第53話:廃墟ロムルス・ポリス
***
──マルキウスが陣を発ってから一日と半分。
──夏の早朝。ロムルス・ポリスの北門にて。
騎乗のマルキウス率いるイスタニア王国軍1万は、これと言った抵抗に遭遇することなく、ロムルス・ポリスの近傍に到達した。
「すぐに引き払ったか。……まぁ、懸命ですね」
マルキウスは独りごちると、近従数名を市内に先行させる。
「……」
マルキウスは、無言で周囲を見渡す。魔王軍の斥候も、同胞の残兵も見えない。
半刻後。近従たちは、ごく少数の生存者を伴って帰還した。
満身創痍のイスタニア兵6人とは別に、さほど疲れた様子でもない少女が一人、混じっている。
一つ結びにされた短めの黒髪と、暗褐色の双眸。白地に青線の防具は、いくらか損傷している。
「そこの美しい人。お名前は?」
マルキウスは馬から下り、やさぐれたように佇む少女に問うた。
「……アイテトラ。あなたは?」
「イスタニア王国軍第3師団長、マルキウスと申します。以後、お見知り置きを」
「ぁあ。ビスティアさんの……」
アイテトラは、ふぅん。と微笑する。
「はい。……彼女と、面識が?」
「多分、死んだよ。彼女」
挑発とも取れる口調で、アイテトラは言った。
しかし、マルキウスは眉一つ歪めない。
「私は、まだ彼女の死体を見ていません」
マルキウスはニッコリと笑うと、後方の諸兵に指で合図を出す。先頭の部隊が、蹄と軍靴を鳴らしながら北門を通過する。
「……ところで。アイテトラさん」
「何ですか?」
「是非とも、私の麾下に加わってもらえないでしょうか」
「……急なお誘いですね。……採用の理由を伺っても?」
アイテトラは、わざとらしく肩をすくめる。
「君の顔は、面白い色をしています。例えるなら……興ざめと高揚が、同居した色って感じですかね」
「興ざめと、高揚。……水と油の感情ですね」
「今の私が、まさにそれなんですよ。……魔王軍の強さは、イスタニア軍部の想定を遙かに超えていた。少し、度が過ぎるほどにね」
「カッシノーネの丘からラナージ・ポリス、そして、ロムルス・ポリス……。思い返せば、人間は一回も勝利を挙げていませんからね。完敗ですよ」
アイテトラとマルキウスは苦笑する。
「……それでいて。あの忌々しい軍部が一掃されたことに、一種の高揚感のようなものを覚えている自分もいる。そして、次に立つのは自分だと、強く訴える自分がいる」
「なるほど」
アイテトラは、両腰に差した双剣に触れる。
「君の喜びは、私のそれとは違うようですね」
「そうですね。……少し、違いますね。……でも」
アイテトラは、マルキウスに一歩詰め寄る。
「……つまるところ、それが闘争心に繋がっているという意味では、彼我の思いは同じではありませんか?」
「いかにも。だからこそ、私はのことを君を誘ったんですよ」
アイテトラは、マルキウスの余裕に満ちた態度に苦笑する。
「誘いは受けます。剣も取ります。……ただし、お互い見ているものが違うということは、くれぐれもお忘れなく」
「構いませんよ」
アイテトラは、マルキウスの側から去った。
彼女は、夏の朝陽を前身に浴びながら、城壁の外に広がる、魔法の弾痕と血糊に彩られた草原を行く。
(──憧れの面影と、好敵手)
(──二人の気配を前にして、何の感慨も覚えないほど、自分は不感症な人間でもない)
「娘の見送りを拒む父でもないでしょう……」
風が凪ぐ草原に、アイテトラの笑みは舞う。
******
──同限。
ロムルス・ポリスよりも南方に、ベリアルの姿はあった。彼は魔王軍7500を連れ、一路ラナージ・ポリスに向かっていた。
「ベリアル様。アークフィート様より、イスタニアの残党を発見したとの報告が」
近従の騎兵が、殿軍からの情報をベリアルに報告する。
「そうか。引き続き、遠巻きに警戒を続けろ」
「……行軍の速度は、如何いたしましょうか」
「荷車の速度はこれが限界だ。このまま行く」
「はっ」
ベリアル率いる重装騎兵部隊と、アークフィート率いる殿軍の前方には、未だに健壮を保つテンプター隊に守られた荷車部隊──魔族兵士の骸数千隊がある。車を引くのはグリフォンや巨鳥の健脚であるために、馬やラバで引くよりは早い。とは言え、全速行軍の半分も出ない現状の速度では、いずれ、イスタニアの残党に捕捉されることになるだろう。
「っ、……。魔王のヤツめ」
ベリアルの悩みは、これ以外にもあった。
イスタニア半島の遙か東──サタンティノープルに鎮座する魔王ディアボロスがよこした命令は、実に簡素なものであった。
──イスタニア半島を、切り取り放題にせよ。エジーダンには、代替の進駐軍を手配した。後顧を憂うことなく、進軍せよ。
「アホらしい……」
この命令を魔王からベリアルに伝えたエルトルトには、現在、別の仕事を頼んである。そろそろ、反応がある頃だ。
「──ベリアル様」
ちょうど、エルトルトが跨がる巨鳥が、前方より駆け込んできた。
「エルトルト。モノとユニは、いつ頃に合流できそうか」
「2日後には、ラナージ・ポリスに到着する見立てです」
「そうか」
「……。時に、ベリアル様」
「何だ」
「シェイド隊は、依然として撤退の準備を進めているようですが。……その」
「俺は、イスタニアに留まるつもりはないぞ」
「……では、いかがなさるおつもりですか?」
「ミネアポリスの守備は親衛隊に任せ、我ら第3軍団はハチリア島に撤退する」
「……ディアボロス様の御厚意を、無に返すおつもりですか?」
「御厚意、か。悪い冗談だな」
ベリアルは苦笑する。
「──旧領召し上げの上、敵地を切り取り放題にせよ。……場合によっては反乱を誘発する危険な差配だ。エルトルト。次に魔王と言葉を交わす際には、くれぐれも忠告しておいてくれ」
「……あくまでベリアル様の私見として、ディアボロス様に上奏いたします」
エルトルトが黙り込むと、入れ替わるように殿軍の伝令騎兵がやってきた。
「──アークフィート様より、総司令に報告。イスタニアの追っ手に合流する部隊あり。軍旗は黄色地に黒抜きの大鷲。合流したのはゲルガニアの軍勢かと」
「ほぅ」
「イスタニアが軍旗を模造し、はったりをかましているという可能性は?」
エルトルトが口を挟んだ。
「有り得ない話ではないが、周辺国が出しゃばってきても不思議ではない。特に、ゲルガニアにとって壊滅したイスタニアは、介入のし甲斐がある良い土地だろう。魔界に対する防波堤として、傀儡政権を立てるつもりかもしれん」
「であれば、そう簡単に領土の奪回を許すべきではないのでは?」
エルトルトは眉をひそめた。
「……今回の遠征は、勇者の召還を阻止することが目的だった。人類諸国との全面戦争に突入することは、端から想定しない。つまり、備えをしていない。よって、勝てる見込みはない。ゆえに、撤退する。俺の言っていることに誤りはあるか?」
「魔王軍の創設そのものが、人類との抗争を円滑に進めるための準備です。魔王の刃たる魔王軍は、いつ如何なる時勢、状況であろうと、魔界と魔族を脅かす外敵を排除する責務があります」
「魔族と人類の均衡を保つには、魔界にも人類みたいな軍隊があったら良いだろうなと思ったから、我は魔王軍の設立に手を貸した。……好き勝手に戦争がしたいのなら、親衛隊でも何でも使えば良い」
「もとより、ディアボロス様もそのつもりでしょう」
「……戦争は冒険ではない。行けるところまで行け、と言われても、諸兵の士気を保つことはできない。次に魔王と言葉を交わす際には、くれぐれも忠告しておいてくれ」
「……あくまでベリアル様の私見として、上奏いたします」
「頼んだぞ」
「はい……」
*
日も傾く、黄昏時。
ベリアル麾下1万5000の魔王軍はラナージ・ポリスに到着した。
負傷兵と骸、警護部隊を壁内に入れ、その他部隊は城外に野営した。
高揚も冷め、故国への思いと疲労が漂い始めていた魔王軍兵士たちにとっては、敵地とは言え貴重な休息の時間となった。援軍や輜重隊との合流を前提に、諸将は酒類や野戦食を大盤振る舞いし、過酷な遠征の労を慰めた。
篝火が照らす中、軍楽隊が笛を吹き、一兵卒に至るまでが、各々の武勇伝を披露した。あと一息で、港が見える。港を出れば、魔界は近い。
魔王軍の諸兵に、再び生気が宿り始めた。援軍5000と合流すれば、追っ手もそう簡単には手は出せまい。そんな楽観的な観測が、諸兵の眠りを深くした。
諸兵は皆、十全の勝利と栄えある故国への帰還を心の底から確信していた。
夜中。地鳴りのような蹄鉄の音が、寝ぼけ眼の魔王軍を叩き起こすまでは。
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