第28話:ハチリア島の会談


***



 ──535年8月5日。

 イスタニア本土と目と鼻の先──ハチリア島。

 魔王軍第9辺境軍の司令部。その会議室にて。


 ベリアルは、最奥の上座に腰を掛け、イスタニア王国の使節を待ち構えている。

ベリアルは、赤紫色の具足を全身に纏い、顔は仮面で隠している。交渉の展開によっては、彼は、自分が人間族であることを明示するつもりでいる。

 彼の後ろには、エルトルトと、完全武装のアークフィートが並んで控えている。


 第9辺境軍の司令部庁舎は、イスタニア王国軍が使用していたハチリア総督府を間借りしたものである。部屋によっては、制圧戦の痕跡──剣や弓が付けた傷や、魔法の痕が生々しく残っている。かく言うこの会議室も、突貫工事で整え直された空間である。肉食魔獣の頭蓋骨や、禍々しい造花が、壁や卓上を飾る。


 会議室に、テンプターが入ってきた。彼女は、胸当てや手甲、鉄製の襞を綴じたスカートで身を固めている。


「──将軍! 人間さんが到着しました!」

「通せ」


 テンプターは、控え室にとんぼ返りする。

 しばらくして、会議室の扉が、ゴブリン族の番兵によって開かれる。

 イスタニアの外交官が、4人の人間兵士に守られながら、入室した。


「まずは、席に着いてくれ」


 ベリアルは、人間の言語で語りかけた。


「──はぃ。……そのまま、そちらの言語で結構ですよ」


 イスタニアの外交官は、ベリアルよりも一回り若そうな男だった。金髪に碧眼。精悍な顔立ちをしている。彼が着ている青と紫のチュニックは、イスタニア王国の高級文官服である。


「私は、リリックと申します。この度は、イスタニア女王エルマナ様の名代として参上した次第です」


 リリックは、魔界の言語を流暢に操った。


「そうか。……ならば、早速本題に入ろう」

「私が答えられる範囲であれば、何なりと」


「我が主──魔王ディアボロス様は、イスタニア王国に対し、強い警戒心を抱いておられる。何でもここ最近、イスタニア王国の首都ロムルス・ポリスでは、随分と大がかりな儀式を執り行っているようではないか」

「我らがイスタニア王国及びイスタニア王国軍は、神々の加護を得た、神聖な存在です。ロムルス・ポリスの大神殿では、毎日のように、神々への感謝を表わす宗教行事を執り行っております」


「その神聖な王国の領土が、今こうして魔族の支配下にあるという状況を、貴公はどう思っているのか?」

「誠に遺憾であります」


「取り返そうとは、思わないのか?」

「いずれ、必ずや奪還する所存です」


「いずれ? ……ふッ。イスタニア王国軍も、随分と落ちぶれたものだ。7年前の貴様らであれば、すぐにでもプロキス島を取り返すべく、大軍を派遣したはずだ」

「今現在、イスタニア王国軍の長たる大将軍は、7年前の魔界大遠征を成し遂げたアレイオス様です。そのことを、お忘れなく」


 リリックには、全く怖じ気づく様子がない。

 ベリアルは、もう少し挑発することにする。


「……アレイオスが如何ほどの者か。所詮、カイロサンドリアさえも征服できず、盗人のように、おめおめとプロキス島まで逃げ帰った臆病者ではないか?」


 ベリアルの意図を見透かしたように、リリックは微笑した。


「なるほど。確かにそのような言い方もできます。……ですが、それはひとえに、アレイオス様の配慮というものです」

「配慮、……?」


 ベリアルは、仮面の裏で唇を噛んだ。思わず、卓上の拳に力が入る。


「アレイオス様は味方の損害を最小限に抑えるため、長期の遠征を避けたのです。その御陰もあり、かの大遠征で命を落としたイスタニア兵は、15000人のうち僅かに967人。アレイオス様の采配は、正しかったと言えるでしょう」

「……その967人に、妻と子供がいたとすれば。……一組の親がいたとすれば。いったい、どれだけの人間が涙を流すことになるだろうか?」


 ベリアルは、低い声で問うた。


「ご遺族の方々には、満額の年金が支払われたと聞いております。彼ら彼女らは、魔界で命を賭して戦った父や夫、息子たちの勇姿を聞き、喜びの涙を流したと聞いています」

「ふざけるな……っ」


 ベリアルは、ぼそりと呟いた。

 空気が一変したことを、アークフィートとエルトルトは感じ取る。少し遅れて、リリックが眉をひそめる。


「……貴公らイスタニアの本隊は、同胞たちが死んでいく様を見なかった。彼らが命を懸けて戦っていたとき、アレイオスは船の上にいたはずだッ!!」


 ベリアルは机を握り拳で打ち、怒声を上げた。

 初めて、リリックの顔に恐怖の色が浮かんだ。


「……なぜ、魔族の将軍である貴方がそれを……? 私と同様、見ていたわけでもないでしょうに……」

「遺族が死んだ身内の最期を聞いて、嬉し涙を流した? ……そんなはずが、あるわけないだろうがッ!!」


 ベリアルは膝を振り上げ、長机を大きく揺らす。卓上の水差しが倒れ、テーブルクロスがじわりと濡れる。


「……遺族の方々が、非常に協力的かつ献身的でいらっしゃることは、紛れもない事実です。特に、不幸にも玉砕した第1連隊所属の第7中隊は、遺族たちによって神格化され、王都に石碑が建てられています」

「神格化? 玉砕……? 不幸にも……? ……ははっ、……ふはははははっ!」


 ベリアルは、不気味な笑い声を上げると同時に仮面を叩き捨てた。

 露わになったベリアルの素顔を見て、リリックは息を呑む。見紛うことのない、の顔立ち。リリックは、ベリアルがであることを確信する。


「闇落ちの分際で……。この恥さらしめが」


 途端、リリックの目付きが険しくなった。彼は根っからの愛国者であり、生粋の人類至上主義者でもあるのだろう。ベリアルに向けられた眼差しは、並大抵の憎悪ではなかった。


 しかし、ベリアルの怒りは、リリックのそれを遙かに凌ぐものであった。


「一言一句、違えることなくイスタニアの軍部に伝えよ。……『──貴公らの首、必ずやこのベリアルが貰い受ける。カイロサンドリアの恨みと、財務官サビヌスの雪辱、加えて王女エウリケの無念を、貴公らの絶望と破滅を以て晴らす』とな!」

「……対話は決裂のようですね。次は戦場で会いましょう」


 リリックは速やかに席を離れると、殺気立った足取りで会議室を後にした。

 ベリアルは、ゆらりと席を立つと、床に転がった仮面を拾い上げ、静かにそれを装着する。


「……エルトルト」

「はい」


「『ロムルス・ポリスの破壊と蹂躙を以て、魔王の勅命を成し遂げる』と、サタンティノープルに伝えろ」

「畏まりました」


「アークフィート」

「……はぃ」


 アークフィートは、少し、怯えたように答えた。

 ──彼女とベリアルが出会って間もない頃。魔王に挑発魔法を掛けられ、発狂し興奮したときの彼を、アークフィートは思い出す。


「8月が終わる前に、イスタニアの本土へ上陸する。俺と一緒に総司令部へ戻り、部隊の編成を手伝え」

「はい」


「時に、ベリアル様」

「何だ。エルトルト」


「ハチリア島には、テンプター様の第9辺境軍4700と、魔王親衛隊の分遣隊がおります。恐れながら、わたくしをテンプター様の参謀役に推薦してくだされば、ベリアル様が大軍を連れて戻ってくるまでに、ロムルス・ポリスに程近い港町──ネア・ポリスを、攻略して御覧にいれましょう」

「……お前には、魔王への連絡を命じたはずだ」


「ディアボロス様との念力通信は、ハチリア島からでも可能です」

「…………。良いだろう。その自信、明確な戦果を以て証明せよ」


 ベリアルは、足早に会議場を去って行った。

 アークフィートは、エルトルトを一瞥する。


「……あいにくですが。わたくしは何も仕組んではいませんよ?」

「……」


 アークフィートは、黙ってベリアルを追った。



******



 ──535年8月15日の夜。

 サタンティノープルの魔王城。その最も高い塔の屋上にて。


『──ぁあ、エルトルト。……ぅん。感度良好だよ』


 魔王ディアボロスは、晩夏の満月を見上げている。

 彼は今、エルトルトと念力通信をしている。


『──ベリアルからは、ちゃんと遠征軍の編成案が届いたよ。もう承認したから、明後日の朝には出陣するはずだ。……ぅん。君が欲しがっていた物は、セイゴルに運ばせたから。それじゃぁ、頑張ってね』


 魔王は、通信を切った。


「……さて。出来損ないの魔王軍コピーベリアル裏切り者が、人類国家オリジナルに勝つことができるのか。魔王軍の正念場だね」

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