11.特別な友達に
翌日の授業の合間の休み時間。昨日上手く寝付けずに、眠たくてむずむずと痒く感じる瞼を擦りながら、自分の机に突っ伏してしまっていた。窓から差し込んでくる光を眩しく感じて顔をそらすと、ちょうど目の前で桐谷さんが体をかがめて顔を覗き込ませてきた。ウェーブのかかった髪を揺らぎ、くりくりとした瞳が、こちらの目を眺めてくる。
「どうしたの?今日もなんか凄い顔してるよ。」
「うーん……昨日眠れなくってさ。眠いの。」
「なに?ゲームでもやってたの?」
「私ゲームやんない……。」
ぽつりと呟くように返事をすると、横から急に柚木さんが体を乗り出してきて、口を開いた。
「うっそ。葵ちゃん人生損してるよ。」
そう言って柚木さんは、慌てて机の中からスマートフォンを取り出したかと思うと、何やら液晶を何度もタップしていき、すっとアプリが起動させると、こちらへ画面を見せて来る。
「ほら、これとかやってみない?確か葵ちゃんってバスケ部だったよね。これ、バスケのアプリゲームなんだけど。かっこいい男の子がいっぱい出てくるの。あ、でもゲームなんだけどアニメとかじゃなくて、実際の男性アイドルが出てくるの。それでデートとかできたりして。」
そのゲームらしきアプリが映る画面を指さしながら、柚木さんは早口でどんどんとそのゲームの内容を説明してくれる。何かを勧めようとしてくる人はみんな早口だ。それはきっと、どんな人でも、どういうジャンルでも同じような気がする。
「いいよ。やらないから。」
机に突っ伏しながら説明を聞いていたけれど、さすがにもう限界と言う感じになって手を振って見せると、柚木さんは「えーっ」と不満そうに声をあげながらスマートフォンを降ろした。その態度に呆れたように桐谷さんは肩をすくめながら、そのまま、今度はこちらに心配そうな顔で視線を向けて来る。
「それで何で寝てないの?」
「んー……なんか眠れなくて。」
眠れなかった理由は自分では分かっていたけれど、それを素直に他の人へと言うのを躊躇ってしまう。
「体調悪いの?昨日もそんな感じだったよね。」
「そういうんじゃないんだけど……。あのさ。聞きたいことがあるんだけど。」
「なに?」
尋ねようとした桐谷さんは勿論のこと、その横からなぜだか柚木さんもこちらの顔を覗き込んでくる。まあいいやと、二人に向かって考えていたことを尋ねる。
「友達にさ。綺麗とか、可愛いとか、言われることってあるよね?」
そう言うと、何故か二人は眉間に皺を寄せて怪訝そうに、こちらを見詰めてきた。
「なに?自慢?」
「言ってほしいの?」
二人の言葉に、そう言う風にも感じられるかと慌てて首を振る。
「そうじゃなくて……友達同士で、そう言う風に言ったり言われたりするの、普通のことだよね?って話。」
「まあ、冗談って言うか、その場のノリ見たいので言い合ったりすることはあるかな。」
あどけない調子で言った柚木さんの言葉に、桐谷さんはちょっと首を傾げて考えるようにしながらも、すぐに頷いた。
「まあ、あるかも。」
二人の反応を見て、
「そうだよね」
と、言いながら、教室の天井を仰ぐと大きく息を吐いた。
「本当にどうしたの?」
「んー……。」
唸りながら、今考えていることを、せめて何か言葉にしようかと考えていると、教室の前扉が音を立てて開かれて、室内に先生が入ってくるのが見えた。次の授業は、厳しい国語の先生の授業で、みんな慌てて机に向かって教科書やノートの準備をし始める。桐谷さんも柚木さんも、それに合わせて自分の席へと戻ると、こちらに一度だけ視線を向けて、ごめんと言うように手を差し出してきた。
それに手を振って「大丈夫」と小声で返事をすると、それで話は途切れてしまった。
むしろ言わなくて良くなって、逆に助かった気持ちになりながら、自分も机の中に入っている現代文の教科書とノートを机に出していく。すぐにチャイムが鳴って、学級委員長が起立の号令をかけると、生徒全員が立ち上がり、礼と言う号令に合わせて、ぼそぼそとした「よろしくお願いします」と言う念仏のような声がして各々に席へと座っていく。先生も気にしていない様子で、すぐに生徒達に背を向けると、黒板にカリカリとチョークを軽い音を立てて文字を書き込んでいく。合わせるようにして、周囲からシャープペンシルでノートへと文字を刻む音が響いてくる。
自分も一旦、筆箱の中からシャープペンシルを取り出すと、その頭を押して芯を出しながらも、板書に手を付けるのが億劫になって、どこか呆っとした気持ちで黒板から教科書へと目を落とした。今開いている現代詩の内容は興味がなくて、パラパラとまだ授業のやっていない先にページを開いていく。数枚捲ってみると、小説が書かれているページに行き当たって、なんとなくこれで良いやと言うように、その話へと意識を向けていた。
話の内容は、教科書らしく途中からだったけれど、大体のあらすじは東京に出てきた青年が、その暮らしの中で、一人の女性に心惹かれて懊悩していくと言う青春みたいな内容で、それが読みやすい軽快な文章で書かれていたので、するするとページを進めていってしまう。
そうして、ふと、読んでいた小説の一説に目が止まった。
「ストレイシープ……。」
一人の女性に胸を煩わせる少年が、何度も頭の中に浮かばせては口にするその言葉を、自分も思わず呟いていた。迷える子と言う意味の、その英語は、何となく今の自分に一番適してる言葉の様な気がして、目を離すことが出来ずにじっと見つめてしまう。
「ストレイシープ。」
もう一度呟きながら、教科書に印刷されたその一文を指先でなぞる。
ふっと、溜息が漏れた。
軽く首を振るうと、そのまま教科書を読み進めていく。幸いにも、授業で当てられることもなく小説を読んでいるうちに、授業は直ぐに終わってしまった。先生が教室から立ち去っていき、どこか安堵した雰囲気が教室中に広がっていく中で、途中までしか読めなかった教科書を閉じて机の中にしまっていく。そのまま次の授業の教科書を出してしまおうと時間割を眺めたところで、次が芸術の選択授業であることを思い出した。
気が付けば、クラスメイト達もそれぞれの選択した教科ごとに、みんな連れ立って教室を出ていっていた。
「音楽室に行こう?」
同じ音楽の授業を選択した桐谷さんが呼ぶのに「うん」と応えて、自分も音楽の教科書と筆記用具を抱えると、他の女子たちと一緒に教室を出た。
授業と授業の間の休み時間、廊下は別のクラスの子達が教室の外で屯していたり、じゃれあったりしていてごった返していた。人波の合間をぬって廊下を歩き階段へとたどり着くと、そこだけは学年と学年の境目の場所だからか急に人が居なくなる。三階の端にある音楽室へと向かうために、階段を上ろうとすると、上から誰か人が階段を降りてくる足音が聞こえて、顔を上げた。
そこには最近見慣れた強い癖っ毛頭をした女子の姿があった。
毎度のように上下に大きく揺れながら階段を下りてくる柊さんは、逆に音楽の授業から教室に戻るところらしくて、彼女も音楽の教科書を左手に抱えているのが見えた。
彼女の顔を見た途端、昨日のことを思い出されて、私は階段を上りかけていた足を止めてしまっていた。
「どうかしたの?」
急に立ち止まったことを不思議に思ったのか桐谷さんが、振り返ってこちらへと顔を向けてくる。
「あ、えっと……ちょっと忘れ物して……先に行っててくれる?」
「ん?うん、別に良いけど。教科書とか先に持ってこっか?」
「ううん。別に大丈夫。」
首を振ると、それで納得したのか、歩き始めた桐谷さん達がみんなで階段を上っていく、その横をすれ違って柊さんは降りてくる。二階と三階の間にある踊り場まで降りてきた所で、ようやく柊さんはこちらに気が付いたようで「あっ」と小さく声が漏らしたのが聞こえてきた。
「木槿さん。おはようございます。」
癖の強い髪をふわりと揺らして、柊さんはこちらにふっと柔らかい笑みを浮かべてきた。
「う、うん。おはよう。」
ちょっと言葉に詰まってしまいながら、自分も踊り場まで上がってしまうと、柊さんの近くへと歩み寄っていく。やっぱり、彼女を顔を見ていると、何故だか胸が落ち着かずに心拍数が早くなっていくような気がしてくる。
「あの、じゃあ……。」
「え?」
ぺこりと頭を下げて柊さんは、そのまま私の横を通り過ぎて踊り場から下り階段へと向かっていく。
それを思わず呼び止めてしまう。
「あ、あの、柊さん。」
「え?あ、はい。なんでしょう?」
こちらの呼んだ声にすぐに反応して、柊さんは足を止めると、こちらへと顔を向ける。きょとんとしていて、何か用があるのだろうかと、こちらの顔を窺っている。瞳をのぞき込まれてくるようで、その表情に、また僅かだけ心拍数が高くなっていくのが分かる。
「あ、えっと……。」
自分から呼び止めてしまいながら、何を言おうかと戸惑って言葉に詰まってしまう。実際の所、彼女に何か用があったわけでも、特に言いたいことがあったわけでもなく、ただなんとなく呼び止めてしまったから、すぐに言葉が出てこずに慌ててしまって、視線が右往左往してしまう。
「……木槿さん?」
「その、なんていうのかな……。」
何か言うことを探そうとして、柊さんの顔へと視線を向ける。
踊場へと差し込んだ日差しを受けて、柊さんは丸っこい目をこちらへと向けて見つめてきていた。その姿を眺めていると、余計に胸が落ち着かなくなって、向けた視線を直ぐに逸らしてしまう。
「あのね……。」
「あ……すみません……木槿さん。」
一瞬、寂しそうな声が聞こえた気がして、慌てて顔を柊さんへと向けた。その顔は何故だか今にも泣きそうな程に辛そうな表情を見せていた。
「もしかして、私なにか嫌われるようなことしてしまいましたか?」
「え……?」
唐突なその言葉に、思わず固まってしまう。
何を言ってるのか一瞬理解できなかったけれど、柊さんは冗談のつもりでもないようで、その目端は僅かに潤みはじめ、徐々に彼女の顔は俯き加減に傾いていった。
「あの……私、そういうこと全然分からなくて。」
震える声でそう言った柊さんは、落ち着かないように癖の強い髪をかきむしりながら、もう一方の手をぎゅっと強く握りしめて、溢れて来る感情をグッと堪えているように見えた。
「ち、違うよ。なんで、そんな……。」
否定する言葉を口にしても柊さんは、目を赤くしながら、首を振り、ぐすりと鼻を鳴らした。
「でも……。」
その声はしゃくりあげるような吐息で詰まり、何度も喉を鳴らしながら柊さんは言葉を続けていく。
「今日の木槿さん、いつもと何か違います……。」
「それは……そうだけど……。」
「中学の時も、そんな風に友達の態度が急に変わったことがあって……。」
言いながら柊さんは、ぼろぼろと涙を零し始めていて、頬を伝う雫を袖口で拭いながらも、何度も溢れて来る涙は顎を伝って、顎から滴がいくつも落ちていった。ぽたっぽたっと踊り場の床へと落ちて、僅かな水滴を作った。
「私……私、木槿さんに嫌われたくないんです。」
「違うよ。私、柊さんのこと嫌いになんかなっていない。」
ぐしゃぐしゃに泣き出している柊さんの姿に、もう耐えられなくなって、細くなって揺れている彼女の肩をくっと掴んだ。その感触に、柊さんは涙で俯かせていた顎を上げて、こちらへと顔を向けて来る。一瞬しゃくって体が揺れて、僅かに拭うのを止めた手に気が付いて、その掌をくっと掴んだ。少しだけ逃げようとした、その指を強く掴んで、ぎゅっと掌を重ね合わせていく。
ぽろりと目端から落ちて頬を流れていく雫を一つ、指先で拭って、涙に屈折して歪む柊さんの瞳を覗き込んだ。彼女は息をのんで、口を開く。
「木槿さん……。」
「あのね、柊さん……。私と友達になって。」
「えっ?」
一瞬柊さんの顔が強張った。思い切って言葉に出してみて、それが自分でも言うことを間違えてしまった気がした。ただ、それでも、その言葉は本心で、涙を拭った指先を頬へと触れさせながら真剣に彼女の瞳を見詰めて、言葉を迷わせながらも口を開いた。
「えっとね……。違うの。今までもちゃんと友達だと思ってたけど、本当の友達に、特別な友達になりたいの。何て言うんだろう……そう言うのって何て言うのかな……。」
「親友……ですか?」
握っていた柊さんの手がもじりと動いたかと思うと、ゆっくりと指先が甲まで回ってきて、しっかりと手を取り直してくれるのが分かった。
しゃくっていた彼女の体は、動きを止めて、少しだけ頬を赤らめながら、こちらを見上げてきていた。
「親友かぁ……。」
唇を真一文字に結んで、親友という言葉を口の中で噛みしめていく。ベストフレンドとか、心友とか、色んな言葉があるけれど、そうじゃなくて親友って言うあたりが柊さんっぽいと感じて少しだけ頬が緩む感じがした。
「親友かもしれないし、そうじゃないかもしれない。私ね。柊さんとずっと一緒に居たくて。帰る時も、来年も、卒業してからも、ずっと一緒に居たいの。だから今も呼び止めちゃって。何も話すことなかったのに……。こういう気持ちって、何て言うんだろうね。」
ずっと握っていた彼女の掌に、もう片方の手も重ねると、より強くぎゅっと握りしめた。柊さんは僅かに身を捩って、ほうっと息を漏らす。彼女の細い腕へと触れ合う程に体を寄せていくと、ふっと肩の先が触れて体が熱くなる。
「柊さん……だめかな……。」
僅かにためらって、どこか気恥ずかしく思いながら柊さんの顔を見ると、彼女はまだぽろぽろと大粒の涙を流していた。
「どうして?柊さん、嘘じゃないよ……。」
「あ……違うんです……。これは、嬉しくて。」
ぐすっと鼻を鳴らして、柊さんは目の涙を何度もぬぐいながら、涙を止めることが出来ずにぽろぽろと雫を零していく。それでも、柊さんは笑顔を浮かべ、ぎゅっと手を握り返してきた。
「あの……これからずっと……よろしくお願いします。」
嬉しそうに涙を流しながら柊さん、小さく頭を下げた。
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