17.空白の進路希望
教室の自分の机の上へと置いたプリントを眺めながら右手で首を掻く。進路希望調査と書かれたそのプリントには、第一から第三まで希望進路先を書く欄があったけれど、そのどれも空白なまま何も書けないでいた。提出期限は今週末だったけれど、いまだにこんな有様で、適当に書いても良いかなとは思いながら、なんとなく気乗りがしなくて、もう一度首を掻いてため息をついていた。
首を掻いていた手を目の前へと持ってきて、その中でも人差し指へと目を向ける。前に楓に会った時に取ってもらうのを忘れていて、まだマニキュアが残って赤く色づいている。とはいえ、日が経つうちにどこかへと擦ってしまったのか、所々が剥げてボロボロになり始めてしまっていた。欠け気味のマニキュアを眺めながら、ふいに楓の顔が浮かんできて、彼女が美術館で
『将来服のことに関わりたいな』
と、言っていたことを思い出す。行きたい大学すら決まらずにいる自分とは大違いだと感じてしまう。
そのまま爪を眺めていると、教室の前の方から席へと戻ろうとしていた木槿さんが、こちらの様子に気が付いて顔をのぞかせてくる。
「また妙に悩んだ顔して、どうかしたの?」
聞かれて一瞬目をそらしてしまいながら、まあ良いかと視線を直して木槿さんへと顔を向ける。
「進路希望調査のプリントが書けてないから。どうしようかなって。」
ああ、と頷いて木槿さんは自分の席へと横掛けに座った。
「大学とか言われても、まだ何かピンと来ないよね。」
そう言いながら木槿さんは座った椅子をずらして、こちらに体を向けてくる。
「木槿さんは、将来の夢とか何か考えてるの?」
「私?私は将来の夢とかないかな。ぼんやりしてる。」
「そう。」
なんとなく安心して呟くと、木槿さんは「あ、でも」と言葉をつづけた。
「最近はちょっと決めたことがあって、一応勉強だけはしてるかな。」
「ふうん?なにするの?」
「何するってわけじゃないけど、えっと……友達と一緒の大学に入りたいかなって……。」
言葉を濁しながら、木槿さんは視線をあらぬ方向へと逸らしていた。余りにも普通の女子高生みたいなことを、何とも恥ずかしそうに言うのが微笑ま足くて、なんとなく頬が緩んでしまう。
「それは良い目標だね。」
「ありがと。まあ、どんな職業につきたいとかは、まだ全然ないけど。」
「私も。それが全然思いつかなくて今困ってる。」
そう言ってみると、木槿さんは意外そうな表情を浮かべてくる。
「そうなんだ。桐谷さんは文学部に行って小説家にでもなるのかなって勝手に予想してた。」
「小説家?どうして?」
「桐谷さん、いつも本読んでるから。」
そう言われると、確かに本は読んでいるけれど、だからと言って小説家になるというのは少し話が飛びすぎているように思える。
「うーん……私、小説は読むの専門だから、書くってのはないかな。」
「そうなんだ。大学の文学部とかにも興味はない?」
「文学部に行くのも、少しは興味あるけど……じゃあ文学部に入って、それで将来何になれるのかな?」
言いながら窓の外を眺める。空は思いのほかに晴れていて、鳥が何十匹も編隊を組みながら飛んでいくのが見えた。つられたのか、同じように木槿さんも外へと視線を向けて、「どうだろう」と呟く。
「研究者とか。あと先生とか?」
そう木槿さんは言葉をつづけた。
「教師か……将来の夢って感じにはならないかな。」
ふっと溜息を漏らす様に、言葉に出すと木槿さんはちらりとこちらへ視線を向けてくる。
「どうして?」
「先生とか見てて、憧れるなって感じにならないし……。」
そこまで口に出したところで、不意に、前の前に楓へと会った時、モデルの先輩の撮影風景を眺めながら、彼女が羨望の眼差しで「憧れてる」と呟いたことを思い出してしまう。ああ言う風に純粋に何かに憧れを感じてやってみたいと思うことが何もなくって、楓が夢を語るのは羨ましくさえ感じられていて。
「そう、それは何か申し訳ないわね。」
ふいに後ろから声をかけられて、慌てて顔を向ける。
そこには国語の教師でもあり担任の露口先生が教材を小脇に抱えながら立っていた。一瞬のことで、先生が何を言っているのか分からなかったけれど、はたと教師に憧れないと言う言葉を聞かれていたのだと思い至って、すぐに軽く頭を下げる。
「すみません。そう言うつもりじゃなかったんですが……。」
隣の席では、木槿さんも僅かに気まずそうな表情を見せている。とはいえ、露口先生は特に気にしていないのか、軽く笑顔を見せてひらひらと手を振ってくる。
「別に良いけどね。教師ってそんなもんだし。」
どこか自嘲気味に笑った露口先生に、何と言って良いかわからず「はあ」と気の抜けた返事をしてしまう。先生は私の机の上に置いていたプリントを覗き見て、ははあと頷いた。
「進路希望調査でそんなこと言ってたのね。文学部に入って何になれるか?だったっけ。」
「聞いてたんですか。」
「まあね。文学部とか聞こえてきたから、ちょっと気になって。そうね……文学部に入っても、会社員にはなれるし、本を読むのが好きなら桐谷さんには良いんじゃないかしら。」
「会社員ですか……。逆に言うと、それって文学部じゃなくても良いってことですよね?」
「確かにそれはそうね。でも、得意なことなら、卒業もしやすいし、試してるうちにもっとやりたいって思えるようになりやすいし、そう言うのって悪くないと思うけれど。」
進路希望調査のプリントの空欄のままになっているところを、露口先生は、すっと指でなぞった。特に言外の意味があるのかは知らないが、どこか、決まってないなら、それぐらいで決めても良いのではと言われているような気がした。
「あの……大学行く以外っていうと何かありますか?」
「いきなり就職ってのもあるけれど、将来の夢が決まってないのに就職って話でもないのよね。」
「まあ……。」
「後は短大とか専門学校に行くとかかしら。専門学校ならなりたいものがあって、そのまま夢一直線に目指すって感じね。」
「専門学校か……。」
進路先として考えたこともなくて余り想像が付かずに、ちょっと考え込んでしまうと、隣で一緒に話を聞いていた木槿さんが、興味深そうに顔を上げて口を開いた。
「例えばどういう専門学校があるんですか?」
「カメラマンになるための専門学校とか、美容師になる専門学校とかあるけど……基本的には資格とか技術の必要な職業に直結した感じよね。」
先生がそう言うのを聞きながら、何故だか、楓がモデルとして立っているところを写真を撮る想像やら、楓の髪をセットして上げる様子が思いついてしまい、咄嗟に首を振る。その様子に気が付いたのか、先生の話を聞いていた木槿さんがこちらへと心配そうに視線を向けてくる。
「桐谷さんどうかした?」
先生も顔を覗き込ませてくるのを、首を振ってこたえる。
「いえ。なんでもないです。ただ専門学校の方が何やるかは想像しやすいかなって感じになりました。」
先生は少しだけ渋い表情を見せながらも、こちらの言葉に頷いた。
「そうね。目指すものがハッキリしていれば、分かりやすいかもしれないわね。」
そう言いながらも先生は、つぶしは効かないけれどね。と付け加えるのだけは忘れなかった。
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