2.柊さんとアカリさん

 夕闇すら陰る校舎の最上階の奥廊下。技術室に向かう道は安閑として静まり返っていた。どこか暗く、独特な雰囲気を漂わせていて、この先に誰かが居るような気配もしない。もしかしたら今日は部活をやっていないかもしれない。そんなことを感じながら、廊下を進んでいくと、ふいにパキッと足元で何かが割れる音がして思わず身を竦めてしまう。床へと目を向けると、ちょうど足を載せた所の表面を覆っていたプレートが割れてしまっていて、その欠片が足へと引っかかっているのが見えた。

「危ないなぁ……。」

 屈みこんで、プレートの僅かに反り返って棘のようになった一部を指先でふれると、少しばかり肌に突き刺さる感じがした。ちょっと力を籠めると、軽く音がして尖っていた先端が割れた。本当は、片付けてしまった方が良いのかもしれないけれど、学校の設備だし、どう扱っていいものかも分からず、とりあえず危なそうな棘の様な所だけ折り取って立ち上がった。気が付いてみると、床のプレートは所々が割れてしまっていて、この管理のされていない感じが、どこか無法な雰囲気を醸し出していて、少しだけ気後れしてしまいそうになる。

 おっかなびっくりと足を運んで、辿り着いた技術準備室の扉に手をかける。少しだけ擦れる音だけさせて、思いの外ドアは軽く開いた。

「なにここ……。」

 扉を開いた技術準備室の中は、まるで魔窟のように色んなものが溢れていた。薄暗い部屋の中で、尖った暗い色の金属部品が鈍い光沢を見せ、雑に置かれ山積みになったガラスケースの中からは、水晶やら何かの鉱物やらが、差し込んだ夕陽をフレアめいた閃光にして放射状に瞬かせていた。どこか、水晶の満ちた洞窟に入ったかのような雰囲気すらあった。

 まるで荷物に満ちた泰山の中で、茜色に差す西日を受けた暗い影がゆらりと動くのが見えた。

「アカリさん。回路が綺麗に組み上がりましたよ。」

「おめでとうございます。流石です。ナズナ。」

 迷宮の如くに入り組んだ部屋の奥から、喜々とした女の子二人の声が聞こえてきた。ガラクタだらけの道を右へ左へとよけながら、声のした方へと進んでいくと、暗い部屋の隅の一角に、少女が一人机に向かって屈みこんでいるのが見えた。周囲を見渡してみるけれど、もう一人聞こえたはずの声の主が見当たらずに、ちょっと不思議に感じてしまう。確かに誰かと話をしていたと思うのだけれどと思いながら、一人で机に向かって集中しているその少女へと近づいていく。もしかしたら、ハンズフリーで誰かと通話しているのかもしれない。そうだとしたら、会話を邪魔してしまうかもしれないし、何か集中しているだろう作業を邪魔してしまうかもしれないと、僅かばかり声をかけるのを躊躇ってしまいながらも、手を伸ばして口を開いた。

「あのー……。」

「はい?どうしましたアカリさん。」

 机に向かっていた少女が、あらぬ方向を向いて口を開いた。声をかけたこちらには全く気が付いていないようで、机の一角の黒い塊へと視線を向けている。よくよくみてみると、それはスピーカーのようで、メッシュ生地に覆われた球体の形をしていた。恐らくは今かけた言葉を、さっきまで話していた相手からかけられたと勘違いしてるのだろうと、察せられた。

「アカリさん?どうかしました?」

「あのー……、ちょっといいですか?」

 恐る恐るながら声をかけて、肩を軽く叩いてみると、途端に、少女の体はびくっと跳ね上がった。

「は、はい!?」

 素っ頓狂な調子の声をあげて、勢い良く少女は振り返った。

「わわっ!!」

 自らの動きの勢いで、椅子ごと回転した彼女の体は、左右に大きく揺れたかと思うと、バランスがとれるとは思えないほどにぐらりと真横に傾いた。

「あっ、危なっ!」

 声を上げた時には遅くって、少女の体はそのまま椅子から体を投げ出されていた。部屋の隅に固まっていたゴミクズの山へと倒れこむと、曽於上に、段ボールやら何やらが、音を立てて崩れ落ちていく。

「わ、大丈夫!?」

 慌てて、雪崩と化して落ちてきたガラクタの塊へと手を伸ばす。石の並べられた箱やら段ボールやらを何やら良く分からないものを掻き分けると、その下に先ほどの少女が倒れているのを見つけ出した。癖の強い髪をした、眼鏡をかけた少女だった。頬には少しだけそばかすがあって、それが妙に目を引いていた。

「立てる?」

 言いながら、手を差し伸べると、少女は、ぱちくりと目を見開いてこちらの顔を見つめてきた。そうして、伸ばした手へと視線を向けて、再びこちらへと顔を向けてくる。

「えっと、立てる?って聞いたんだけど。大丈夫?頭とか打ってぼーっとしてない?」

「え……?あ……はい。あ、ありがとうございます。」

 どこか驚いた様子を見せながら、少女はこちらの手を握った。

「よっと……。」

 くっと手を引っ張ってみると、少女は傍らの箱へと手をついて体を起こした。ふらつきながら立ち上がった彼女は、なぜだか緊張した面持ちで、下唇を噛んで頭を下げた。

「あ、あの……ありがとうございます。」

「ううん、驚かせたのは私だし、むしろごめんね。」

「いえ、そ、そんな。だ、大丈夫です。」

 よほど緊張しているのか、少女は言葉を何度も詰まらせている。多少左右に揺れながらも、しっかりと足元を踏みしめている彼女の様子を見て、もう大丈夫だろうと手を離すと、彼女のは繋いでいた手をぎゅっと握りしめて、胸の前に持っていき、もう片方の手の平で更に覆いせるようにした。

「そう。怪我ないなら良いけど。痛いところとかない?手とか……。」

 そう言って、顔をのぞき込むと、目を左右へと狼狽えさせながら少女は視線を外した。

「ほ、本当に大丈夫です。あの……えっと、それより、どうしてここにいらっしゃったんですか?」

「あ、そうそう。ちょっとお願いしたいことがあって。あー、えっと……要件より先に名前を言っておかないとね。私は葵。木槿葵って言うんだけど……貴女の名前は?聴いても良い?」

「え、あ、は、はい!あの、私は、ひ、柊です。柊撫菜ひいらぎなずなって言います。」

「うん、柊さんね。よろしく。」

「よ、よろしくお願いします。」

 強張った面持ちで答える柊さんは、体の前で両の手を握り合わせて、しきりに体を落ち着きなく揺らしている。

「えっとそれで、さっきも言ったけど、ちょっと、お願いしたいことがあって来たんだ。私の持っていたイヤホンの耳のとこが外れちゃってさ。ここに来れば直せる人がいるって友達に聞いてね。その、治せる人っているかな?」

「イヤホン程度……でしたら、私が直せますかもしれないですけど。」

「え?そうなの?じゃあ、もし良かったらだけど、直してもらえないかなあ。」

「私で良ければですけど、良いですよ。どんな感じになってますか?」

「あ、うん、ちょっと待って。」

 肩にかけていたスポーツバックの中から、丸めていたイヤホンを取り出す。双分かれしているコードの内、一本のイヤホン部分がちぎれてしまって、中のコードが見えてしまっている。完全に壊れてしまっているように見えて、こんなものを本当に治せるのだろうかと感じながら、柊さんへとさしだすと、彼女はおずおずとした手つきで受け取った。そのイヤホンの先とコードとを掌の上にのっけると、千切れて露出してしまっている金属線の端っこをじろじろと眺めた後に口を開いた。

「これは線は切れてないみたいですね。」

「切れてない?ブッツリなっちゃってるみたいだけど。」

「ああ、いえ。はんだの所で千切れただけみたいなんです。ほら導線の先に銀色のちっちゃい塊が付いてるの見えます?」

 そう言って柊さんはコードの先を差し出してきた。言われてみると、確かに捻じれている金属色の細い線の先に、銀色の小さな滴のような金属の塊が付着しているのがわかった。

「これが……はんだ?」

「ああ、えっと。これは金属の接着剤みたいなものです。技術の時間とかに使いませんでした?」

「ええっと……どうかな?俳優でそういう名字の人がいたかなって感じだけど。」

「それとは関係ないとは思いますが……まあ、これでしたら治せると思います。」

「本当?じゃあ、お願いしちゃってもいいかな。」

 よろしくというつもりで、彼女の手を握る。途端に柊さんは、体を硬直させたかと思うと、視線を何度も左右に揺らして、言葉を詰まらせる。

「あ、あ、あの。だ、大丈夫です。ま、任せてください。」

 そう言って柊さんは、身を引くようにして、すっと繋いだ手から離れていく。

「明日には、お渡しできると思うので、明日、また来てください。」

「明日?直すのに1日ぐらいかかるの?」

「あ、いえ。これぐらいでしたら、多分、残りの部活の時間中には出来るとは思うんですが。お待ちいただくのもあれですし。」

「ふうん。だったら、ここで待ってていいかな。通学中にイヤホンがないと退屈だし。今日直してもらえるなら嬉しいかな。」

「あ、え……そ、その、いいですけど。良いんですか?」

「うん?もしかして迷惑だったりする?」

「い、いえ!大丈夫です!私は大丈夫ですけれど……ここは何もないところですから。」

 もじもじとしてためらいがちに言う柊さんの言葉に、周囲を見渡してみる。何もないどころか、部屋いっぱいにわけのわからない機械やら荷物やら、石やら、ただのゴミにしか見えないものもあるけれど、物が溢れ返っているようにしかみえない。

「んー……なんか、色々あるようにみえるけれど。」

「あ、いえ。自分達以外の人が面白く思うようなものは何もないと言いますか……。」

「ふーん、でもなんか、おもしろそうだよ?勝手に触っちゃっても良いなら、適当に見て待ってるからさ。むしろ迷惑だったら言ってよって感じ。」

「全然、そんな。迷惑なんてないです。ただ、危ないものもあるので気をつけてください。」

「うん、ありがとう。」

 言いながら、早速机の上にあった箱を開けた。中にはいくつもの小さな透明なプラスチックの箱が並んでいて、さらにそれぞれの箱の中には小さな石が入れられていた。殆どが黒い石のように見えるけれど、碧色の小さな粒や、透明な結晶があって、それが目を引いた。

 僅かに視線を感じで、柊さんの方へと目を向けると、どこか心配そうにこちらを見ている。

「壊したりしないからね?」

「あ、すみません。」

 それでも、柊さんはちらちらと何度もこちらへと視線を向けてきた後、ようやく机に向かって作業し始めた。ふと、なんか香ばしいようなにおいが漂い始めていた。それが柊さんの握っている道具から漂ってきているのに気が付いて、そこでようやくはんだがなんだったのかを思い出した。

「そういえば、柊さん以外に、この部活の人って居ないの?」

「えっと、今日は私一人だけなんです。本当は今日は部活休みの日なので。」

「そうなんだ……。あれ?でもそういえば……。」

 この部室に来た時に、誰と誰かが会話をしていたことを想いだす。とてもじゃなくて同一人物の声ではなくて、誰かが二人いたはずだった。

「ここに来た時にさ。柊さんの他にも、誰かの人の声が聞こえた気がしたんだけど、あれは?」

「あ、それは、アカリさんです。」

「あかりさん?やっぱり他に誰かいるの?」

 とはいえ、左右を見渡してみるけれど、他に人がいる気配はしなかった。そもそもこれだけ二人で話をしているのに、一切かかわってこないというのも考えづらくて、誰かがいるようには思えない。

「あ。人ではないんですけど。」

 あっけらかんという、柊さんの言葉に思わず眉をひそめていた。

「人じゃない?なにそれ……。」

 咄嗟に、昼休みの時にクラスメイト達が話していたことを思い出し、わずかばかり緊張して喉を鳴らしてしまう。

「もしかして……幽霊か何か?」

「あーいえ、そんなんじゃないです。」

 軽く笑顔を浮かべて柊さんは首を振った。

「えーっと、ロボットとでも言えばいいのでしょうか。」

「ロボット……?あーもしかして、ペッパーくんみたいなの?」

「そうですそうです。あんな凄い体はなくて、スピーカーだけなんですけどね。」

 そう言って柊さんが指さした先には、柊さんの姿を見つけた時に目に入った、黒いメッシュ生地で覆われた球形の物体だった。

「スピーカーだけなので、ロボットと言うよりスマートスピーカーに近いんですけど……。ちょっと喋ってみますか?」

「え?いいの?喋ってみたい。」

「良いですよ。このスピーカーに、『アカリさん、こんにちは』って話しかけてみてください。」

 そう言って柊さんは黒い球体を手に取って差し出してくる。顔を近づけて、メッシュ部分をのぞき込んでみると確かにスピーカーが部分が見えた。このスピーカーになっている部分に声をかければ良いのだろうかと、ちょっとためらいながらも、柊さんに言われた言葉を口にしてみる。

「アカリさん、こんにちは。」

『こんにちは、ご用件は何でしょう。』

 すぐに黒い球体から流暢な女の子の声が響いてきた。

「わ、ほんとだ。凄い。」

『それほどでもありません。』

 ところどころ電子音を混じらせた声で球体がすぐに返事をしてくる。

 無機質なロボットみたいなものが、丁寧な謙遜を言ってくるのは、どこか奇妙に感じられた。

「柊さん。これって、どこで買ったの?」

「いえ、これは自作でして……。」

「え?柊さんが作ったの?凄いじゃん。」

「そんなことないですっ。これは単純なもので……、本当のスマートスピーカーみたいなことはできないんです。簡単な会話するぐらいしかできないんですよ。」

「会話するだけでも凄いよ。ね?アカリさん。」

『肯定します。素晴らしいです。』

「きょ、恐縮です。」

 褒めているけれど、むしろそれがこそばゆくて居所がないようにして、柊さんは肩身を狭くしていた。

「アカリさんは、人工知能とか言う奴なの?そういうのテレビで見たことあるけど。」

「ああ、いえ、人工知能とはいえないですね、どちらかと言えば人工無能です。」

「えーっと……?違うの?」

「アカリさんは、考えることが出来ないんですよ。話しかけた言葉を、メモリの中とか、ネットから探してきて、それっぽく言葉を返してくれるだけなんですよ。実は大分定型文なんです。」

「えっと?」

 きょとんとしてしまった。丁寧に説明してくれているのだろうけれど、何を言っているのかが良く分からずに首を傾げてしまう。

「えっと、つまりですね。会話しているんじゃなくて、会話している風、なんです。」

「へぇ……ちょっと話した感じだと、本当に会話してるみたいだけど。どうなの?アカリさん?」

『肯定です。会話しています。』

「ほら、アカリさんもそう言ってるよ?」

 そう言ってみると、柊さんはちょっと困ったように頭をかきながらも、私たちの会話が面白かったようでくすりと笑っていた。

「それっぽくさせてはいますね。アカリさん側から適当に質問してもらって、その返事を記憶させたりもするんですよ。そうして、パターンを増やして本当の会話みたいになっていくんです。」

「へぇ、なにそれ面白そう。」

「……木槿さん、やってみますか?」

「うん。やらせてやらせて。」

 頷くと、柊さんは僅かにはにかんだように見えた。それは多分嬉しがってくれているんだろうと、ちょっとばかり期待した。

「アカリさん。$ echo return $ qamode return。」

 急に柊さんが、呪文のような言葉を唱えた。

 そうかと思うと、ぷつっと、アカリさんが動画の無音再生のような音を鳴らし、先ほどよりも僅かに機械的になった声をあげる。

『サクセス,ローカルメモリ. マスタースレイブ,同調,QAモード,に移行します.リターン...質問例を検索中です.』

 さっきまで普通に話をしていたスピーカーが、いきなり奇妙なことを言い出して、少しだけ何か怖い感じがしてしまう。

「えっと……柊さん、これ大丈夫なの?」

「大丈夫です。すぐ質問してくれますよ。あんまり考えずに、友達に聞かれたーって感じで答えてください。アカリさんは、それを覚えてくれますから。」

「私、間違いとか変なこと言っちゃうかもしれないけど?」

「話し相手ですから、それで良いんです。友達だっていつも正しいこと言う人いないですよね?」

「それはそうかもだけど、いいのかな。」

「まあ、私は友達とかいないんですけど。」

「え?」

 思わず聞き返そうと思った瞬間、ポンっと軽くてポップな調子の電子音が一つなった。

 顔を向けると、黒い球体のアカリさんが質問をしゃべり始めていた。

『最近、髪を切りましたか?』

「え?あ、うん、2週間前に切ったよ。」

『記憶しました。今話題の動画と言えば何でしょうか?』

「うーん、クラスで話題なのは、ネコがQUEENのダンスをする動画かな。」

『それは面白いですか?』

「可愛い。かな。」

『可愛い。記憶しました。好きな人はいますか?』

「居ないねぇ。」

 えっと、横から驚いた声がしてきた。柊さんが、すぐにしまったというように口を塞いでる。

「柊さん、どうかした?」

「あ……恋人、いらっしゃらないんですか?木槿さん綺麗だから、もてるんじゃないかっておもって。」

「お世辞は良いよ。こんな会ったばっかりでさ。」

「あ、いえ。そう言うつもりではないのですが……。」

「まー、モテたとしても、好きが人がいるのとは違うでしょ。」

「それは確かにそうですね……。変なこと聞いて、すみません。」

「いや、別にいいけど……。」

「……。」

 なんだか妙な雰囲気になったと思った。

『ナマズのヒゲは何本ですか?』

 そんな、こちらの雰囲気など関係なく、アカリさんは先ほどと同じように奇妙な質問をぶつけてくる。

「え?ナマズ……4本かな。」

 そう答えて、アカリサンの方へと顔を向けると、柊さんはほっとしたように机に向かって作業へと戻った。

『ネコが顔を洗うとどうなると言われていますか?』

「可愛いと思う。」

 そんなアカリさんからの奇妙な質問を幾つか応えているうちに、ふいに柊さんが席を立った。何かと思うと、彼女は手にイヤホンを持って、すっと差し出してきた。

「イヤホン、直りましたよ。」

「え。もう?」

 差し出してきたイヤホンを受け取って眺めてみると、どちらが切れていたのか分からないほど、イヤホンとコードは綺麗につながっていた。

「こんな、早く直せるんだね。」

「そうですか?結構時間かかっちゃったと思ったんですけど。」

「え?」

 慌ててスマートフォンを取り出して時間を確認にすると、いつの間にかこの部屋に来た時からはだいぶ時間がたっていた。窓の外へと視線を向けてみると、雲の一つもなくて綺麗に茜色で染まっていたはずの空は、もうすっかり黒さを広げて、太陽は町の端へと消え始めているところだった。

「いつのまにこんなに……。」

「あの、一応、音が流れるのは確認したんですが、音質が代わってるかもしれませんから確認してみてください。」

 言われて、イヤホンをスマホに刺す。試しに朝聞いていた曲を流して確認してみたけれど、イヤホンから聞こえてきた音は特にノイズなどもなくて、前と同じように聞こえた。

「うん、大丈夫。綺麗に聞こえる。」

 イヤホンを外して、頷いてみせると、柊さんはホッとした表情を浮かべている。

「こんなに時間かけて、わざわざ直してくれてありがとうね。」

「いえ、楽しかったですから……。それに、アカリさんも、楽しそうでしたし。」

「え?そう?アカリさん楽しかった?」

『肯定です。もちろん。楽しかったです。』

 黒い球体がスピーカーを響かせながら、そんなことを至極真面目な口調で言うので、なぜだか、それだけで思わず笑ってしまいそうになる。

「あ、そうだ、柊さんって、どっちの方に帰るの?」

「え?えっと、私は安小路の方に帰りますけど。」

「じゃあ、方向一緒かな。私は、あっちの方の駅まで行って、そこから電車。駅の近くは通ったりするかな?」

「あ、確かに帰り道の途中に駅がありますね。いつもその近くは通っていきますよ。でも、それがどうかしましたか?」

「それがどうしましたか?って……アカリさんだったら私が何を言いたいか分かる?」

『肯定です。帰りの随伴に誘っている会話と判断します。』

 黒い球体から流れていた言葉に、柊さんは目を丸くしている。

「え……、いやその、ど、どうしてですか?」

「だって、イヤホン直してもらったんだもん。お礼しなくちゃ。駅までの途中に、コンビニあるからさ。柊さんに、何か買わせてよ。」

「え、そんな、良いですよ。この程度。」

「こんな程度じゃないよ。すごいよ。それに何かしてもらった時のお礼って、きっちりしておかないと、なんか嫌だからさ。それに。」

 言いながら外を眺める。地平へと差し込み始めていた夕日は、ほとんどのその姿を消しかけている。そんな私の方を見て、不思議そうに柊さんはこちらを見つめていた。

「えっと、それに?」

「それにさ……。もう暗いから帰るの一人だけだとね。」

 そう言って笑って見せると、柊さんは困ったように、でもふわりと微笑んで頷いた。

「それでしたら……。」


 春の夜はまだまだせっかちで、帰るころには通学路は完全に暗闇へと覆われていて、点々とした街灯だけが道しるべのようにして長く通学路を照らしていた。途中でコンビニへと寄って買った肉まんはホカホカと湯気を立ててていて、大きく口を開いて頬張りると、ほうっと二人して熱い息を漏らしてしまう。何でも奢るよとは言っただけれど、微妙に遠慮したような雰囲気で柊さんは断るから、自分も食べるからと説得して一緒に肉まんを買った。

「柊さん、肉まん美味しい?」

「はい、美味しいです。あの……私、登下校で何か買って食べるみたいなこと、初めてしました。」

「そうなんだ。」

 なんだか、その言葉が妙に嬉しくて喉が鳴りそうになる。誰かの初めてをしてあげるのって、変な嬉しさがあるように思う。それも喜んでくれるなんて、自然と顔がにやけてしまう。

「それにしてもさ。アカリさんだけ、学校に残してこなくちゃいけないの、寂しいね。」

 真面目な口調の、あの黒い球体を思い出していた。持って帰るのかと思っていたら、特にそういうこともなくって、柊さんはあのスピーカーを技術準備室においてきてしまっていた。おそらくは今も、柊さんが作業していた机の上で静かにたたずんでいるのだろう。

「アカリさんは、プログラムですから。」

「それは分かるけど、なんかちょっとね。寂しいっていうのかな。」

「柊さんは優しいですね。」

 急に優しいだなんていわれて、思わず言葉に詰まってしまいそうになりながら、誤魔化すように笑ってしまう。

「えっとそんなんじゃなくてさ……なんか変な感じがするってだけ。柊さんは、アカリさんと話したくならないの?」

「実はですね。アカリさん。連れてきてるんですよ。」

「え、どこに?」

「これです。」

 そう行って柊さんは、耳を触ると、つけていた何かの器具を取り外した。彼女の掌に乗せられて差し出されたそれをよく見てみると、どうやらイヤホンのようで、コードにつながれていないところから無線式のものにみえた。ただ、それだけでなく、耳につけるだろう部分から斜めに細長いパーツが付いていた。

「なにこれ?」

「骨伝導のインカムです。ちょっと耳に付けてみてください。」

 言われた通りに耳につける。何か曲でも流れているのかとも思ったけれど、何も聞こえてこなかった。

「それで、アカリさんに呼びかけてみてください。」

「ん?アカリさん?」

『こんばんは、木槿様。お久しぶりです。』

 私の声に返事をするようにして、イヤホンからからさっきまで聞きなれていた声が流れてきた。それは、間違いなく技術準備室で聞いていた、あのアカリさんの声だった。

 驚いてしまって、柊さんへと顔向けてみると、彼女は楽しそうに頷いている。

「スマホ経由にしてネットで、技術準備室にあるアカリさんの機体に繋げてるんですよ。だから、そのイヤホンがあればどこからでもアカリさんとお話できるんです。」

「じゃあ、もしかしていつもアカリさんと、お話しながら帰ってたりするの?」

「まあ、毎日ってわけではないですけれど。」

「いいなあ。退屈しなさそう。ね、アカリさん、いつも帰り道楽しい?」

『肯定します。楽しい時間です。』

 真面目な口調で肯定されるのに、ふふっと思わず微笑んでしまう。

「木槿さんでも、一緒に帰る人はいらっしゃらないんですか?」

 「も」と言う言葉に、彼女がいつも一人で――アカリさんは別にして――誰とも一緒に帰ってないというのは察せられた。

「なんかね……。部活の友達は逆方向だし、クラスの友達とは時間が合わないんだよね。どうしようかなって思ってて。」

『回答。マスターと木槿様が、一緒に帰れば良いのではないでしょうか。』

 ふいに、イヤホンからアカリさんの声がした。

「あ、アカリさん、それいいね?ね、柊さん、どうかな。」

「え?何がでしょうか?アカリさんが何か言いましたか?」

「あ、そっか。柊さんには聞こえないのか。」

 イヤホンがこちらにあるから、柊さんには聞こえないのだろう。

「アカリさんがね。柊さんと私とで一緒に帰ったらどうですかって。」

 そう言うと、柊さんははたりと立ち止まって、目を白黒とさせている。

「あ……あ、アカリさんが、変なことを言ってすいません。」

「いや、だから、それ良いねって言ったの。」

「え……あ……えっと?」

「柊さんは嫌?」

「そんなことはないですが……。」

「じゃあ、これからお願いね。一緒に帰ろ。」

 言いながら、自然、ふわりと笑顔になっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る