少女が少女に恋する幾つかの話

春小麦なにがし

木槿と柊の場合

1.切っ掛け

 漂う空気は流れを停滞し肌に汗が浮かぶ程に蒸し暑くて、気休め程度に涼むつもりで仄かに表面の冷えていた机の上へと腕を載せながら、木槿葵むくげあおいは大きめの自分の弁当箱へと箸を伸ばす。

 教室の中にはブラスバンドの音がどこかから響いてきて、耳に煩わしく感じながら音のするだろう外へと目を向けると、渡り廊下の一角で大きな金属管楽器を抱えて、吹き口へと唇を当てている女子生徒が見えた。昼練なのだろう、ブラスバンド部はまるで練習の合間に授業をしているかのように、いつでも練習している。体育会系だ体育会系だと言うが、今グラウンドの端でサッカーをして遊んでいる野球部よりも、よほど練習しているかもしれない。

「すごいよね。」

 口の中から零れ落としてしまったように呟いた言葉に、向かいの席に座っていたクラスメイトの柚木悠ゆずきゆうさんが、弁当箱から箸で摘まみ上げていた卵焼きへと集中させていた視線をこちらへと上げた。

「何が?」

 問われて教室へと目を戻すと、室内は薄暗くて、窓から差し込む光はくっきりと線を作り、彼女の首元で陰影を作り出していた。

 昼休みの終わるまで後僅かの時間しかないのにもかかわらず、二列にして席をずらりと並べた女子たちはまるで生きるのに喋る必要があるかのように、しきりに会話を続けて、時折もそもそと弁当を食べている。そして、その中の数人は、新しい会話の種を求めるようにこちらへと視線を向けている。

「いや、ブラスバンド部。ずっと練習してるなって思って。」

「ああー、確かにね。」

 頷いて柚木さんは自分の弁当を花柄の小さな巾着袋にしまいながら「私は無理だなー」と言葉を続けた。その隣の席に座っていた女子も同調して「わかるー」と軽い調子で笑った。

「っていうか。あんだけ練習してるのに下手だよね。あ、ほらまた失敗した。」

「ほんと。なんていうかうるさくて邪魔だよね。」

 そんなことを言いあって笑っている会話に同調することが出来ず、二人から目を逸らして弁当箱のおかずへと視線を向ける。幸いなことに、話題の始まりとなった、こっちのことなど忘れたように二人はそのまま会話を続けていく。内容にだけは耳を傾けながら弁当箱へと箸を突っ込むと、ブロッコリーを摘まんで口の中へと放りこんだ。

「ブラスバンド部と言えばさ。あの話、聞いたことある?」

 ふいに一人の女子が机の上へと上半身の乗り出させると、自らに注目を集めようと周囲の女子の顔を見渡して笑顔を浮かべた。長い茶髪を揺らして笑うその女子の目を引き付ける態度に、周囲の女子はどこか気持ちの入ってない目をしながらも、興味のあるような視線を向けた。

「ん?なに?」

「なんか変な噂があって。出るんだって。」

「だからなにが。」

「幽霊だよ。音楽室でさ。」

 目を細めて楽しそうに語る茶髪の女子に対して、自分の柚木さんはガタッと椅子を引く音を鳴らした。音に気がいって弁当から視線を上げてみると、眉根をひそめて唇を突き出して、明らかな不満を顔に表していた。

「やめてよ。私、怖いの苦手なんだから。」

「悠って、そうなの?」

「そうだよ。」

「まあ、いいじゃん。そんな怖い話じゃないって。」

「怖いの好きな人はみんなそういうんだよ。木槿は?木槿はこういうの苦手じゃない?」

 縋る目つきで柚木さんが顔を向けてきた。援軍を求めているつもりなのだろう、丁度箸で掴んだ小さなウズラ卵を口に運びながら、僅かに首を振るって答える。

「私は別に。」

 特段、怖いのは苦手ではなかった。別に興味もなかったけれど、変に話題が途切れてしまって、こちらへと話が向けられるのも嫌で、どちらかと言えば、そのまま話をして貰った方が助かった。ただ、そのおかげで、柚木さんはものの見事に落胆した表情をこちらへと向けてくる。一方で気を良くした茶髪の女子は、すぐに表情を明るくした。

「友達に聞いた話なんだけどー。」

 そう前置きをして茶髪の女子が語り始めた幽霊話は、良くある学校の怪談だった。

 放課後、いつものように音楽室で部活動の練習をしていたブラスバンド部の子たちが、最終下校時刻のぎりぎりまで活動をして、最後に残った

フルートの女子が、音楽室の扉の鍵を閉めると、ぶつっと言うスピーカーの大きな割れた音がした。下校の時間を越えてしまって、チャイムが鳴るのかと思ったら、聞いたこともない女性の声が流れ始めてきた。それは、誰かと話しているようであり、独り言をつぶやいているようでもあって、ぼそぼそと喋るその声に恐る恐る耳をそばだてていると、不意に声は途切れて急にピアノの音が鳴り始めたのだという。それも自分達が演奏するよりも、よっぽど上手な演奏で――。

「良くある話だね。」

「放送部が何か流してたんじゃないの?」

「そんなんじゃないって。だって放送部もみんな帰ってたし先生も知らないって言ってたんだよ。」

 茶髪の少女の喋りの拙さもあいまって、他の子達は全く怖がっている様子はなかったが、私の向かいの柚木さんだけはそれでも怖いようで話しの最中も耳をふさいだり眼を閉じたり首を振ったりと忙しくしている。

「で、重要なのが、その次の日にも同じように声とか音が聞こえてきたんだって。それも……。」

「それも?」

「今度は音楽室じゃなくて音楽準備室から聞こえてきたんだって、それでその次の日は。」

「その隣の教室からとか?」

「そうっ。何かを探してるみたいに毎日移動してるんだって。だからもしかしたら誰かを探しているのかも……。」

「ひっ……。」

 柚木さんが大げさに怖がって、体を引いた。途端ガタッと音を立てて椅子が揺れたかと思うと、身体を仰け反って体勢を崩したその女子が手を泳がせて、足を思い切りに上げたかと思うと、ガンッと自分の机が蹴られる音共にブチっと何かが切れる音がした。机の下を覗き込むと、鞄から飛び出してしまっていたイヤホンが、彼女の脚に引っかかって、耳元から千切れてしまっているのが見えた。

「わっ。葵、ごめん。」

 慌てて、自分の靴に引っかかったカナル型イヤホンの先を手に取った柚木さんは、申し訳なさそうに表情を曇らせていた。それを手を振って大丈夫だと落ち着けさせる。

「ううん、いいよ。なんか最近音の調子悪かったから、元々切れかかってたんだと思う。」

「いや……でも、ごめん。」

「んじゃ、ま……今度ピルクルでもおごって?」

 差し出してくるイヤホンの先を受け取りながら、軽く笑って見せると、それで彼女は縋るような格好で拝んでくる。

「ありがとー。」

「でも、イヤホンどうしようっかなあ……。来月までお金あんまりないし。」

「それなら、情機に行ってみたら?」

 千切れたイヤホンのコードをプラプラさせてると、茶髪の女子がそう言って顔を覗き込んでくる。

「じょうき?」

「情機部。たしか……情報機械部?だっけ。なんかイヤホンとかそう言うの直せる人がいるって。前に直してもらったって人がいるの聞いたことあるよ。」

「情報機械部って……そんな部活あったっけ。」

「技術準備室つかってんだって。なんか学年の変人ばっかり集まってるオタクの集まりだよ。」

「へー、なんだか面白そうだね。」

 何の気なしに言うと、周囲の女子は微妙な表情を見せた。

「そう?私は嫌だなあ。暗そう。」

「うん、なんていうか。気持ち悪そう。」

 からからと女子たちは笑っていた。

「そうかなあ。」

 イヤホンのコードをぷらぷらと振りながら、私は曖昧な笑顔を浮かべてしまっていた。

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