南イスタニア反攻作戦

第52話:マルキウスという男


 ***


 ──エネリ城市南郊。イスタニア王国軍第3師団の野戦陣地。その本営にて。


「──マルキウス将軍! ロムルス・ポリス上空の魔法陣が、消滅しました!」


 本営天幕に駆け込んできた伝令兵が、悲報を伝える。

 ──ぉお、何と言うことだ……。そんな諸将の声が、本営の天幕内に渦巻く。


「女王陛下が亡くなられたとは限らない。捕虜になったという場合もあり得る」


 栗毛に碧眼の若き総大将──マルキウスは言った。黄金色の甲冑を背後に置き、今は布服姿でくつろいでいる。彼の余裕綽々といった態度は、周囲のとある人々の気持ちを逆撫でする。


「よくもヌケヌケとッ!! 貴様がこんなところにいつまでも留まっているから、儀式は失敗したのではないかッ!?」

「左様!! アレイオス大将軍も、あのタイゼリックでさえも、王国のためにその身を捧げたというのに、恥を知れ!」


 本営に居並ぶのは、マルキウス麾下の諸将だけではない。ロムルス・ポリスから逃走──否、疎開してきた、イスタニア軍部の御歴々と、高位貴族の方々もいる。何の権威にもならない勲章を胸に提げた上級将校たちや、戦場では場違いな豪奢な絹服に身を包んだ門閥たちは、こぞってマルキウスを非難する。


「御老輩方、そうカッカせずに……」


 マルキウスは、侍従に目配せする。


「貴様が飄々としていられるのは、愛国心がないからではないかッ!?」

「左様。女王陛下より第3師団を任され、北面の全てを任されておきながら、汝はその恩義を忘れたのか?」


「女王陛下より賜った責任は女王陛下にお返しするまでのこと。軍部や門閥こそ、家財と責任を放棄しおめおめと逃げ帰ってきたこと……ゆめゆめ忘れることのなきように」


「おのれ小僧……ッ、魔王の次は、貴様を滅ぼしてやるぞ!」

「左様。魔王が滅び、世に平安が訪れたとき、貴様のような戦闘人種に生きる場所などない!」


「ははは。もしも御老輩方の言葉が真実であるならば、私は永遠の命を得たということですな……」


 マルキウスは、挑発するように笑う。

 本営の空気がある種の臨界に達してきたところで、マルキウスは咳払いを挟み、神妙な面持ちを見せる。


「御老輩方。今現在、私の手元には2万の兵士が温存されております。それに対し魔王軍は疲労困憊の極致にあり、斥候の情報では、その数は1万と五千。輜重隊を合わせても2万余り。決して勝てない戦力差ではありません」


「魔界の本国から、援軍が来るという可能性はないのかね?」

「左様。魔界は、あと3つ軍団を持っているという噂もある」

「ここは……いっそ、ゲルガニアに援軍を乞うという手段もあるのではないか?」


 御歴々の一人から、ゲルガニアという単語が飛び出した。


 イスタニア王国とアルプ山地を挟んで向かい合う、大陸北部の覇者──それが、ゲルガニア王国である。軍事の上ではイスタニアと対等か、あるいは、それ以上。イスタニア北東部の港町アドリアには、ゲルガニアの飛び地がある。この地には、魔界を牽制するためのゲルガニア陸軍・海軍が常に常駐しており、煉獄海北半分の制海権は、彼らが握っている。陸軍も騎兵が多数を占め、展開能力は非常に高い。

 ゲルガニアとイスタニアは、元来微妙な関係性にあった。そもそもマルキウスの師団がイスタニア北部に派遣されていたのも、ゲルガニアの動向を監視するためであった。──魔王軍の侵攻を見て、ゲルガニアが強制的に軍事介入してくるのではないか。──イスタニアを、ゲルガニアと魔界の戦場にするつもりではないのか。そんな疑心を、イスタニア軍部は拭えないでいた。結局のところ、イスタニア側の杞憂であったと言わざるを得ないが、互いの緊張状態が前提としてあるからこそ、ゲルガニアもイスタニア北東部の飛び地を手放さないわけである。


「……実は、このマルキウス。既にアドリア総督府に援軍要請を出しております。そして、つい昨日。返書を受け取りました」


 マルキウスは、一通の文を掲げてみせる。


「ぉお……。……それで、返事の内容は?」

「左様。中身が大事だ」

「ゲルガニアは、何と言っているのかね?」


 御歴々たちは色めき立つ。


「──『我々ゲルガニア王国は、元来魔王を憎む人類共同体の一部であり、此度の魔王軍なる武装集団による狼藉に、忸怩たる思いを募らせてきた。我々ゲルガニア王国は、新イスタニアと共にあることを此処に表明し、アドリア総督府より、騎兵1万をイスタニア半島南部に展開することを約束する』……とある」


「それは……、つまり、ゲルガニアは援軍を出すと言っているのだな?」

「……奴らとて、神や天使ではない。何か、条件があるのではないか?」

「左様。代償は何だ? カネか? 領土か?」


 御歴々たちは、口々に問う。


「条件らしい条件は、特に書いてありませんよ。払うべき代償は、ないといっても過言ではありません」


 マルキウスは肩をすくめた。


「そ、そんなっ。そんな馬鹿な話があるか!!」

「左様っ! 奴らは十数年前のエジーダン遠征の時でさえ、我々の勇姿を嘲笑い、神の聖戦を無用の道楽と吐き捨てたのだぞ!!」

「その返書は、空手形なのではないのか……?」


 御歴々たちが疑心暗鬼に染まる中。

 天幕の左右が、パッと持ち上がる。


 ちょうど、劇の幕が上がるように持ち上がる。幕の向こう側には、兵士の格好をした演者──ではなく、本物の兵士が立っていた。


「……こ、これは……?」

「何のつもりかね……?」

「彼らは、いったい……」


「そうそう……。ゲルガニアが手を貸すのは、──『新イスタニア』と書いてあるんですよ。まぁ……、何を以て新しいとするかは微妙ですが、私なりの解釈を以て替えさせていただくとしましょう」


 マルキウスは、椅子に立て掛けておいた直剣を取る。


 天幕の左右に並ぶ兵士たちは、既に動き出していた。


 湾刀や短剣が、軍部の御歴々や門閥貴族たちを襲う。

 マルキウス麾下の諸将たちは、涼しい顔をしたまま座っている。


「……殺しは素早く、整然に。良い訓練度だ」


 血の海と化した天幕内を、マルキウスは満面の笑みで見つめる。


「……──総員起立!!」


 マルキウスは声を張る。

 それに合わせ、諸将は立つ。脛当てや鉄鎖鎧の擦れた音が、血の池を震わせる。


「禊ぎは済んだっ!! これより我々は、単独でロムルス・ポリスを奪還した後、ゲルガニア騎兵部隊と合流。魔王軍を、イスタニアから永遠に追放する!!」

「「「はッ!!!」」」

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