第35話:第4軍団の日常
***
──カッシノーネの丘で、遠征軍が敵味方の骸を処理し終えた頃。
ハチリア島にある、魔王軍第9辺境軍の司令部。その執務室にて。
遠征軍第4軍団長の一角鬼人セイゴルは、剣の代わりに羽ペンを、盾の代わりに印鑑を握り、羊皮紙の山と格闘していた。
「ふぅ……」
仄暗い、飾り気のない部屋に一人きり。商人時代から慣れっこの職場とは言え、さすがのセイゴルも気が滅入る。彼は気分転換のため、部将たちからの私信に目を通すことにする。
一般に、前線から送られてくる書類は3種類である。一つ目は、公印やサインが入った公文書。これは、補給の要請に使われる。二つ目は訃報。死んだ同胞の最期について、包み隠さず遺族に報告するための文書である。そして、三つ目が私信。これは、公文書にはしづらいような個人的な報告(例:現地で子供ができました)や、生死の狭間を歌った詩文(一番扱いに困る)、内々の要望書(公費じゃ絶対に落ちないであろう備品の補給)などが該当する。
セイゴルは、巻紙の一つを手に取った。蝋印から、テンプターからの私信であることが分かる。
「テンプターさんは……『──今日もアンブラちゃんが可愛い。朝一番のあくびが可愛い。堅いパンをはみはみしてやわらかくしているところが可愛い。オーク族の兵隊さんを癒すとき、患部が高いところにあって、踏み台の上で背伸びをしているところが可愛い』……。幸せそうで何より」
セイゴルは、別の私信を手に取った。アングエルからの手紙だ。
「ぇーと……少な。『──海馬の丸焼きが食いたいでござる』。無理ですよ。あの子たちは大事な運搬役なんですから。農家が牛を食うようなものです」
セイゴルは、次の私信に目を移す。送り主はアークフィートだ。
「アークフィートさんは……『──背を伸ばしたいです。牛乳が欲しいです。腕を伸ばしたです。牛乳が欲しいです。それから、出るところを出したいです。牛乳が欲しいです』。……別に、牛乳は万能薬じゃないんだけど。まぁ、少しくらい送ってあげようかな」
セイゴルは牛乳4ダースの発注書を書き終えると、シェイドの私信を開く。
「……『──木材と鉄粉。鉱石の粉。瀝青。ナフサを求む。詳細は二枚目に書いてある』。……?」
セイゴルは、一緒に包まれていた羊皮紙を見る。何かの設計図だろうか。台車の上に、樽を縛り付けたような。珍妙な物体のスケッチが描かれている。
「現地調達してください。……」
セイゴルは、最期にクルートからの私信を見る。
「……『──包帯と薬、買い足してくれてありがとう。カッシノーネの丘は激しい戦闘になったから、大いに役に立っているよ。/そうそう。ナール川の上流で採取できる薬草を、少し買い増してくれるかな。あの薬草、あの辺の地域じゃぁ有名な民間療法らしくてね。ナール川上流の出身者には、よく効くんだよ。心理的な効果なんだろうけどね。戦場にいる間は、どれだけお金があっても怪我は治らないし、お腹も膨らまない。また、僕の小切手を入れておいたから、宜しく頼むよ』……」
セイゴルは公用の発注書ではなく、ただの白紙を用意する。
そして、インク入れに羽ペンの先を付ける。宛名は、ナール川の富裕な交易商。その昔、クルートが、セイゴルに紹介してくれた人物である。
「何を好き好んで、あの方は戦場に赴くのか。……」
セイゴルは呟いた。──人類を特別に憎んでいるわけでもなければ、商才がないわけでもないのに。クルートは何を求めて、刃を振るうのか。セイゴルの頭には、どうにも測りかねた。
「……さて」
仄暗い執務室には、ペンが走る音だけが聞こえる。
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