたのに』



 ここ、人の身体の中なのかっ!? 真っ暗で何も見えないんだけど!?



『当然ですよ、ウイルスに視覚はありませんから。それに聴覚もありませんから、この声はあなたの心に直接語りかけているのです』



 そ……そんなっ!? この何にも見えない聞こえない状態で、どうしろっていうんだよ!?



『それは知りませんけど、ウイルスなのですから、憑依ポゼッションしてみたらどうですか?』



 憑依ポゼッション? なんだそれ?



『細胞に取り憑くことですよ。ついでですから、ステータスの見方も教えておきますね。人間はギルドとかで見られるんですけど、ウイルスはそうはいかないと思うので、特別に』



 叡智の女神、ルールルに教えられた『ステータスの見方』は、頭の中で念じることだった。

 試しにやってみると、空間に文字と数字が浮かび上がった。



 名前 なし

 LV 1

 HP 10

 MP 10

 VP 10


 スキル

  潜伏ステルス

  吸収ドレイン

  憑依ポゼッション



 俺は学園のオタクグループとよくネトゲをしていたので、スタータスというのが何なのかは大体わかる。

 簡単に言うと、いまの俺の状態や能力を、数値や文字で表したものだ。


 LVは『レベル』で、HPは『体力』、そしてMPは『魔力』だろうな。

 VPってのはなんだろう?



『ウイルスポイントの略です。スキルは普通、MPを消費して発動するのですが、一部の強力なスキルはVPを消費します。また、スキルをパワーアップさせるのにも使います』



 聞いてもいないのにルールルが教えてくれたので、ちょっとビックリしてしまった。

 よく考えたら、彼女が俺の心に話しかけているということは、俺の心も聞き取れるというわけか。


 そう考えただけで、目の前の妖精は『そうですよ』と即答する。


 心を読まれてるみたいでなんだか気持ち悪いが、しょうがないか。

 っていうか、そんなことよりも……。


 こんなのがわかってもどうしようもないんだよ! まわりが見えるようにはならないのかよ!?



『しょうがないですね。では、特別に『擬世界化』してさしあげましょう』



 疑世界化? なんだそりゃ?



『いまカウルさんがいる場所が、仮想イメージとなって見えるようになるということです。ウイルスには五感はありませんので、あくまでわたくしの五感を通し、フィルターにかけたものになってしまいますが』



 目が見えるのようになるのか!? そりゃいい! すぐにやってくれ!



 すると、妖精のルールルが、色を持ったかと思うと、



 ……ブワァァァァァァァッ!!



 彼女を中心として、暗黒が剥がれてく。

 サビがそぎ落され、奥にあった輝きでピカピカに戻った鍋のように、明るい光に満たされる。


 青い空に浮かぶ白い雲、吹き渡る風に乗って運ばれてくる雑多な匂い。

 石畳が敷き詰められた大通りには、レンガ造りの家が建ち並び、多くの人々が行き交っていた。


 ルールルは、人体の中だと言っていたのに……。

 どう見ても、中世ファンタジーのような街の中だった。


 俺が思うより早く、ルールルが教えてくれる。



『さきほども説明しましたが、ここは人体の中です。でも、そのままの血管や細胞などを見てもつまらないでしょうから、この世界の街中風にアレンジしたイメージ映像にしてあります』



 そういうことだったのか!

 おおっ、すげぇ……! これだよこれ! 俺が求めていた異世界は!


 ラノベやゲームそのまんまの風景に、俺のテンションは爆上がり。

 はしゃいでいる俺を見て、ルールルは哀れっぽく言った。



『これはわたくしが見せている幻覚で、ニセモノなんですよ? カウルさんが求めているホンモノは、この身体の外にあるんです。でもカウルさんは、この肉の檻の中で閉じ込められたままで、一生そのホンモノに接することはできないんです』



 そんなことはわかってる。

 でもそんなことはどうでもいいんだ。



『どうでもいい……? カウルさんにとって異世界というのは、ニセモノでも構わないほどの、薄っぺらい憧憬だったのですね』



 違うよ。そりゃホンモノのほうがいいさ。

 でもこれは、お前が出してくれた世界なんだろ?


 お前は、人間のグロい体内をそのまま俺に見せることもできたはずだ。

 多分そのほうが、お前にとっても楽なはずだろうからな。


 しかしわざわざ、この世界の街中風にアレンジしてくれたってことは……。

 俺がウイルスになって落ち込んでいたのを、お前なりに励まそうとしてくれたんじゃないのか?


 するとルールルは、『なっ……!?』とあからさまにうろたえる。



『べ……別に、そういうのではありません。勘違いしないでください。カウルさんがより惨めな気持ちなるだろうと思って、そうしただけです。そんなこともわからないだなんて、これだから愚劣な元人間は……』



 まあ、なんでもいいよ、ありがとうな。

 と俺が心の中で思うと、妖精はプイとそっぽを向いた。



『喜ぶのはまだ、早いと思いますけど』



 またまたそんなこと言って、素直じゃないんだから。

 俺はツンデレ風の女神をよそに、街中をキョロキョロ見回していた。


 そしてふと、近くにあった建物の窓ガラスに、何かが映っているのに気付く。


 それは、抜ける前のタンポポみたいに丸っこくて、宙に浮いている。

 見るからにフワフワしているソイツのそばには、妖精姿のルールルが。


 ……この、フワフワしたの……。

 もしかして、俺っ!?

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