15.人差し指に残る

 放課後になると、すぐに学校を出て、昨日と同じように自転車で駅前まで向かった。

 駅の駐輪場へと自転車を止めると駅の構内を通って北口の市街まで徒歩で向かう。楓と再会した本屋の近くまで来てみると、昨日写真を撮っていた白いビルの壁の前に、一人の少女が立っていることに気が付いた。ブラウンのふわっとした柔らかそうな髪形で、緑色のワンピースに黒色の上着を羽織ったその女性は、酷く顔の容姿が整って見えて、なんとなくぼんやりと頭の片隅に残っていた楓の顔の形と上手く一致した。

 彼女はふわふわとした様子で空を見上げながら、踵を何度も上げて落ち着かない仕草を見せていて、何か待ち遠しそうな、そんな仕草が妙に可愛らしくて、思わず頬が緩んでしまうの感じた。少し歩く速度を速めて、壁の前の少女へと近づいていってみると、足音に気が付いたのかこちらへと顔を向けてくる。視線が合うと彼女は、すぐにふわっと緩い笑顔を浮かべてた。

「えっと、楓……だよね?」

 近づいて、そんな風に声をかけると、ちょっとだけ彼女は目を丸くして、すぐに不満げに口を突き出してくる。

「楓だよ。分からなかった?」

「昨日と服装が違ったから。」

 そう言うと、楓は自分の服を見返して、「えっ」と至極不思議そうな表情を見せた。

「服装だけで?顔と覚えてくれてない?」

「顔覚えるの苦手だから。」

 申し訳なくてちょっと目を逸らししまいながら言うと、楓は仕方なさそうにくすりと笑った。

「まあ、遥香ちゃんは、中学校の頃から、そういうところあったよね。」

「そう?」

「クラスメイトが話しかけてきたときに、誰?とか聞いたりしてた。」

「そうだったっけ?全然憶えてない……。」

 本当に記憶がなくって首をひねると、楓はくすりと笑った。

「遥香ちゃんには、興味なかったんだよね。他人のこととか。」

「あ……楓のことは興味ないわけじゃないよ。今日も半分ぐらいは憶えてたし。」

「うん、服装が違うってことも憶えてくれてたし。」

 軽い冗談のような口調で言った楓は、どちらかと言えば嬉しそうな顔を見せる。

「じゃあ、どこか行く?」

 そう言って歩き始めようとしたところで、楓はそっと服の袖を摘まんできた。

「あ、ちょっとだけ待ってて。」

「うん?」

 くいっと引っ張られる感触に足を止めて楓の方を見てみると、彼女の視線は別の建物の一角へと向けられていた。よくよくそちらの方へと目を向けてみると、そこには昨日の楓と同じように、綺麗な服を着た女性が可愛らしそうなポーズをとっていて、カメラを持った男の人と、もう一人女性に囲われながら写真を撮られているのが見えた。

「あれって、もしかして楓と同じモデルの人?」

 そう尋ねると、楓は「うん」と頷く。

「同じっていうか、先輩。」

 先輩と言ったその女性を眺めながら、楓はどこか目を細めて口を開いた。

「憧れてるんだ。」

 ぽつりと呟いた彼女の言葉は、妙に弾んでいた。何故だか、その言葉に、そわりと胸の奥が指先ででなぞられたような気がして、少し返事に困ってしまう。

「そうなんだ……。」

 喉の奥で唾を飲み込むと、僅かにそれだけ言うことが出来た。

 よくよく目を凝らしながら、その先輩の女性を眺めてみるけれど、確かに顔は整っていて着ている服も良く似合っていた。ただ、楓と比べてどっちが美人かと問われれば、正直言って憧れるという程も差がない様にも思えた。そう思いながらも、彼女の言葉に頷いて見せる。

「確かに、美人かな。」

「うん。綺麗だけど。それだけじゃないんだ。」

「どういうこと?」

「自分の意見がしっかりしてるって言うのかな。ディレクターと話してるときも、どの服装が良いとか、この服ならどこで写真撮るのが良いかとか、自分でプロデュースできるの。」

「ふうん。」

 それがどれだけ凄いことなのか良く分からずに気のない返事をしてしまう。

 ただ、その先輩とやらを眺めている楓は、どこか表情が明るくて、写真を撮られていた時よりも綺麗にすら見えた。それが何となく嫌で、何となく羨ましくも感じた。

 眺めていると撮影が終わったようで、スタッフの二人が撤収し始めるのに気が付いた。

 ふとモデルの女性がこちらへと視線を向けてきて、楓へと気が付いたように笑顔を見せ手を振った。楓も手を振られたことに気が付いて、笑顔で手を振り返している。なんとなく、彼女のことを好ましく思っているのが伝わってくるものだから、隣に友達がいるのに一人きりになったようで、妙に寂しく感じてしまう。

 軽く手を振っていたモデルの先輩が、手を下ろしてようやく去っていったのを頃合いかと思い、楓へと声をかける。

「もう大丈夫?」

 尋ねてみると楓は名残惜しそうに手を握りながら、こちらへと振り返ってくる。

「うん、ごめんね。待たしちゃって。」

「ううん、気にしないで。それよりどこ行く?この前の喫茶店で良い?」

 楓は一瞬頷いて、すぐに首を振る。

「んー。行くのはカフェで良いと思うけど、別の所にしない?」

「良いよ。でも、どうして?」

「そっちの方が楽しくない?」

「そう?私は気にしないかな。」

 そう言ってみると、楓はふふっと小さく顔をほころばせる。

「何となく、遥香ちゃんなら、そう言うと思ってた。」

「ふうん。でも、まあ、良いよ。別の喫茶店だっけ、行ってみようか。」

 本屋のあった道から、量販店の立ち並ぶ道へと進み、そうして繁華街の外れへと向かっていく。

 楓に連れられながら主要な店が並ぶ通りから一本外れて、レンタルショップのある角を曲がった小路へと入っていく。そこからは、どこか人通りの少ない裏寂れた道が続いていて、その道の片隅に喫茶店があった。それは、大手と言うほどではないけれど、たまに街で見かけるコーヒーチェーン店の一つだった。

 店に入ってみると、カウンターに並んでいる客は少なくて、すぐに注文の番が回ってくる。

 楓がカフェラテを注文する横で、自分は昨日のカフェの苦さを思い出して紅茶を頼む。そのまま提供カウンターに行って待っている間に店内へと目を向けてみると、込みいった道に面しているせいなのか、昨日の様な学校の制服を着ている人の姿は全然なくて、どちらかと言えば、ここら辺のビルで働いているのだろう会社員やノートパソコンを打つ私服の人の姿が多いいように感じられる。

 店内を見回しているうち、すぐに提供カウンター越しが紅茶のカップが差し出されてきた。受け取って、どこに座るかと店内を見回そうと首を回すと、楓がくっと手を引っぱってくるので

「こっちいこう。」

 指をさして引っ張ってくる楓に連れられて歩き出すと、彼女は昨日と同じようなテラスの席へと向かっていた。

「楓って、テラス好きなの?」

 聞いてみると、彼女はちょっと考えるような仕草を見せる。

「うーん。好きは好きだけどね。今日は除光液使うでしょ?匂いするから、外じゃないと。」

 そう言われて、「ああ」と納得してしまう。

「除光液って、結構匂いするんだ。」

「飲食店の中で使うのは迷惑かなってぐらい。」

 テラスにあった一つのテーブルの上へとカップを置きながら楓はそう言った。

 同じテーブルへと自分もカップを置きながら椅子に座る。楓も傍らにある椅子へとバッグを置きながら、向かいの席へと座っていた。

「あ、遥香ちゃん。爪出して。」

 言われて咄嗟に両手を出すと、楓は、

「右手だけだって。」

 と、軽く笑って、こちらの右手を握ってきた。

 緩く柔らかい彼女の温かい肌の感触が掌へと伝わってくるのを感じて、妙に背中がもぞもぞしてしまう。

 右手の爪の先に塗られたマニキュアを、じっと眺めて、楓は少し頬を緩めた。

「偉いね。ちゃんとマニキュア欠けてない。」

「別にそうしようと思ったわけじゃないけど。」

 そう返事をすると、楓は分かっていると言うかのように「ん」と頷く。

「でもちゃんと残ってるの嬉しい。」

 そう言いながら、握った手を何度も触ったり、爪の先へと触れてきたり、楓は爪を眺めてにこにこと笑顔を見せる。別に彼女からそうされることに不快感はなかったが、むしろなんだか、妙に胸がそわそわするような気がしてしまい、早く作業を進めてほしくなって口を開いた。

「楓。そろそろマニキュア取ってくれない?」

「あ、うん。そうだったね。」

 思い出したように頷くと、楓は傍らの椅子の上へと置いていたバッグの中を探ってポーチを取り出した。そのポーチの中から楓は更に一本の化粧品の瓶を取り出す。

「それがマニキュアを取る薬?」

「薬っていうか化粧品だよ。除光液っていうの。」

 もう一つポーチから取り出したコットンのシートに、その瓶の中身を含ませると、楓はそっとこちらの小指へと手を添える。優しく支えるような手つきで、小指へと触れられながら、彼女は右手に持ったコットンを爪の表面へと当てた。

「ちょっと待っててね。」

「ん?」

「除光液を馴染ませるから。」

 30秒ほど時間をおいてから、楓は当てていたコットンですっと爪を撫ぜさせた。コットンの触れていた部分から綺麗にマニキュアが落ちて、爪の地色が現れる。

「まだちょっと残っているね。」

 僅かに爪の端に残っていた小さな欠片を更にコットンで拭って落としていきながら、楓は小さく溜息を漏らした。

「本当に、もったいないなあ。」

 ぽつりと口の中ら零す様に言った楓の寂しそうな言葉に、彼女の気持ちは伝わってくるのが分かる。

「でも、私がこんなのつけてても、どうせすぐボロボロになるからし。それにさ。うちの学校はマニキュアは校則違反だから。」

「そっか……。」

 眉尻を下げて寂しそうな表情を浮かべながらも楓は諦めたように一つ二つ小さく頷いた。楓はもう一度だけ溜息をつくと、握っていた小指を掌で支えながらまじまじと見つめる。

「それにしても、マニキュア塗ってた時から思ってたけど、遥香ちゃんの指は綺麗だよね。」

「そんなことないと思うけど。」

「そんなことあるよ。」

 そう言いながら、こちらの小指に楓は自分のするりと小指を絡ませてくる。

 その行為に、思わず首を傾げてしまうと楓は楽しそうに指を振る。

「指切げんまんってあったよね。遥香ちゃんはやったことある?」

 何を言い出すのかと思えば、何んとも子供っぽいことを言い出して、少し虚を突かれた気分になる。

「ないかな。男子がやってるのは見たことあるけど。」

「折角だし、私と遥香ちゃんとで、何か約束しない?」

「良いけど。何を?」

「何でも。」

 小指を結んで腕を振りながら、まだ楽しそうに楓は微笑んでいる。

「じゃあ……来週も会おうとか?」

「うん、それも良いね。でも、折角の指切りなんだし一生続くのの方がいいかな。」

「一生って………例えば?」

 尋ねると、楓はちょっと考える素振りを見せる。

「えっと。例えば、ずっと、友達でいようね。とかどうかな?」

「ずっとは約束できないかな。」

 楓の指に引っ張られそうになる小指をくっと引き留めて、そう返事をすると、楓は不満げに唇を突き出して見せてくる。

「ええ~。」

「だって、昨日まで全然会ってなかったのに、一生友達とか約束できる?」

 そう返事をすると、楓は仕方なさそうに眉を下げながらも笑う。

「やっぱり、遥香ちゃんは、そう言うこと言うよね。」

「なにそれ。」

「じゃあ、来週会うのでも良いから。約束しよう?」

「ん、それなら。じゃあ、今日と同じ曜日で良い?」

 楓は頷いて、ゆびきりげんまんと歌い始める。ゆっくりと揺れ始める彼女の指の動きに合わせて腕を振るっていると、楓は最後に指切ったと呟いて、それでようやく小指をするりと離した。

「ふふ、楽しみ。」

「それより楓、何か忘れてない?」

「え?」

「マニキュア。」

「あー……やっぱり他の爪のもとっちゃうの?」

「そりゃ、ね。取って。」

 渋々といった表情で楓は新しいコットンシートを手に取ると、それに除光液を浸していく。

 わざとらしく彼女は一つ溜息をついて、今度は薬指の爪へとコットンシートを当ててくる。そのままただ待っているのも何だからと、何となく彼女へと質問をぶつける。

「そう言えば、楓ってどこの高校に行ったんだっけ?」

 楓は指を見つめていた顔を上げて、首を傾げた。

「ん、どうしたの急に。」

「マニキュアをつけてたのがクラスメイトに見つかって。友達に塗ってもらったって言ったんだけど、その時にどこ学校の子って話になってさ。」

「へえ、友達に私のこと話してくれたんだ。」

 何故だか楓は嬉しそうな表情を見せる。

「うん。それで憶えてなくてごめんだけど、どこだっけ?」

「聖林学園だよ。」

 答えながら楓は当てていたシートで薬指の爪を拭った。綺麗にマニキュアがとれたのを確認して、満足そうに頷くと楓はすぐに中指にもシートを当てていく。

「聖林学園って確か私立の……制服がオシャレなところだったっけ?」

 今日、柚木さんと木槿さんに聞いたことを思い出しながら楓へと顔を向ける。

「そうそう。それ狙いでくる子が多いから、みんなスタイル良いし綺麗だしで、ちょっと憂鬱になるくらい。」

「楓ぐらい綺麗なら学校の中で一番でしょ。」

 ふいに、楓はどこか揺らがせていた指の動きをぴたりと止めて、顔を上げてこちらの目をのぞき込んでくる。

「今、綺麗って言った?」

「まあ、綺麗だと思ったよ。どうかした?」

「遥香ちゃんが、私のこと綺麗って言ってくれるって思ってなくて。」

 屈託もなく楓は嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「モデルが何言ってるの。学校でも言われてるでしょ?」

「遥香ちゃんに言われるのが一番嬉しい。」

「はいはい。」

 軽くあしらうつもりで手を振るって見せるが、それでも嬉しそうな表情を残して楓は中指の爪をシートで拭っていく。

「楓は部活とか入ってるの?」

「モデルがあるから部活はやめちゃった。」

 言いながら楓は人差し指を飛ばして親指へと除光液を含ませたシートを当てた。

「へえ、何部入ってたの?」

 親指を握ったまま、楓は顔を上げた。

「何か遥香ちゃん、質問ばかりだね。遥香ちゃんから話したいこととかないの?」

「話たいこと?えっと、どうだろう……。」

「今、興味のあることとか。」

「読んでる本の感想とかなら……でも、楓読んないから感想言っても分からないでしょ?」

「うーん、そうだね。多分、分からないと思う。」

「ほら。」

「でも、友達が話してくれるだけで嬉しい時とかあるでしょ?」

 シート越しに親指を握ったまま、楓はそう言って顔を覗き込ませてきた。彼女の嫌になるほど整った顔で上目遣いに見つめられると、妙にどきりとしてしまって、「どうかな」と返事をしながら思わず目を逸らしてしまう。

「ただ、少なくとも楓と話をしてるのは楽しいけど。」

 そう言うと、楓はくすぐったそうに肩を揺らして微笑んだ。彼女はすっと親指に触れさせていたシートを引いて爪を拭った。綺麗にマニキュアの取れた爪を眺めながら、「うん」と楓が小さく頷く。

 ふいに、ぶっとバイブの振動音がした。

 一瞬、自分のものが鳴ったのかと思ってポケットへと手を突っ込んでいると、目の間で楓もバッグの中からスマートフォンを取り出していた。スマートフォンの液晶へと目を向けると、自分の方には何も通知が入ってなかった。自分の方が鳴ったのではないと悟り、楓の方へと視線を向けると、彼女は画面を眺めながら、ちょっと困ったように眉尻を下げてため息をついた。

「ごめん、遥香ちゃん。」

「どうかした?急用?」

「うん。なんかディレクターから連絡が来て、時間ができたから今から写真撮れないかって。行っても良いかな?」

「私は別に良いけど……。事務所ってこの近くにあるの?」

「えっとね、この前行ったカフェあったでしょ、あの手前のビルにあるの。」

「へえ、あんなところにあるんだ。あそこら辺何度か通ってたけど、全然知らなかった……。」

「看板出してるわけじゃないし。あそこら辺は人通りが多いから、ちょっと騒がしいけどね。あ……、と、残りの人差し指のマニキュアどうしようっか?」

「まあ、これくらいなら絆創膏で隠せるし良いよ。残しておく。」

「あ……うんっ。ありがとう。じゃあ、また来週ね?」

 慌ててポーチの中身を片付けて、バッグへと突っ込むと、殆ど飲んでいない珈琲のカップを手に取って、楓は席から腰を上げた。

 そうしてもう一度

「来週の今日だからね?今日と同じところで。」

 と、念を押してテラスの席から、道路の方へと走って去っていった。

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