第50話:ロムルス・ポリス攻防戦:決着


「──止まれ!」


 薄暗い一直線の回廊に、刃渡りの短い片手剣を構える戦士が立っている。銀髪が目に映える若い女だが、着ている甲冑にお遊びはない。鈍色の胸甲に、厚い腕鎧と脛当て。佇まいは、それなりに様になっている。


「そこをどけ。……」


 ベリアルは足を止めることなく、魔剣をちらつかせる。

 しかし、その程度で怯む相手ではない。


「我が名はビスティア。大神殿警護隊の長だ」


 できる限りの低い声で、ビスティアはベリアルを威圧する。


「我が名はベリアル。魔王軍の将だ。……もう一度言う。そこをどけ」


 ベリアルは、魔剣を片手に歩みを早める。──こんなところで時間を掛けている暇はない。この一文が、彼の頭の九割五分を支配していた。

 彼の目は、ビスティアではなく彼女の後ろに立つ荘厳な大扉に向いている。


「……通路を塞いでた少女は、殺したのか?」

「部下に任せてある。直に、片が付くだろう」


「彼女は冒険者上がりの魔法剣士で、カッシノーネの丘を生き抜いた強者らしい。名はアイテトラ……。覚えておくと良い」

「……。…………」


 あと一歩で、一撃必殺の間合い。


「……」

「……」


そんな距離のところで、ベリアルは足を止めた。


「……?」


 ビスティアも、戸惑いの顔を見せる。彼女は、問答無用で斬り掛かってきた敵をカウンターで仕留めようと構えていたようだ。彼女の力みきった右手は、フリーズしている。


 ビスティアの動きがワンテンポ、ベリアルの動きがツーテンポ遅れた。


「──ッ!!」


 ビスティアの居合抜きに等しい一閃が、ベリアルの仮面を叩き落とした。緋色の鉄仮面が壁を打ち、ベリアルの足下に転がる。


「貴様…………人間っ!?」

「ちっ……」


 若武者の勝ちを急いだ一撃が、互いに再びの衝撃を与える。

 ベリアルは、真っ白になりかけた頭の中身を焦りの色で塗り潰し、強引に一歩を踏み出す。そのままの勢いで、魔王軍の首魁の正体を知り愕然としている女戦士に加減のない一撃を浴びせる。鋳鉄の鎧はざっくりと割れ、隙間から吹き出した赤く温かいものが、通路の両壁と床、そしてベリアルの顔面にほとばしる。


「グゥッ!!」

「…………っ」


 ベリアルは、その一撃で内面の葛藤を斬り捨てる。脇腹の鎧の裂け目から湧水のごとく血を流すビスティアに見向きもせず、ベリアルは顔を拭い、鉄靴を鳴らす。


「この扉か。……」


 ベリアルは、鍵穴のない黄銅色の巨大な巾着錠を見る。魔法や術で解錠するか、物理的に破壊するかの二択しかないだろう。

 ベリアルは、身の丈を悠に超える大扉に付けられた外鍵に魔剣の刃を合わせる。


「その扉は、……そう簡単に…………壊れは、しませんよ……っ、……」


 ビスティアは土気色の顔で微笑んでみせる。彼女は腰を擦り、壁に背を預ける。

 ほころんだ口元は、日頃鎧に身を包み、ありったけの虚勢を張る戦士とは似ても似つかぬ儚さを漂わせる。


「黙れ。……っ!」


 ベリアルは、怒りに合わせて魔剣を振り下ろす。──ガチンッという固い金属の音と、火花だけが虚しく散る。


「……どうして、……人間の貴方が、魔王軍の指揮を執っているのか……良かったら、冥土の土産に教えてくれませんか……?」


 ビスティアは、血を含んだ口で問うた。


「お前には、関係のないことだ」


 ベリアルは、必死に思考を巡らせる。──魔術的な封印なのか。──それとも、物理的な強度なのか。──もし前者なら、正直打つ手がない。──まさか、こんなところで手詰まりなのか。焦りが邪魔をして、彼の思考はまとまりを欠く。


「色々、あったのでしょう……。祖父の言葉を借りるなら、──『戦争は、初心を変える。出世の希望に燃える青年が、当てもなく骸を踏み荒らす老兵になっても、純真無垢の少女が、怒りに燃える復讐者になっても、私は驚かない』……」


「黙れ……!」


 ベリアルは、八つ当たり気味に外鍵を魔剣で打つ。

しかし、不思議なことに、鍵には傷一つ付かない。


「私の初心は、祖父への憧れでした……」

「お前の走馬燈に興味はない。……それより、この門の開け方を教えろ!!」


 ベリアルは、鬼の形相で振り返る。そこには、遠い目をしたビスティアが、一人うなだれていた。


「……偉大な祖父に憧憬を抱き、女王陛下の人徳に心を打たれ、武人として尊敬に値する殿方と、婚約の契りを交わしました」


 ビスティアの手から剣の柄が滑り落ちる。


「……このがなければ、……何かが違ったような気がします……」


 ビスティアは咳き込み、血色の痰を吐く。


「祖父は行方不明。年と共に、汚い部分も見ることになりました……。女王陛下は儀式のために身を捧げ、今や、遠い人となられました。婚約者は、……一度魔族に追い払われて以来、何の音沙汰もありません。……いったい、今、彼はどこで何をしているのでしょう…………?」


 ビスティアは、ベリアルの顔を見上げる。

 彼女の表情は、悲痛の色に染まっていた。


「……全てのよすがに見放され、一人ぼっちになった心を鉄具に包み、見たこともない勇者のために命を散らす覚悟。……貴方に理解できますか?」

「……」


 ベリアルは、再び鍵穴を見る。


「……戦争は、寂しい人間には向かない仕事です……。心が空いた人間は、あれもこれもと手を伸ばし、虚ろな現実を前に絶望する。本当は、後ろめたさも後悔も、葛藤も逡巡も、荒々しい現実の前には、何の力もないことを知っている……けど、人間はそれを捨てられない。それを捨てた時、……人間は、人間でなくなる……。つまり、……天に帰るのです。…………」


 ビスティアは、眠るように目を閉じる。


「私は、……武人としてそれらしい最期を選びました。……他のあらゆるものと、引き替えに。……」


 ビスティアの声が、微かに揺れる。

 最期の一息が、彼女の喉を鳴らす。


「……願わくば、……私の後悔が……誰かの道に……、……なって、……──」


 ビスティアは、事切れた。


「……」


 ベリアルは思うところがあり、ビスティアの骸を横倒しにすると、胸甲に魔剣の鋒を当て、かち割った。

 彼女の首には、いかにもそれらしい鍵が、ぶら下がっていた。


「……」


 ベリアルは剣を収めると鍵を取り、大扉の外鍵にそれを近づける。外鍵と鍵棒の間に、強烈な魔力の脈が走る。

 外鍵と鍵棒の金属が相互干渉を起こし、錬金魔法を展開。巨大な外鍵は、鍵棒の先端に合わせて鍵穴を形成する。ベリアルは、鍵棒を鍵穴に差し込む。続けて鍵を回そうとするが、鍵棒と鍵穴が噛み合っているのか、上手くいかない。ベリアルが顔をしかめているうちに、


「──ッ!?」


 ベリアルは、視覚と波動の両方に酔う。目の前は渦を巻くように歪み、体は石化したように動かない。重く、鈍い金属音を経て、視界が正常に戻る。


「……間もなく、勇者様が現れます」


 白服の女王──エルマナは言った。

 女王の背後に控える祭壇には、黄金色を放つ幾何学魔法陣が複雑に展開し、門や柱を幻出させている。が現れるに相応しい、荘厳な威風を纏っている。


 女王エルマナは、金糸織の高位の神官服を纏っている。

その金髪や袖口は、幻影の門から吹き出す魔力の威風にたなびいている。彼女はどこか遠くを見るような瞳で、ベリアルの方を見る。


「儀式を今すぐ中断しろ。……然もなくば、斬り捨てる」


 ベリアルは言った。

 彼は、魔王より与えられた赤紫の鎧で身を固めている。

 その頬には、返り血を拭った跡が生々しく残っている。


「私に、儀式をやめるつもりはありません。これは、私の存在意義ですから。……ですが、私を殺せば、儀式は中断されます」

「……繰り返す。儀式を、今すぐ中断しろ」


 ベリアルは、語気を強めて勧告した。

 女王は、首を横に振る。


「貴方は……人間ですね」


 エルマナは、薄く微笑んだ。


「そうだ」


 ベリアルは、腰の鞘から長剣を抜き放つ。


「貴方は、魔族に寝返ったのですか?」


「……そうだ」

 ──そうするしか、なかったんだ。


 ベリアルは、女王に向かって一歩を踏み出す。


「貴方は、人類を見捨てたのですか?」


「……それは、……違う」

 ──俺は、捨てられたと思ったんだ。

 ──そして、折悪しく、それでいて幸運にも、無二の出会いを得た。


 がしゃり。と、具足が鳴る音が、女王に迫る。


「貴方は、私を救いに来たのですか?」

「救い……?」


 一振りの間合いに入ると、ベリアルは立ち止まった。

 虚ろな瞳で微笑む女王に、死を恐れる素振りはない。


「違うのですか?」


「お前を救うのは、俺の仕事じゃない」

 ──つい先日。タイゼリックという男を救ったのは、軍人の誉れだった。軍部の方針に異議を唱えつつ、青い反抗心を捨て、理想とする武人像に身を捧げた。

 ──つい先刻。ビスティアという少女を救ったのは、忠義の全うだった。疑問と葛藤に苛まれることを捨て、忠義の士として命果てる道を選び、目を閉じた。


 ベリアルは、女王の背後にそびえ立つ、光の幻影を一瞥する。光りの風は五彩を帯び、勢いを増している。もはや、一刻の猶予もない。


「……であれば、貴方はその御劔を、如何なる目的のために振るうのですか?」

「それは、……」


 ベリアルは、長剣を高く振り上げた。


 ──俺は、あの時に一度死んだんだ。

 ──アークフィートという鬼に遭い、魔王という死神に出会った。

 ──引き返しようのない人界に残した想いと、取り返しようのない過ちに対する後悔と、問い返すことしかできない自問と葛藤に、俺は、


 ──終止符を打つ。



「この戦争を……終わらせるためだ」



 ベリアルは、エルマナを見据える。

 全てを悟った女王の顔は、どこか妻を──メッサリナを思わせた。


 それもそのはずだ。エルマナの同族にエウリケ王女があり、エウリケの影武者がメッサリナだったのだ。エルマナの年頃も、ちょうど、出会った頃のメッサリナに近かった。


 エルマナは杖を放り、静かに目を閉じる。


「さぁ……。王国の歯車を、その手で抜き取ってくださいませ……」


 彼女の顔は、既に眠っているようだった。

 限界まで生きながらえることよりも、無念の死を選ぶ。彼女は、タイゼリックやビスティアと同じ道を選んだのだ。

 ベリアルの──そして、アルベリの腕に、沸き上がる怒りが走る。



「…………──ぁあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」



 ベリアルは叫びと同時に、過去の幻影と未来の厄災を断ち切った。










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