イスタニア遠征までの経緯

第26話:煉獄海の覇権を巡る戦い


***



 ──534年10月。

 冬が来る前に、魔王ディアボロスは決断した。

 魔王は、サタンティノープル近海で養殖していたクラーケンの群れを、煉獄海に解き放った。魔王軍の矛先は、プロキス島に向けられた。


 クルート率いる第6辺境軍5000を先鋒に、魔王親衛隊から10000、第3機動軍からアングエル率いる第1軍団5000、これに、クルガチアから動員した第2機動軍の分遣隊5000を以て、プロキス島を攻略した。

 プロキス島を守備していたイスタニア王国の冒険者部隊2000人は、魔王軍の組織だった動きに仰天し、正面切っての戦闘を避けた。冒険者たちは速やかに船を出し、イスタニア本土へ撤退した。魔王軍は追撃を手控えた。


 ──同月。魔王は、もう一つの大規模遠征に打って出た。テンプター率いる第9辺境軍に煉獄海を渡らせ、ハチリア島に橋頭堡を築いたのだ。


 これら2つの海外遠征は、以前クルートが魔王に紹介した、プロキス島生まれの商人セイゴルの尽力によって支えられていた。セイゴルの商会は、エジーダン産の穀物を、内地から前線へ、陸海を問わず、円滑に送り続けた。


 ハチリア島を守っていたイスタニア王国軍5000は、突然の攻撃に動揺した。彼らは魔界を攻めることには慣れていたが、自国を守ることには必ずしも長けてはいなかったのだ。7日に及ぶ激戦の末、イスタニア兵は本土に撤退した。




 以上2つの遠征に、ベリアルは従軍しなかった。彼は、カイロサンドリアにある第3機動軍の総司令部にいた。


(──人間相手の戦争に、魔王が配慮を示したのか。或いは、船酔いであることを考慮してくれたのか)


 ベリアルは、そんな馬鹿なことも考えた。しかし、あの魔王がそんなに生易しい上司だとは思えなかった。


 魔王の立場で考えれてみれば、彼の意図は明白である。ベリアル抜きで魔王軍を運用する。このことに、明確な意義があるのだ。『──ベリアルは、一介の司令官に過ぎず、魔王軍全体の指揮統帥権は魔王が握っている』ということを、ベリアルを含めた全ての司令官たちに思い知らせる。プロキス・ハチリア両島への同時遠征が持つ内向きのメッセージは、こんなところであろう。


 無論、両島に対する大規模かつ計画的な遠征は、魔族と対立する人間勢力や亜人勢力に向けられた強烈なメッセージでもある。むしろ、魔王の主眼はこちらの方にあると見るべきだろう。


 プロキス島は旧魔族領であるから、魔王による遠征には『奪還』の大儀が立つ。しかし、ハチリア島は違う。ハチリア島はイスタニア固有の領土であり、同島への遠征は、魔族による明確な『侵略行為』に当たる。

魔王はイスタニア王国に対し、魔王軍によるハチリア島占領は【今から6年前、貴公らが行なったエジーダン遠征に対する報復である】という旨の書状を出した。イスタニア王国が、この声明を受けどう答えるのか。それが、今後の焦点となる。


 戦争と外交、戦争と綱紀粛正の合わせ技は、歴史叙述でも、わりと多く語られる分野である。


(──恐らく、魔王もよく勉強しているなんだろう)


 ベリアルは、プロキス・ハチリア両島からの戦時報告を読みながら、そんなことを思っていた。



***



 ──534年12月。昼。

 魔界西部──エジーダンの中心都市カイロサンドリア。

 その中央地区にそびえ建つ、第3機動軍総司令部にて。


 鬼人族将校たちの、ささやかな親睦会が開かれていた。

 縦長のテーブルには、それなりに奮発した料理が並んでいる。食材の手配をしてくれたのは、セイゴルである。エジーダンを縦断するナール川で捕れた白身魚や、新鮮な羊肉の他に、不死鳥のトサカや、キメラの肝といった珍味が並ぶ。


 最奥の上座にベリアルが座り、アークフィートとクルートが左右の次席に座る。アングエル、テンプター、シェイド、モノ・ユニ姉妹が、それに連なる。


「エルトルトさんは欠席ですか?」


 アークフィートがベリアルに訊いた。彼女は、ベリアルと初めて出会ったときに似た、オリエンタルチックな服装をしている。白地のワンピースドレスに、金銀の細かい装飾品を付けている。金細工の桂冠が、控えめに光っている。


「エルトルトは、魔王との念力通信があるらしい。今は屋上にいる」


 ベリアルは答えた。彼は、魔王との謁見でも常用する、白と真紅のチュニックを着ている。


「隊長! 念力通信って何ですか?」


 テンプターが手を上げて訊いた。彼女は、両肩を大胆に出している。胸から下を爽やかな青い薄布で巻き、宝石を嵌めたベルトでウェストを引き締めている。髪は高い位置で纏められている。


「魔法のことは俺に聞くな」


 ベリアルは肩をすくめた。


「「それじゃあ、私たちが代わりに説明いたします!」」


 モノ・ユニ姉妹が口を開いた。彼女たちは、お揃いの色違いワンピースドレスを着ている。多分モノが水色で、ユニが黄色のドレスである。もしかしたら、逆かも知れない。


「念力通信というのは、強力な思念の波動を、月面に反射させて遣り取りする魔法です。テレパシーよりは簡単だけど、通信環境は天気によって左右されます」

「それから、通信者同士の相性も大事なんです。相手が都合良く空の下にいるとも限らないので、前もって、通話する日付や時間を決めておく必要もあります」

「ほぇー」


 半分も理解していないような顔で、テンプターは聞き流す。彼女の関心は、目下卓上の料理にある。

 アークフィートとアングエルも同様だった。アングエルは、その一際大きな体で椅子を軋ませている。彼は外見の通りの大食漢であり、下ろしたてのチュニックも緩めに着用している。


「ベリアルさん。これ、全部食べて良いんですか?」


 アークフィートは食べ盛りの16才。食具を片手に、貧乏揺すりをしている。


「ああ。好きなだけ食べると良い。今日の宴は、全部経費で落ちる。そうだよな? セイゴル」


 ベリアルは訊いた。


「はい。これも、プロキス島を取り返してもらえた御陰です。この後、デザートも出ますよ」

「マジか……! 魔王軍も随分と羽振りが良くなったなぁ!」


 シェイドが、酒瓶を抱えながら言った。ごわごわの髭で、時価ぅン万ゴールドのワインボトルに頬ずりする。


「今夜の宴は、長くなりそうだ。……」


 ベリアルは、赤酒に満ちたグラスを持ち上げる。

 何食わぬ顔で、そのままグラスを口に近づける。


「ベリアル殿。音頭くらい、取ったらどうです?」


 クルートがたしなめた。

彼もベリアルと同様、公務に常用する白と紫の衣を着ている。


 アークフィートとモノ・ユニ姉妹は、リンゴジュース入りのガラス瓶を持つ。


「失敬。……本日は、プロキス島の奪還とハチリア島の奪取、加えて、魔王軍及び諸君らの勝利と健闘を祝い、存分に飲み明かそうではないか」

「「「ぉおーっ!」」」

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