終戦

第59話:撤退


***


 ──翌日の朝。

 ラナージ・ポリスは、イスタニア軍に明け渡された。


 マルキウスが入城した際に、魔王軍は、同胞の骸も残さず引き払っていた。

 イスタニア軍の内部には、魔王軍の追撃を求める声も上がった。しかし、民心の安定を優先すべしとしたマルキウスの差配により、イスタニア軍のさらなる南下は延期となった。


***


 ──その翌々日。


 魔王軍は、ネア・ポリス一帯に全ての残存戦力を集結させていた。兵站を預かるセイゴル隊の手配により、ネア・ポリスの港には、クラーケンやセイレーンに護衛された軍船団が停泊していた。


 ネア・ポリスの旧市庁舎、執務室にて。

 平服のアークフィートを伴った礼服のベリアルと、困り眉のエルトルトが向かい合っていた。


「ベリアル様。本当に宜しいのですか?」

「お前こそ、本当に良いのか?」


 ベリアルとエルトルトは、不敵に微笑み合う。


「私がどうという話ではありません。私は、魔王軍第3機動軍の所属ですから」

「親衛隊がイスタニアに残置するという以上、第3機動軍としても、兵站線の確保くらいはしてやる。敢えて、こちらから魔王陛下の火遊びに水を差すような真似はしない。が、加勢もしない。此度のイスタニア遠征に参加した第3機動軍、並びに2個辺境軍は、専守防衛及び訓練期間に入る。新兵を補充しなければ、我が軍団は成り立たない」


 ベリアルは、淡々と告げた。

 イスタニア戦争を経て、遠征軍が被った損耗率は3割5分。戦闘部隊に至っては4割を超える。このまま行けば、縮小再編は免れない事態だ。


「再編成の草案については、既にディアボロス様が作成に取り掛かっております」


「再編成……?」


 アークフィートが口を挟んだ。

 エルトルトは、はい。と告ぐ。


「此度の戦役における遠征軍の獅子奮迅ぶりには、目を見はるものがございます。ディアボロス様は、采配を振るわれた全ての指揮官に、さらなる活躍と飛躍の場を設けたいとおっしゃっております」

「……褒美と人事の件に関しては、本来現場の軍人がどうこう言える話じゃない。ひとまず、しまいにしてくれ」


 ベリアルは、若干威圧的な口調で言った。

 アークフィートは、どこか一点を見つめて呆けている。


「褒美の件に関しては、いかがなさいますか? ディアボロス様は、シチリア王の位を用意されていますが」

「王位? そんなものは不要だ。……それくらいなら、帰還兵への特別手当と遺族への年金を増やしてやれ」

「掛け合ってみましょう」


 エルトルトは、席を立った。


「……まぁ、ハチリア島やエジーダンの防衛戦くらいならやってやる。早いとこ、イスタニアから手を引くよう魔王サマには言っておいてくれ」

「……」


 エルトルトは、無言で執務室を後にした。


「将軍」

「何だ、アークフィート」


「ハチリア島の処遇はどうするんですか?」

「セイゴルの商会にでも売りつけて、何かの基金でも作るか」


「基金、……?」

「戦争は、勝っても負けても、深刻な副作用と長居二日酔いを生む。復興にかけた苦労は、魔族の方が良く分かっているだろう?」


「はぃ」

「今回の戦争で、人界と魔界にどれだけの憎悪が生まれたか。今回の戦争で、どれだけの遺族が母国を恨むか。今回の戦争で、どれだけの指導者が勘違いをし、どれだけの政商が思い上がるか。渦巻く憎しみと欲望に、俺もお前も、無縁ではいられないだろう」


「そういう、ものですか?」

「多分、な。魔界に帰ったら、お前にたくさんの依頼が来る。凱旋式に出てくれだとか、うちの長男を婿にもらってくれとか、うちの軍団に引き抜かれてくれいないか、とか。場合によっては、意地悪な魔王が栄転をエサに配置換えを通達するかも知れない」


「……私の上官は、ただ一人。ベリアルさんだけです」

「……。そうか」


「……」

「さて。見回り連中が居眠りしてないか、少しドヤしに行くか……」


 ベリアルは立ち上がり、執務室を出ようとする。

 その袖を、アークフィートが摘まんだ。


「……?」

「……ぁルベリ」


 急にを呼ばれ、彼はドキリとした。


「何だ、急に……」

「魔界に帰っても、ずっと一緒に、……いたいです。一緒に、戦いたいです」


 いつもの甲冑と違うラフな布服に、久々に風呂で洗った彼女の肌。櫛で梳かした黒髪に、チョコンと生えた片角。ベリアルは、赤面して俯くアークフィートを見てたじろぐ。


「……戦うかどうかは別として。魔王のことだ。実績を作った軍団を評価しつつ、権威を持ちすぎないよう牽制するためには、人事異動の類いも当然選択肢に入る。魔王がエルトルトを使って探りを入れていたのも、そのためだろう。戦時報告書の大部分も、彼女が書いているしな」

「……私は、頑張りました。だから、アルベリと一緒にいたいっていう御褒美も、通るはずです」


「一筆送りつける分には止めないが……」


 彼は頭を掻く。


「お前の成長は本物だ。俺がサタンティノープルの参謀なら、お前とモノ、ユニの部隊を併せ、新設の機動軍を作るだろう。他にも、魔王が考えそうなことは想像が付く。アングエル隊とシェイド隊を合わせ、野戦と攻城戦の両方に対応できる歩兵軍団を創設する。テンプターとアンブラに辺境軍を一任させ、騎兵隊と魔道戦力の統合を図る。これで、エジーダンは安泰だろう」

「……アルベリは、どこに行くんですか……?」


「さぁな……。サタンティノープルの兵士学校でご高説を垂れているかも知れないし、別の戦線に送られるかも知れない。猫人が蔓延るメリエント。亜人と睨み合うクルガチア。魔王のことだ。イスタニア遠征に味を占め、高圧的な対外政策を取る可能性は高い」

「アルベリは、それで良いんですか……?」


 アークフィートは、泣きつくような声で言った。


「……ハチリアとプロキスを魔族領にして、人界と魔界の均衡を作る。俺が魔王に提示した条件は、既に果たされた。……どこかで、俺なりに見切りを付けるさ」

「その時は、……多分、用済みにされるときです」


 アークフィートは、きっぱりと言い切った。


「……。そう、思うか?」


 彼は、アークフィートの頭に手を置いた。そして、優しく撫でる。小さな角が、彼の手を引っ掻く。ぐずるアークフィートの腕が、ギュッと彼の腰を締め付ける。


「……」


 彼は、黙って彼女を抱擁した。












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