5.視線を感じて
雲の一つ二つ大きく繋がって、その端々が風に流されて形を変えながら、ゆったりと青い空の中を動いていく。その雲の途切れ途切れの合間から時折飛行機が白い線を描きながら現れては消える。南中から幾分か西へと傾いた太陽からは、肌に汗が滲みだすほど強く日差しの射してきて、グラウンドは敷き詰められた土の照り返すオレンジ色を立ち上る陽炎で揺らがせていた。
金属バットのボールと衝突した金音や、生徒たちの掛け声が校庭にあふれる中、そのグラウンドの片隅では、ダムダムとバスケットボールのバウンドする音がして、近くの校舎へと反響していた。
目の前でボールをドリブルしながら体を左右に動かして見せる同級生の目の前へと回り込んで、木槿葵は相手の行方を塞いだ。
ドリブルしていた腕を僅かに体の後ろへと運び、同級生が視線から隠すようにしてボールをコントロールするのを、サイドにステップを踏んで、牽制する。一瞬、同級生の視線が、コートの端を走る仲間へと向けられたのを見逃さずに、足を踏み出して思い切りに手を伸ばした。
「あっ!」
相手が気が付いて声を挙げた時には、自分の掌の中へとボールを掴み取っていた。動きの流れのままに、ボールをグラウンドへと投げつけてると、駆けだした足で、そのままドリブルで、ゴールのリングへと向かっていく。ディフェンスが追いついてくる前に、スリーポイントラインを越えると、踏み込んだ足を強かに曲げて急ブレーキをかける。それがそのままシュートへの態勢となって、身を屈め、膝のバネの反発させるに任せて、高く跳ぶと、その頂点でボールを放った。過たず狙い通りにボールは放物線を描いて、バックボードにぶつかると、ゴールのリングの中へと微かな音を立てて吸い込まれた。
そこで、丁度良いタイミングとでも言うように、練習を中断する先生のホイッスルが鳴り響いた。
「時間だ。休憩に入れ。」
顧問の先生のその言葉にチームメイトのみんなは「はーい」とテンションの低い声を挙げて、コートから出て行き始める。こちらも休んでしまおうと、乱れていた息を一度切って、大きく吸って吐き出す。そうして、ふっと体の力を抜いてストレッチがてらに上半身を左右に回し始めると、ふとコートの外から、チームメイトの小柳麗菊がパタパタと小柄な体を揺らして駆けよってきた。
「ないしゅー。」
なんとも気の抜けた声を出して手を上げながら近づいてきたので、その掌をぱちんと叩く。自分も背の高い方ではないけれど、麗菊は殊更に背が低く、彼女の上げた手が丁度こちらの顔辺りに来るために、いつもハイタッチと言うより水平タッチと言う感じになってしまう。
「最後、綺麗にカウンター決まったねえ。あれ、追いつかれないって自信があったの?」
感心したように言う麗菊に、何も言わずに、というか、まだまだ息が切れていて、何も言葉にすることが出来ず、ただ頷いた。肩を揺らして息を整えようとするたびに、額やら頬やらから溢れ出て来る汗をトレーニングウェアの袖で拭った。
まだ本格的な夏はまだまだ先だったけれど、もうすでに最近は大分昼の気温が上がるようになってきて、建物の外に出て直射日光を浴びていると、動いてなくても直ぐ様に次から次へと汗が噴き出て来たし、ましてや全力で運動すれば、すぐに体中が汗だくになってしまう。
「もう、本当に暑いよね。体育館でやらせて欲しいわ。」
ぱたぱたと手扇で頬を仰ぎながら、麗菊はわざとらしく辟易とした表情を浮かべていた。
「今日はバレー部が体育館の番だからね。」
体育館やグラウンドは狭く、使える場所が限られているため、男女のバスケット部とバレー部とバトミントン部が曜日ごとに交代で外と中のコートを使うことになっていて、今日はバレー部が体育館を使える日だった。
「ほんとさー、もうバレー部がずっと外でやればいいのに。」
「それじゃあ、バレー部が可哀そうじゃん。それに、体育館で練習の時は、それはそれで風がないから暑いって文句言ってるし。」
「そうだけどさー、そういう正論が聞きたいんじゃないのー。私は愚痴が聞いてほしいのー。分かるでしょお?」
「はいはい。確かにもう本当に暑いよね。」
「そうだよー。もー……。」
げんなりと言う様子で、麗菊は顔を渋らせて、だらりと脱力させた腕を、上半身事ぷらぷらと左右に揺らしていた。多少励ますつもりで、その肩をポンポンと叩くと、べたべたの汗が手の平にくっついてきてしまって、なんだか軽く笑えて来る。自分も再び顔に汗がにじみ出てくるのを感じて、肩で頬を拭いながら、あとどれくらい練習時間があるだろうかと校舎の時計へと目を向けると、あと1時間ほどもあるのを確認して、自分もげんなりしそうになりながらため息を漏らしてしまう。
そう言えば、昨日、これから一緒に帰ろうって話をしたけれど、彼女は覚えているだろうか、なんとなく覚えられていないような気がする、そんなことを考えながら、ちょっと気になって、そのまま校舎の技術準備室のある方へと視線を向けた。
校舎の最上階、そのグラウンド側に面している廊下の窓へと目を向けると、その視線を向けた先に丁度人が居るのが見えて、思わず目を凝らす。
「あれ、もしかして柊さん?」
癖の強い髪の毛をした特徴的な女子生徒のシルエットに、すぐに目が止まってしまう。本当に彼女だろうかと、じっと目を凝らすと、あちらもこちらを眺めていたようで、ふいに視線が合ったのを感じた。その瞬間、なぜか、その女子生徒は廊下の影へと隠れてしまって見えなくなってしまった。
「あれ……?」
「ん?どうかした?なんか見えるの?」
首を傾げてしまっていると、それを疑問に思ったのか、麗菊が肩へと手をかけてきて、私が見ている方へと視線を向けた。当然ながら、そこには何も見当たらなくて、彼女もこちらと同じように首を捻った。
「いや、見えた気がしたけど。気のせいだったかな……。」
一瞬、柊さんっぽい人と視線が合ったような気がしたけれど、もしかしたら、それ自体、勘違いなのかもしれない。
「なにが?」
「うーん……。」
「ねえ。なにが?って。」
まるで駄々っ子のように麗奈は声をあげて、腰へと抱き着いてくると、そのままぐいっと引っ張ってきた。じっとりとした腕がお腹へと触れて、ぬるりと滑った。こういう態度も、普段なら可愛らしいぐらいに感じるかもしれなかったけれど、こうも暑い時にくっつかれては、むしろ面倒な煩わしさを感じてしまう。
「暑いって。」
絡みついてくる腕が鬱陶しくなってしまい、彼女の頭に掌を当てると、力を込めて無理やりに引きはがす。すると麗菊はむっと少し膨れた顔をしたかと思うと、コートの外にいた背の高いチームメイトの方へと駆けていった。
「咲良ー。」
「なに、どうしかしたの?」
暑い最中でも思い切りに走っていった麗菊は、コートの外にいた夏目咲良のへとぶつかる様に抱きついた。咲良はその勢いをそのままに受け止めながらも、まるで気にもしないように優しく抱き返す。抱きしめてくれるチームメイトを見上げながら、麗菊は膨れた顔で唇を突き出して見せた。
「葵が冷たい。」
麗菊がそう言うと、咲良は冷めた表情で頷くと、こちらへと視線を向けてくる。私が首を振ると、彼女は分かっていたように再び頷く。
「どうせ、麗菊が面倒くさく絡んだんでしょ?」
「違うよ!」
自分を信じてもらえないことに怒っていた麗菊は余計に顔を膨れさせる。そんな様子に、咲良はいつものことのように表情を変えず、あやす様にして麗菊の頭を撫でていた。
微笑ましくて、ちょっと笑ってしまいながら、自分も体を休めようとチームメイトの方へと向かう。コートの外に出ると、すぐにマネージャーが小さなプラスチックカップを差し出してきた。中にはスポーツドリンクが入っていて、受け取ると「ありがとう」と礼を言って軽く口をつける。柑橘系の甘酸っぱい味が口の中に広がってきて、ふっと肩の力が抜けたように感じて、思わずため息が漏れた。
カップへと口をつけながら、もう一度だけ確かめるつもりで校舎の最上階へと視線を向ける。すると、さっきは誰もいなかった、廊下に特徴的な髪形の、柊さんのような女子生徒がいるのが見えた。今度はこちらを見ているわけではなくて、右へ左へと動き回ったり、しゃがんだり立ったりを繰り返しているように見えて、何をしているのだろうかと目を細めようとすると、ふっと傍らに誰かが近寄ってくるのを感じた。
「なんか、嬉しそうだね。」
「え?」
かけられた声に振り返ってみると、いつの間にか咲良が側へと近づいてきていた。背が高いのに、どこか物静かで、麗菊とは対照的にあまり気配がなく、時折ふいに声をかけられるから、微妙に驚いてしまうことがあり、今も急に嬉しそうだねなんて言われてしまい、自分が柊さんを眺めながら、どんな顔していたのだろうかと、ちょっと慌ててしまう。
「シュート綺麗に入ったもんね。」
「あ、うん。そうだね。」
勘違いした咲良の言葉に慌てて頷く。
何か言い繕おうかと思ったところで、ピーっと大きなホイッスルが鳴った。
「じゃあ、休憩終わり。練習再開するよ。」
先生が叫んだのに気が付いて、これ幸いと慌ててカップのドリンクを飲み干すと、空になったカップをマネージャーへと渡す。
「ごちそうさま。」
言いながら、コート際に落ちていたボールを手に取ってチームメイトへと投げ渡す。自分のポジションへと足を進めながら、ちらりと、校舎の柊さんの姿を探すと、やっぱり最上階の廊下にいて、なにやら壁に向かって手を伸ばしているのが見えた。こちらを全く見ずに何かしているのを眺めていると、やっぱり自分の方を見ていたというのは気のせいだったのかもしれないと言う気分になってくる。
それはそれで別に構わないのだけれど、ただ、彼女が一体何をしているのだろうということが気になって、じっとその姿を眺めてしまう。
「葵!」
呼ばれて、顔を向けると、真っすぐにボールが飛んでくるのに気が付いて、咄嗟に両手で受け取る。ちょっと冷や汗を感じながら、今が練習中だったことを思い出して、コートの中へと視線を戻した。
それから練習を続けながら、それでも気になってしまって、私は何度か最上階の廊下へと視線を向けてしまい。そしてその廊下にには、ずっと柊さんがいて、何か作業をしているようで、それを見るたびにふっと妙な吐息が漏れるのを感じていた。
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