第39話:ラナージ・ポリス攻防戦:占領


 神翼騎士団の壊滅を、胸壁の上からただ眺めることしかできなかったイスタニア兵は、あからさまに動揺を見せた。明らかに矢玉の数が減り、鼓舞や激励も聞こえなくなった。

 半刻の後。シェイド隊の工兵部隊が、ラナージ・ポリスの南門を突破。ここまで温存していたテンプター隊が城内に突入し、僅か数十分の戦闘で、同都市の鐘楼を占拠。夕刻──ベリアルが入城した頃には、剣戟の音も聞こえなくなっていた。


「──将軍!!」


 テンプターは、騎乗のベリアルに戦果報告する。

 ベリアルの両脇には、アークフィートが控える。


「敵の大将を引っ捕らえました!」

「ほぅ……」


 ベリアルは、テンプターが後ろに立たせているイスタニア将校を見る。

茶色混じりの金髪に、薄ら髭。牡馬の後ろ脚のように盛りあがった腕の筋肉は、彼が並みの軍人ではないことを示している。申し訳に手枷と足枷を嵌めているが、彼がその気になれば、いつでも粉砕されそうである。


「貴様。名は何と言う?」


「俺の名は、タイゼリックだ。カッシノーネの丘では、この女に世話になった」


 タイゼリックは、テンプターを見た。当の彼女は「?」という顔をしている。


「あの右翼を任されていた男か。……人間中心のイスタニアで冒険者やエルフ族を大っぴらに使うとは、随分な変わり者だな」


 ベリアルは、世辞抜きの評価を送る。


「はんッ。良く言われるよ……。そういうお前こそ、人間のくせに魔王軍の司令を務めるとは、随分な変わり者だな。名をベリアルと言ったか」

「ほぅ……。リリックのヤツが、我の正体を言いふらしたか」


 ベリアルは、顔の鉄仮面を取った。

 タイゼリックは、短く口笛を吹く。


「修羅を見た。っていう面構えだな」

「さぁな。……お前はどうなんだ?」


「20年近く前の政変で、オヤジが処刑された。そん時が、人生のどん底だった。後のことは、そんなでもなかったよ」

「……そうか」


 ベリアルは、一瞬反応に詰まった。今から20年近く前。大規模な政変は、一つしかなかった。とある政界の要人が抹殺され、王族の一人が命を絶たれた、疑獄の極致。ベリアルから父を奪い、ベリアルの妻から主人を奪った、忌まわしき事件。


「今は亡きサビヌス先生が遺された人脈が、俺の助けになった。長い時間を掛け、冒険者ギルドを抱き込み、亜人勢力と手を結び、軍部の外側に、もう一つの軍部を作った」

「……」


「……将軍?」


 アークフィートは、無言のベリアルを見る。

 ベリアルは、口を半分ほど開いたまま、言葉を失っていた。


「……なぁ。ベリアルさんよ」

「……何だ」


「今のイスタニア軍部は、かつての腐敗そのままに、かつての悪辣さが抜け落ちている。幹部の連中が、確実に小粒になっている。だからこそ、連中は魔道書の中に出てくる『勇者』とかいう化け物にすがりついている。──勇者さえ召還できればイスタニアの勝ちだ……。連中は、本気でそう思っている。それが、俺は気に入らない。誇りある勝利のために、あらゆる手を尽くすのが軍人だ。最後まで戦い抜くのが軍人だ。御伽話に骨を抜かれ、集団疎開と遅滞戦術しか考えていない連中に、誇りある勝利は有り得ない」


 タイゼリックは、尚も言葉を継ぐ。かさついた唇と、乾ききった喉からの血が、彼の口元に紅い筋を垂らす。


「……お前が、いったい何のために戦っているのかは知らんが、……お前は、何かのために、あらゆる手を尽くして、魔王軍の司令に収まったんだろう? 鬼人でもブタ悪魔でも何でも利用して、とにかくイスタニアに勝ちたいんだろう? 俺からすりゃ、裏切り者のあんたの方が、今のイスタニア軍部よりも軍人らしい」


 タイゼリックは、自嘲的な笑みを浮かべる。


「……タイゼリック」

「何だ?」


 ベリアルは、タイゼリックを真っ直ぐに見据えた。


「我が幕僚に加わる気はないか?」

「ない。……絶対に、有り得ない」


 タイゼリックは、首を横に振る。


「そうか。……」


 ベリアルは、再び鉄仮面を顔に付ける。


「……テンプター」

「はい!」


「其奴を、明日の明朝に処断せよ」

「はっ!」


 テンプターは、随行員を増やした上で、タイゼリックを臨時の獄まで護送した。

 その様子を、ベリアルは無言で見つめている。


「……アルベリさん?」

「……っ」


 アークフィートは、ベリアルに馬を寄せて囁いた。


「……どうか、しましたか?」

「今は軍務の最中だ……。その名は呼ぶな」


「はぃ」


 アークフィートは、大人しく引き下がる。


「……」


 ベリアルは、茜色に紫が差す、不気味な空を仰ぐ。


 ──泣き寝入りを決めた臆病者が、我が身可愛さと、一時の激情に任せ、祖国を悪魔に売り飛ばし、故郷を戦火の厄災に巻き込んだ。


 ──その一方で。一度はどん底を経験した憂国の士が、武人の誇りと、卓越した器を以て、祖国を守り、祖国を変えるために戦った。


 ──真に正しき者はどちらか。

 ──父が求めるのはどちらか。

 ──王女が喜ぶのはどちらか。


 ──俺が、そうありたいと願った生き方は、いったいどちらだったのか。




「──ベリアル様」


 ベリアルの元に、今度はエルトルトが現れる。


「……。どうした」


 ベリアルは、頭を切り換える。ここは魔王軍の手に落ちたとは言え戦地であり、今の彼にとっては異国であり、敵地である。腹の足しにも、武器にもならない自問自答に時間を割いている余裕はない。


「エルフの処遇を測りかねております。裁可を」

「今、彼らはどのようになっている」


「ラナージ・ポリス内の地下倉庫や馬小屋に押し込んだところ、口枷を外した輩が雷撃魔法や爆発魔法を詠唱する始末。手に負えません」

「魔法に詳しい者を呼び、詠唱阻害の結界を展開しろ」


「第6軍団のアンブラ殿率いるシャーマン部隊は、現在、治癒活動に奔走中。鬼人騎士団の魔道騎兵部隊には、丸一日の休養が必要です」

「そうか……。魔法使いを捕虜に取ると、なかなかに面倒だな」


「……エルフ族の魔力を削り取るのであれば、それこそゴブリン族やオーク族でもできますが?」

「エルトルト。お前の言わんとすることは理解している。……が、それは却下だ。行軍の速度が落ち、軍紀が乱れる。喧嘩も増えるし、悪い病気も流行る……。良いことは一つもない」


「……まさか、ベリアル様は、……本気で乱取りを禁止するおつもりですか?」


 エルトルトは、顔と声には出さないが、目には「呆れた」という色を見せる。

 乱取りとは、戦争に付随する不法行為の全てを指す。略奪、暴行、陵辱、殺人、放火、誘拐、エトセトラ。エルトルトが示唆したものは、列挙したうちの三番目に該当する。


「別に、刑務隊を組織してまで止めはしない。だが、決して推奨もしない。特に、エルフ族の処遇は外交案件だ。一夜の遊びのために、魔界全体の利益を損ねることがあってはならない。エルフの諸兵には、魔王軍の強さと寛大さの記憶を持って、本国に帰ってもらう。それが、この先起きうる戦争を回避する第一歩となる」

「まぁ、僕もベリアル将軍に賛成ですよ」


 クルートは、エルトルトの方に向いた。


「エルトルトさん。──『ユニコーンのツノは、僕が相場の2倍の音で買い取る』と、隊内の皆さんに触れ回ってください」

「倍。ですか……」


「……クルート。話が繋がらないのだが」


 ベリアルはクルートを一瞥した。


「アソコに自信の無いヤツが、ユニコーンのツノをへし折って、そいつの持ち主に使う。って言う鬼畜の所業があるんですよ。そう言うのは、未然に防いでおいてもバチは当たらないかと」

「将軍。鬼人騎士団からも、巡回の部隊を出しましょう」


「だな。……ムッサイ男にしか興味がないソッチ系の男と、枯れ専の鬼女を募れ」

「了解です。将軍は?」


「長らく敵の矢玉に耐え続けた、シェイドたちをねぎらってくる」


 ベリアルたち各員は、散開した。

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