第33話:カッシノーネの丘の会戦:展開
──同国。カッシノーネの丘北限。
イスタニア王国軍の本営天幕にて。
新米の伝令兵が、緊張の面持ちで入ってきた。硬質の顎髭を蓄えた猛将や、長髪細目の軍師、美形の青年士官など、イスタニア王国軍第1師団の幹部たちが勢揃いしている。
彼らは遠い剣戟の音に耳を澄ませつつ、──ゴブリン兵を何人殺害した。オーク兵を何人無力化した。敵軍には鬼人族の女兵士や将軍もいるらしい。……といった「朗報」の数々に、口元を緩めていた。
そんな事情はつゆ知らず、新米伝令兵は声を大にして役目を果たす。
「タイゼリック大都督から、アレイオス大将軍に報告です。──『当方、敵右翼を順調に押している。至急、大将軍閣下も前進されたし』とのことです」
「んん。……」
イスタニアの老将──大将軍アレイオスは、卓上に設けられた精緻なジオラマを見下ろしている。年季の入った鎧を着込み、紫の外套と金色の勲章が、彼の威厳を高めている。
彼はジオラマにチェスの駒を並べ、現在カッシノーネの丘で繰り広げられている戦闘を再現している。タイゼリック率いる冒険者部隊は、アレイオスが思っていた以上の成果を挙げ、魔王軍の右翼──テンプターの部隊を後方に押し込んでいる。アレイオスは、味方を示す白い駒を進め、魔王軍を示す黒い駒を奥に下げる。
「大将軍……?」
若い伝令兵は、祖父ほどの年齢であろう大将軍に返答を促した。
「……リリックの方はどうなっておる」
アレイオスは、細目の軍師に問うた。
「一進一退とのことです。破られることはないかと」
細目の軍師は、淡然とした口調で答えた。
「んん。……重装騎兵5000を、タイゼリック大都督の元に送れ。重装歩兵部隊8000は、500歩前進せよ。長弓部隊、魔道歩兵部隊も同様に前進せよ」
「はっ!」
新米伝令兵は、きびきびとした天幕を出て行った。
「さてぇ」
顎髭の猛将が進み出て、卓上のジオラマに手を伸ばす。白駒を取り、黒駒を弾き出す。
「……敵右翼を粉砕した後、左手から巻き込むような形で包囲。本隊からの圧力を併せ、魔王軍を押し潰す。シナリオは、こんな感じですか?」
「んん。……タイゼリックは本隊から離れすぎている。ゆえに、騎兵を送った。」
「……あいつ。冒険者を囲い込んで、独りよがりになっていやがる。……大将軍。このまま、奴に手柄を渡すのは惜しくないですか?」
「軍部の意向は良く分かっている。……儂もまた、軍部の一員だ。軍部の主流派に属さない人間を、野放しにするつもりはない。……が。彼を最前線に送れと言ったのは、確か君ではなかったかね?」
「それは、……」
アレイオスは、顎髭の猛将を睨み返した。その眼光は、猛禽類を思わせるような鋭さを帯びていた。
*
──半刻後。
戦闘は依然、兵力に勝るイスタニア王国軍が優勢であった。イスタニアの代名詞とも言える精強な重装歩兵部隊が、戦局をコントロールしている。彼らが100歩進めば、戦線は100歩前進する。すなわち、魔王軍は100歩の後退を余儀なくされる。もしも戦場がただの平野であれば、とうに決着はついている頃であろう。アレイオスはカッシノーネの丘周辺が持つ特有の高低差──七つの丘が複雑に入り組んだ地形を考慮し、歩兵の前進速度を抑えている。隊伍を乱さず、僅かな隙間も許さないためである。
「──報告!」
さっきとは別の壮年伝令兵が、天幕を訪れた。
「敵の中央部隊が、本格的な後退を開始しました。オーク兵、ゴブリン兵の死体を多数残し、簡易陣地まで退く模様です」
「んん。……重装歩兵部隊は、前進を継続。敵の後詰めに注意せよ。長弓部隊は、リリックの増援に回しなさい」
「はっ」
とんぼ返りする伝令兵を余所に、アレイオスは卓上の駒を整理する。
「我らの勝ち。ですな」
細目の軍師が呟いた。
「んん。……だが、敵の騎兵部隊が見当たらない。右翼の2,3千だけというわけではなかろう。油断は禁物だ」
アレイオスは、落ち着いた口調で言った。
顎髭の猛将は、まさか。という風に笑う。
「とは言え、敵の敗走は秒読みです。退却中の部隊と後詰めの軍団が鉢合わせをしたら、戦場は芋洗い状態になります。身動きが取れない騎兵部隊なんざ、餌でしかありませんよ」
「んん。……」
アレイオスは、特別に低い声で唸った。
彼の「勘」は、何かを感じ取っていた。
「──報告ッ!」
そこに、あの若い伝令兵が飛び込んできた。
「タイゼリック大都督より、緊急提言です。──『敵右翼の大外に、土煙を見た。大将軍より賜った重装騎兵5000を以て、これを調査したい』とのことです」
「何だと?」
顎髭の猛将は、眉を吊り上げた。
「アレイオス大将軍。これは、タイゼリックの露骨な策略です」
細目の軍師が進言した。
顎髭の猛将も同調する。
「大将軍。タイゼリックは、我々の騎兵部隊を前線から遠ざけようとしています。あいつが先を急いでいるのも、我々の銃創歩兵部隊が敵陣を食い破るよりも前に、大将首を挙げようとしているからです! 至急、伝令を使わし、騎兵部隊を前線に戻すべきです!」
「んん。……」
「──た、大変です!!」
そこに、アレイオスの警護兵が駆け込んできた。
「……魔族の騎兵部隊が、攻め込んできました!」
「何だと?」
「まさか……」
顎髭の猛将と細目の軍師は、顔を見合わせた。
「……んん。確かに聞こえる。蹄の音が」
アレイオスは、眉間に深い皺を寄せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます