3.マドちゃん

 窓から朝日の差し籠る教室。登校してきて教室に入ってくる生徒や、カバンの中身を机へと入れている子、朝練終わりの休憩とでもいうように大きなメロンパンを食べている女子やらが物音を立てて、みんな慌ただしくしながらも、まだホームルーム前という学校生活と日常の狭間のような独特の緩い雰囲気を醸し出している。自分も朝練のために早起きした眠たさが、その雰囲気と相まって思わず大きなあくびを漏らしてしまう。

 いっそのこと机に突っ伏して、少しだけでも寝てしまおうかと思っていると、肩をポンッと軽く叩かれた。

「おはよう。」

 振り返ってみると、クラスメイトの桐谷遥香きりたにはるかが立っていた。くるくると綺麗にウェーブを描いた黒髪が特徴的な少女で、どことなく何にも属さないような冷めた雰囲気が近寄りがたくて、お弁当の時にも一緒に机を並べながら一人で喋らないでずっと本を読んでいるような子だったけれど、それでも話をしてみると、普通に気の良い性格をしていた。

「おはよお。」

 返事をすると、おやと言うように、桐谷は眉を上げた。

「どうしたの。大分眠たそうだね。」

「朝練あるしね。あと、昨日、好きなグループの新曲でたから、ついでに最初のころのから全部聞いてて、気が付いたら夜更かししちゃってて。」

「なるほど。」

 言いながら、桐谷は視線を下ろすと、机の上に置かれたスマートフォンに繋がるイヤホンを見つけたようで、彼女は指先で自分の耳を指し示した。

「そういえば、イヤホン直ったんだ?」

 頷いて、直ったイヤホンを手に取ると、先端を揺らして見せる。

「うん、柚木さんに教えてもらった情機部に行ってきたんだけど、本当に直してもらえたよ。」

 そんなことを言うと、隣でカバンの中身を片付けていた柚木さんが、興味深そうにへえっと声を上げた。

「葵ちゃん、本当にあそこ行ってきたんだ。どうだった?マドちゃん。」

「マドちゃん?私が直してもらったのは、柊さんって人だけど。」

「女子だったでしょ?」

「うん。」

「じゃあ、その人だよ。情機部の女子って一人しかいないから。」

「そうなの?」

「そうそう。それで、なんか、ああいう人のことをマッドとか言うらしいから、マドちゃん。」

「何それ可愛いー。」

 近くで話に耳を傾けていたクラスメイトの女子が、そう言って近づいてきた。

「可愛い?」

「可愛くない?」

 どうなのだろうか、本心で可愛いと言っているのか知らんと思ってしまう。彼女の本当の名前の方が可愛らしいだろうしと、曖昧に頷くか頷かないかのそぶりをして視線を外す。

「それで、イヤホンちゃんと聞こえるの?」

 顔を向けた先に丁度いた桐谷さんが、気が付いたように話を戻してくれて、ホッとしながら頷いた。

「うん、ダイジョブ。綺麗に聞こえてるよ。」

「凄いんだね。触ってもいい?」

 そう言って伸ばしてきた桐谷さんの手に、イヤホンをさしだす。彼女はガラス細工でも触るかのような手つきで、コードの先の方を摘まんだ。

「どこが壊れてたの?」

「その耳のところと、コードの境目が千切れてたんだけど。」

「どっちの?」

「それが綺麗に直してくれたから、どっちかもう分かんなくなっちゃって。」

「へえ。」

 感心した声を漏らしながら、桐谷さんはイヤホンとコードの境目を上から下から眺めていた。そうして、再び感心したように吐息を漏らす。

「本当にどこが切れてたのか分からないね。」

「凄いね。私にも見せて。」

 横から覗き込んで来た、柚木さんが、桐谷さんの手に持っていたイヤホンのコードをひょいっと受け取ると、まじまじと眺めて、「ふーん」と呟いた。

「うちにも壊れたのがあるんだけど、直してくれないかな。」

「どうだろう。頼んでみたら?優しそうだから、お願いしたらやってくれるんじゃないかな。」

「うーん、じゃあさ。持ってくるから、葵ちゃん頼んでよ。」

「自分で頼みなよ。」

「えー……だってねえ……。」

 言葉を濁しながら、柚木さんは苦笑いをした。その濁りが言外に何を意図させているのか、何となく彼女の言いたいことは分かった。それを言葉にしないだけましなのかもしれないと、ため息をつかないように堪えて、柚木さんから視線を外した。今でこれなら、お昼休みの時の会話はなんてどうなるのだろうかと、首筋にじりじりとしびれる不快感を感じてしまったところで、ふと思い出して口を開く。

「あ、そういえばだけどさ。今日はお昼クラスで一緒出来ないから。ごめんね。」

「ん?葵ちゃん、なんか用事あるの?」

「用事っていうか、まあ用事かな。イヤホンを直してもらったからさ、その柊さんへのお礼しをにお弁当持っていくの。」

「えーっと、それって、イヤホン直してもらった手間賃ってこと?」

「ううん。お礼とか良いって言われたけど、それじゃあやっぱりあれでしょ。うちの冷蔵庫に余ってた食材だからさ、お金は全然かかってないんだけど。」

「はー、マメだね葵ちゃん。私なら絶対しない。」

 腕を組んだ柚木さんは、さも感心しているように頷いているが、絶対しないというところは殊更に強く口にしていた。

「マメとか……そう言うことなのかな。お礼とかしない?」

「うーん、でも、しなくても良いって言ってるんでしょ?だったら、気にしなくてもいいのに。そんな面倒くさいこと。」

「いや……うーん……。」

「真面目すぎなんだって葵ちゃんはさー。」

 座っていた椅子を軽く前後に傾かせながら、安楽椅子のように揺らした柚木さんは、かんらかんらという擬音が似合いそうなほどに軽く笑っていた。真面目だというのは良く言われる言葉で、それが良い意味を持たないことも分かっていて、誤魔化すように笑ってしまう。

「そうかな。」

「そうだよー。でも、イヤホン直しても、手間賃とかいらないって言ってくれるなら、いいなー。やっぱり家の壊れたの持ってこよっかな。」

 なんとも気楽に言う柚木さんの態度に、恐らく自分も最初はそんな気持ちだったろうに、なぜだか口をひねってしまって、そわそわとしてしまう。

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