イスタニア王国の一幕

第41話:とある冒険者の独白


 ──ラナージ・ポリス陥落の報に揺れる、イスタニア王都ロムルス・ポリス。

 その中枢──第1街区の中央にそびえ立つ、大神殿の南面「大盾の間」にて。


「──アイテトラ。こちらへ」

「はい。ビスティア様」


 大神殿警護隊の女隊長──ビスティアの足下に、一人の少女がひざまずく。

 銀髪碧眼の将ビスティアは、煌びやかな礼装ではなく、実戦用の無骨な鎧を身に纏い、──『女王エルマナの名代として』と刻まれた直剣を、新たな仲間の左肩に振り下ろす。そして、告げる。


「汝を、大神殿警護隊の兵士として迎える」


 左右に立ち並ぶ数十人の少女兵──大神殿警護隊の隊列が、一斉に左胸の装甲を拳で叩く。


「このアイテトラ。身命を賭して、女王陛下及び大神殿にお仕え申し上げます」


 新兵アイテトラは、ビスティアの軍靴を見つめ、誓いを立てる。

 一つ結びにされた短めの黒髪と、暗褐色の双眸。白地に青線の防具が、清廉さと精悍さを引き立てる。


「……ようこそ。ビスティアさん。顔を上げてください」

「はい。……」


 アイテトラは、気後れ気味に顔を上げる。気が付けば、ビスティアの方から顔を近づけていた。


「冒険者出身と聞いていたから、儀式とか、もっと不真面目な態度で臨まれるかと思っていました」

「いえ。そんな、恐れ多いこと……」


 アイテトラは赤面する。


「カッシノーネの丘では、それはそれは獅子奮迅の活躍であったと聞いています。その経験と御力を、私たちにもご教授くださいね」

「滅相もございません……。私はまだ16歳の若輩者です。わたしの方が、色々と勉強したいくらいですよ」


「私たちのような高級軍人の箱入り娘に、剣技や魔法、兵法を語る資格などありません……。決闘やトーナメントのような、ルールがある『スポーツ』だからこそ、並みの男子には後れを取らないと言うだけのこと。アウトローまがいの実戦で鍛えてきた貴女には、遠く及びません」

「ぁははは……」


 さすがは軍部の重鎮──アレイオス大将軍の孫娘。冒険者活動をアウトロー紛いと言ってのけるか……。と、アイテトラは内心苦笑する。


「……ところで。アイテトラさん」

「はい……?」


「その……大変、私事で申し訳ないのですが……その」

「……アレイオス大将軍閣下のことですか?」


「はい。……何か、聞いていませんか?」

「行方不明。としか、窺っておりません」


 アイテトラは、伏し目がちに答えた。


「そうですか。……」

「……大将軍の無事を、心より願っております。……」


 アイテトラは、──それでは。と告げ、大神殿「大盾の間」を後にした。


***


 ロムルス・ポリスの指揮系統は、辛うじて混乱を回避していた。

 とある秘儀のために、大神殿「召喚の間」籠もりきりの女王エルマナは、軍権の一切をアレイオスに委任していた。そのアレイオスが消息不明の今、その代行は、アレイオスの副将リリックが務めている。リリックはカッシノーネの丘で壊滅したイスタニア王国軍第1師団を縮小再編し、これに、あらかじめロムルス・ポリスに温存しておいた兵団を併せ、およそ1万5000の守備隊を整えていた。

 この他に、ロムルス・ポリス城外の警戒を、イスタニア王国の北辺鎮台総司令官マルキウスが請け負っている。

 『人殺しのマルキウス』というあだ名は、彼に限っては最上の褒め言葉である。マルキウスはイスタニア王国と同様に人間族が治める国家──ゲルガニア王国との小競り合いを処理してきた人物であり、諸兵や部下に同胞殺しを断行させる扇動・指揮能力と、人間族特有の小賢しい謀略──暗殺や流言、難民や弱者に紛れ込んだ非正規戦闘員の濫用などに対する対応力の高さは、イスタニア軍人の誰もが認めるところである。アレイオスはマルキウスを警戒しつつも高く評価しており、自分の孫娘──ビスティア大神殿警護隊隊長を、彼の婚約者に据えた。


***


「はぁ……。ビスティアさん。良い人そうだったなぁ……」


 大神殿「望郷の間」から伸びる、王都有数の物見台の上で、アイテトラは溜息をついた。彼女は、ふと北東の空──生まれ故郷の方を見る。次いで、彼女の視線は南東──彼女の『父』が行方知れずになった方角を見やる。


「……お父さん」


 アイテトラは、日が差した虚空の果てに、ポツリと呟く。


「お母さんはね、元気しているよ。……でも、あんまり喋らなくなっちゃった」


 そよいだ夏の風が、彼女の黒髪を優しく撫でる。


「居心地が悪くなって、家を出て、一人で食べていくために、冒険者になって」


 アイテトラは、独り言を続ける。


「……義勇軍として、イスタニア王国軍に誘われた時は、お父さんに少し近づけると思って、ちょっとだけ嬉しくって、お母さんに、お手紙を書いたんだ。……」


 アイテトラの頭上を、一塊の白雲が過ぎていく。


「そしたらね、お母さんが、2つだけ、私にアドバイスをくれたんだ。一つ目は、イスタニアの軍隊を信じてはいけない。二つ目は、アレイオスっていうとても偉い軍人さんが、お父さんの行方について、何かを絶対に知っていて、隠してるって」


 アイテトラの頬を、一段と強い風が撫でて行く。


「この前ちょうど良い機会があってね。そのアレイオスっていう人に、お父さんのことを聞いたんだ。……お父さんとお母さんが若い頃に大変だったってこととか、昔のイザコザのせいで、お父さんが戦場でわざとほったらかしにされたこととか」


 アイテトラは胸壁に両肘を重ね、赤らめた頬や涙を隠すように、顔をうずめる。


「だからね、ってあげたんだ……。どうせあと何年も生きない老害だったから、別に良いよね……」


 ふふふっ……。と、アイテトラの口から、歪んだ笑みが漏れる。


「……大丈夫。お父さんが雲の上から見守ってくれているから、……私、全然怖くなかったよ。ありがとう……。……私の、大好きなお父さん……」


 アイテトラは眠るように目を閉じながら、夏の陽に体を預けた。

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