7.その原因は

「ねえ、柚木さん。柚木さんは柊さんと同じ中学校だったんだよね。」

「マドちゃん?」

 あどけない口調でそう言って柚木悠は首を傾げた。

 翌日の学校の朝のホームルーム前、木槿葵は登校してきて隣の席に座った柚木悠へと話しかけていた。

 他の生徒たちは各々に鞄の中身を机へと仕舞い込んだり、友達と話し込んだりしていていて、丁度、昨日話しかけてきた、桐谷遥香も登校してきたけれど、こちらが柚木さんと話をし始めたのを見て、何も言わずに席について本を読み始めた。

「えっと、ううん……じゃなくて、えっと、そう、柊さん。」

 マドちゃんと言うのが一瞬分からなくて戸惑いながらも、誰のことか思い出して頷く。

 柚木さんに声をかけたのは向ヶ淵中学校の出身だということを知っていたからで、柊さんが中学校でどんな感じだったのかを聞きたかったからだった。あまり他人の過去なんてものを勝手に探って良いことなのか、よく分からないけれど、何となく、昨日柊さんが体調を悪くしたのは、それが原因だと思えたからだ。

「じゃあ、柊さんの中学校の頃のこととか知ってたりする?」

「んー……私はあんまり詳しく知ってるわけじゃないけど。別のクラスだったし。」

「まあ、なんか知らない?」

 軽い気持ちで尋ねてみると、柚木さんはどこか含むものがあるようで、妙に渋い顔を見せる。僅かばかり椅子を揺らして、ガタガタと音を鳴らしながら、言い躊躇うように口を開いた。

「知らないことはないけど……。」

「なに?何かあったの?」

「……あんまり私が言ったとか言わないでよ。」

 話好きの柚木さんがあまりにも言うのを渋るものだから、僅かばかり聞くのが怖くなってしまいながら息を一つ飲んで頷く。

「うん、分かった。」

「なんかね。マドちゃん、虐められてたみたい。」

「いじめ!?」

「ちょっと……。」

 思わず上げてしまった声に、柚木さんは周囲の目を気にして、ボリュームを下げるような手つきを見せた。幸いと言うか、無関心と言うか、周囲を確認してみると、他のクラスメイト達は全く気にしなかったようで、こちらへと視線を向けている人はいなかった。

「ごめん……それで、柊さんが虐められてたの?」

「うん。まあ見たほうが早いと思うけど……。」

「見る?」

 見るって一体何のことかと思っていると、柚木さんは机の横にかけた学校指定の鞄の中からスマートフォンを取り出した。

「うん……えっと……ほらこれ。」

 そう言って柚木さんが差し出してきたスマートフォンの液晶には、良く見慣れたメッセージアプリの履歴画面が映っていた。友達やクラスメイト、部活の仲間なんかで連絡を取るのにみんなが使っている、メッセージ交換用のアプリだ。

 メッセージが並ぶ中、履歴画面の真ん中には動画が映し出されていて、そこには見慣れた癖の強い髪の女子中学生が映し出されていた。今よりも幼げだけれど、それは間違いなく柊さんの顔だった。

「なにこれ動画?どうして柊さんが?」

「良いから、見てて。」

 画面の中の柊さんは学校の床に座っているようで、その周囲には誰かが立っているのか無数の足が並んでいた。どこか怯えてるように視点が定まらず、柊さんの顔は右へ左へと絶えず向きを変えていた。

『あの……。』

 動画の中で、柊さんの口が動き、そう言っているように見えた。

 途端、柊さんの顔が跳ねるように向きを変えた。

 それが、彼女が顔を叩かれたからだと分かったのは、数秒後だった。

「なっ……。」

 思わず声を挙げてしまいそうになった瞬間、すっと画面の枠内に一本の足が現れた。その、学校指定だろう上履きを履いたハイソックスの足は、ゆっくりと伸びて、柊さんの頭上へと思い切りに乗せられた。もはや、声も出せずに唖然としていると、柊さんは乗せられた足に強いられるようにして頭を下げていく。一度床まで下げられた頭は、今度は顎へと伸ばされた足で顔を無理やりに上げさせられ、そしてついには、その口へと上履きが突っ込まれた。

 その行為の間、柊さんはずっと泣いていて、最後には鼻水まで流して顔中ぐしゃぐしゃになっていた。

「なにこれっ……。」

 余りの光景に困惑しながら体を引くと、これ以上は無理だろうというように、柚木さんはすっとスマートフォンを自分の胸元へと戻して画面を見えなくした。

「三年の夏だったかかな、笑える動画って送られてきて。」

「なにそれっ!」

 思わず声を挙げていた。

 周囲のクラスメイト達の話す声が一瞬消えて、こちらへと視線を向けて来るのが分かった。ただ、それも、その瞬間にはどうでも良く感じられていた。

「その動画、消してっ。」

「私のスマホで消してもグループの動画は消えないよ?」

「良いから、消して……。」

「分かった。」

 怪訝な顔をしながらも柚木さんはスマートフォンを操作していく。

 貧血になったように指先がジンジンと痺れ、頭がくらくらとしてくるのを感じながら、どうして自分がこんなにショックを受けているのか分からずに、それでも湧いてくるもやもやとした気持ちを歯を噛みしめて堪えながら、柚木さんを眺めていた。

「消したから、もうそんな目でこっち見てこないで。」

 大きくため息をついて、柊さんはスマートフォンをカバンの中へと仕舞い込んだ。

「うん、ごめん……。」

「言っとくけど、私が虐めてたわけじゃないからね?」

「分かってる……ごめんね、変なこと言って。」

「葵ちゃんはさ。マド……あー、その柊さんと友達なの?」

 頭にじんじんと射すような痛みを感じ始めて眉間を抑えていた私に、柚木さんは躊躇いがちに尋ねてくる。

「うん……友達……だと思う。」

「じゃあ、変なことじゃないよ。多分。それは普通なんだよ。」

 ぽつりと柚木さんは呟いた。

 なぜだか少しだけ頭痛が和らいだ気がして、顔を挙げてみると、柚木さんは窓のを外を眺めながら、険しそうな顔をしていた。

「そうなのかな?」

「そうだよ。なんかさ……中学校ってなんか怖かったよね。」

「私は……高校も怖いよ……。」

「うん。そうだね……。」

 柚木さんは頷きもせず、ただそれだけ呟いた。

 そうして、だからこそなのかもしれないけれど、目の前にいる彼女すら何か怖くて、私はくっと唇を噛んでしまう。僅かに痺れたままで力の入らない指を握りながら、すぐに柊さんに会いに行きたいと強く感じていた。

 穏やかで優しくて、時に情けなさそうに微笑む彼女の顔を見たかった。


 そして、どうして、そんな虐められていたのに、彼女があんな優しくいられるのか不思議で仕方がなかった。

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