4.お弁当
「良いですよ。持ってきてくだされば、直せるものは直しますから。」
柊さんはそんな風に言った。
放課後の技術準備室。西日を受けた室内は、昨日と同じように、機械の部品やら積み置かれたガラス張りの箱が陽光を反射して、宝石の洞窟めいた輝きを見せていた。その乱雑に物の溢れたその部屋の奥まった机の上で、最初、柊さんは昨日イヤホンを直していた時と同じように、何かの基盤にはんだをつけていた。
声をかけてみると、またそれも昨日と同じようにして慌てふためいていて、そのあどけなさに、思わず微笑んでしまいながらも、昨日のお礼を伝えた。イヤホンがちゃんと動いているかを尋ねられて、綺麗に聞こえていると伝えた後、クラスメイトが自分のも直してほしいとか言っていたことを伝えると、柊さんは先ほどのようなことを答えてくれた。
「でも、直してもらっても、お礼とかするつもりないみたいだよ。その子。」
「私は別に構いませんけどね。むしろ弄らせてもらえるなら楽しいですから。」
はんだ軽く上下に動かして、柊さんは、どちらかと言えば楽しそうな声でそんなことを言う。
「それはお人よし過ぎじゃないかな。」
「うーん……ダメでしょうか?」
「アカリさんはどう思う?お人よしだよね?」
今日も机の片隅で、綺麗な球形をして黒い光沢を見せているスピーカーに声をかけると、ザザッとわずかにノイズが走ってから、可愛らしい女の子の音声が流れ始めてくる。
『肯定します。マスターは優しいです。』
「ありがとうございまうす。アカリさん。」
にへらと柊さんは嬉しそうに微笑んだ。
「柊さんらしいとは思うよ。だけどさ。うーん……なんかね……。」
別に柊さんがイヤホンを無償で修理しようが、私に関係ないといえばないことなのだけれど、何かが気に食わなくって、唇が右に左に歪んでしまう。
「良いことしてる人が、報われないのって、なんか嫌なんだよね。悲しくなるって言うか。」
「木槿さんは、優しいんですね。」
机の上に置かれた基盤を見詰めながら、柊さんは目を細めて、そう言った。
「優しいとかじゃないよ。ただ……。」
途中まで言って自分の気持ちが何なのかも良く分からず、気持ちを何と言葉にすればいいのか分からずに言い淀んでしまう。
「ただ?なんでしょうか?」
「なんでもない……。まあ、それよりさ、お弁当作ってきたんだ。食べてくれない?」
柊さんはきょとんとした顔をした後、一瞬遅れてほうっと驚いた顔をした。
「凄いですね。お弁当自分で作ってらっしゃるんですか?」
「ううん。今日だけだよ。いつもはお母さんに作ってもらってるから。」
「それでも自分でお料理できるなんて凄いですよ。私なんて、そう言うの全然だめですから。」
「そうかな……。」
柊さんに褒められて、ちょっと気恥ずかしくて頭をかいてしまう。
「あ。ここは別に飲食禁止じゃないので、どうぞ食べてくださってかまいませんよ。」
「えっと?」
そこまで会話をしたところで、再び基盤へと視線を向けた柊さんの様子に、彼女が勘違いしていることに気が付いた。
「違くて、ここで私が食べたいんじゃなくて、柊さんに食べて欲しいの。この前のお礼。」
「え?」
今度こそ呆気にとられた表情をして柊さんは顔を上げた。
思わず上げた身体の勢いで、融けたはんだの粒が宙に飛んで机に落ちた。木材の焦げる音がして、机に跳ねたように金属光沢の跡が生まれた。
「わあ!」
「だ、大丈夫!?」
「あ!わ!だ、大丈夫です。」
大丈夫と言いながらも、柊さんははんだごてを持った手を上下左右あらぬ方向に動かして、しきりに慌てさせている。
「柊さん、とりあえずスイッチ切って!」
「これスイッチないです!」
「あー!えっと!じゃあ、置いて!置いて!」
思わず声を上げると、それでようやく気が付いたのか、柊さんははんだごてをスタンドへと慌てて置いて、ばっと手を離した。一瞬間があって、何も被害が出てさなさそうなことを確認したところで気が抜けて、ふうっと息を漏れた。
「柊さん、怪我とかしてない……?」
「あ……大丈夫です。すみません慌ててしまって。」
「ううん、私こそ作業中に話しかけちゃってごめんね。」
「いえ……それより、あのお弁当って……。」
「あ、うん。そうなの。イヤホンのお礼に作ってきたから、柊さんに食べてもらえないかなって。」
「そんな。お礼は良いですって……。それに昨日も奢っても貰いましたし……。」
「そうなんだけど……なんだか気が済まなくって。食べてくれない?」
「わ……私は、あの、嬉しいですけど。良いんでしょうか?」
「うん、食べて食べて。」
持ってきた手提げカバンを床に置くと、中から二つ弁当箱を取り出した。流石に、柊さんがはんだ付けをしている途中の机に弁当を置くことはできないので、周りを見渡し、荷物だらけの机の中から、心持ち物のおいてないスペースがあるのを見つけ出すと、そこへお弁当箱を並べた。同じ弁当箱がなくて、物置にあった弁当箱を引っ張り出してきたから、並べた姿はどこかアンバランスに見えて、なんだか少しだけ不安になってしまいながらも、中身はしっかりと作れているはずとはずと少しばかり覚悟をして一つ息を吐く。
食べるためのスペースをもう少し開けるために、机の上の荷物を寄せてしまいながら、もしかしていつもはここで他の人が何か部活の作業とかをしているのかなとかおもってしまうが、今は使っていないから、きっと大丈夫なのだろう。柊さんもどこを使ってもいいといっていたし。
そんな風に私が用意ししているのを恐縮した様子でうかがっている柊さんに、椅子を差し出して、どうぞと手を添える。
「じゃあ、柊さん、どうぞ。」
「あ、では……失礼します……。」
座るまでに二三度頭を下げてペコペコしながら、柊さんは椅子へと座った。恐縮しすぎじゃないかなと思いながら、柊さんが座った椅子の真横に自分も椅子をもってきて座ると、ふいに柊さんはがたりと音を立てて椅子を引いた。
「わわ?あ?え?木槿さん?」
「どうかした?」
「えっと……その……隣に座られるんですか?」
「私も自分の分のお弁当食べるから。」
そう言って、彼女に目の前に持ってきた弁当を置くと、その横にも自分の分の弁当箱を並べる。
「その……一緒に……食べるんですか……。」
「他に空いているところないみたいだし……それに、一緒に食べるって変かな?」
そう言うと、柊さんは、きょどきょどと周囲を見渡して色んな机を見回し始めた。他に空いているところがないか確認しているんだろう。
「ね、柊さん。隣だとダメかな?」
「あ……いえ……その木槿さんの方が気にしないですか?」
「何が?」
「あの……私……変な人間ですし……。」
「ん?変とかそんなことないよ?」
「そ、そうですか……?中学の時とかも、私と一緒に食べたいなんて人……。」
「じゃあ、私が初めてだ。」
ふっと笑って見せると、柊さんは頬を真っ赤にして顔をそらした。
「でも……私は……変ですから。あんまり一緒に食べない方が……。」
「そうかな?柊さんは、普通の……。普通の可愛い女の子だと思うけどなあ……。」
「うあ……。」
途端に、柊さんは何だか言葉にならないうめきの様な声を呟いて、自分の首をなでたり、癖の強いぼさぼさの髪を掻いたり俯いたりし始めていた。何かひどく混乱しているようで、ちょっと何か悪いことをしたのかと申し訳ない感じなってくる。
「あの……ごめん。もしかして柊さん、一瞬食べたくなかった?」
「あ、いえっ。そんなことないです。……た、ただ……ちょっと私が……私が人に慣れてないだけです……。」
「私は、柊さんにお礼がしたかっただけだから……柊さんが食べにくかったり迷惑だったりするなら、私は教室に帰っても大丈夫だよ。お弁当はおいていくし。」
「そ、そんなっ。め、迷惑とか、全然。ぜ、全然ないです……。ただ緊張してしまって。あの……すみません。」
謝ることなんて何もないんだけどな、と思いながらも、多分、それを言うと、また柊さんが否定して、きっと話が終わらなくなるだろうと思えてしまい、やめておくことにした。
「えっと、じゃあ……一緒に食べてくれる?」
「あ、はい。こちらこそ、よ、よろしくお願いします……。」
びしっと手を体の横にくっつけた柊さんは、深々と頭を下げた。ご飯食べるのによろしくお願いしますって、何か凄い世界だとちょっと笑ってしまいそうになりながら、合わせるようにして、こちらも深く頭を下げ返した。
「よろしくお願いします。」
何の儀式だろうと面白く感じてしまいながら、顔を上げると、今度は弁当箱へと向きなおして、ぱちんと手を合わせた。
「じゃあ、いただきます。」
「え?あ!いただきます。」
傍らで箸を取って、すでに弁当に手を伸ばそうとしていた柊さんは、私が両手を合わせて食事の挨拶をしたことに気が付いて、自分も慌てて手を合わせると、そういって弁当箱に向かって小さく頭を下げた。
そうして柊さんは箸の持っていない左手で気恥ずかしそうに頭を掻いていた。
「お昼ご飯に、いただきますなんて言ったの久しぶりです……。」
小さく呟きながら、柊さんは笑ってるのか恥ずかしいのを誤魔化しているのか、何だか妙な笑顔を浮かべていた。ただ、そんな表情を見ていると、やっぱり普通に可愛いただの女の子だと思えた。
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