第44話:大神殿警護隊の日常
──ロムルス=エネリ間の戦いから一日が経過した、9月26日。
ロムルス・ポリス内の指揮は、微減していた。
エネリからの援軍──イスタニア王国軍第3師団マルキウス率いる1万が、門に至ることなく撃退されたからである。
アレイオスの副官リリックは、一日中ロムルス・ポリス市内を歩き回り、城壁の点検から諸兵の叱咤激励・綱紀粛正に至るまでを一人で取り仕切っている。
王宮に詰める文官、大臣、軍部のお歴々たちは、これといって何かの役に立っているわけでもない。むしろ、兵士たちに袖の下を握らせ、いざという時は、一番にロムルス・ポリスから脱出できるよう算段を整えている。そんなに逃げたいのなら一般住民と共に疎開すれば良かろうに……とも思うが、屁の突っ張りにもならないプライドが邪魔をして、──魔族に背を向けた。だとか、──エルマナ女王陛下が儀式に及んでいる中、我が身可愛さで逃げ出すとは何たる不義不忠か。とそしりを受けることをはばかり、これまた何の利益にもならないチキンレースを繰り広げている。
*
昼下がり。ロムルス・ポリスの中心──大神殿に詰める大神殿警護隊の面々は、剣技の訓練を早々に切り上げると、寮に戻り、動きやすい薄着に着替え、羽ペンと羊皮紙を取り始めた。
新米警護兵アイテトラは、隊長ビスティアの寮部屋に招かれる。同僚兵士8人の共有スペースは、それほど広くない。剥き出しの瀝青壁と、人数分の簡素な寝具。低めの天井。小さな採光窓。あまり、居心地の良い場所ではない。
「ぁの……ビスティア隊長」
「ビスティアで良いですよ」
「ビスティアさん。これから市街戦というタイミングで、訓練を早々に切り上げた理由をお聞きします」
「……逆ですよ。明後日より先は、訓練と実戦の毎日です。その前に、自分の近況なり遺言なりを、家族や故郷に手紙で送る時間を設けたのです」
「はぁ……」
アイテトラは、気後れするように反応した。
──自分が、今ここにいる理由。それは、自明でもなければ明白でもない。
──父の背中を追いかけるため。父の最期を知るため。父の仇を討つため。
──父の最期は、アレイオスの口から聞き出した。父の仇は、……彼がいわゆる仇なのかどうかは分からないが、戦場の混乱に紛れて始末した。
──目の前で、少し頬を染めながら、羽ペンを走らせているアレイオスの孫娘を手に掛ける理由はない。彼女は、祖父の偉大な顔しか知らない。彼女に責はなく、これ以上の不義は、自分も、母も、そして父も望まないだろう。
──父の背中は、あまりに朧気で遠い。決して誉められた物ではない王国に命を賭け、その身を危険に晒してまで、追いかけるべき背中なのか。
──カッシノーネの丘で経験したが、魔王軍は強い。ロムルス・ポリスが廃墟となる前に、街を脱出し、母を連れてゲルガニアへ落ち延びるか。
「……ビスティアさん」
「何ですか?」
「ビスティアさんは、やはりアレイオス大将軍の背中を追って、武人の道を選んだのですか?」
「はい。……お祖父様は、とても偉大な将軍です。煉獄海の魔族を討つ、王国の剣として、武人の鏡として、尊敬しています。……初めのうちは、本当にそれだけのことで、武人の道を歩んでいました」
「……今は、違うのですか?」
「違うと言うよりは、……広がりました。今の私には、お祖父様の他に、エルマナ女王陛下という誇るべき主人がおります。……他にも、……その。……」
「……マルキウス将軍」
「なっ! どうしてそれを……!」
「手元の手紙に、宛名が書いてありますから。……」
「! ……」
ビスティアは、慌てて手紙を胸と腕で隠す。
「噂で聞くところによれば、ビスティアさんとマルキウス将軍は、婚約者の間柄でいらっしゃるのだとか。そんなに赤面する話でもないのでは?」
アイテトラは小首を傾げる。
「マルキウス将軍と私の婚約関係は、せっ、政略結婚みたいなものです。お祖父様と、先方の御当主が決めたことでっ、……私と、マルキウス将軍の仲は、それほど睦まじいものではなく。……行き違いや心労も耐えないのです」
「マルキウス将軍は政略結婚と割り切っている一方、ビスティアさんは将軍に本気で惚れている……と?」
「…………!!」
「なるほど……」
アイテトラは苦笑する。
「……アイテトラさん」
「はぃ?」
「……この国は、必ずしも善良な国家ではありません」
「はぃ……」
アイテトラは、少し驚く。
「お祖父様は、軍部のやり方を必ずしも評価していませんでした。……女王陛下を高潔なる主ではなく、勇者なる神話上の兵器を呼び出す触媒としてしか見なさない軍部の方針を、先日亡くなられたタイゼリック大都督と共に、冷ややかな目で見ておりました」
「……異議があるなら、訴えれば良かっただけのこと。……アレイオス大将軍は、臆病者ですね」
アイテトラは、声色に毒を込める。
「──『勇気ある者は、この世に存在しない。ゆえに、外界より招き入れなければならない』……」
ビスティアは、祈るようにそらんじた。
「……魔道書の一節か何かですか?」
「召還の儀に使われている、神代の石碑に刻まれた詩文の冒頭です。──『勇気は野蛮に通じ、野蛮は文明の外側より来たる。破壊と蹂躙を以て、蛮は勇を為す』」
「……破壊と蹂躙を以て、蛮は勇を為す。……文明の外側より来たる」
アイテトラの口が、僅かに歪んだ。
「……、アイテトラさん?」
「いえ……。……ビスティアさん。私も、故郷の母に手紙を書きます。……道具を借り手もよろしいですか?」
「はい。どうぞ」
「ありがとうございます」
アイテトラはビスティアの隣に座ると、羽ペンを借り、一枚の羊皮紙を取る。
──澱んだ王国が、野蛮な外界より招かれる、勇気ある者によって洗い流される瞬間を、私はこの目で見てみたい。だから、もう少しだけ、私は戦場にいるよ。
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