第25話:魔王軍の発足


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 ──コボルト王討伐戦争から4年が経った、魔界暦534年の5月。

 魔界の首都サタンティノープル。

その中枢──魔王城の玉間に直結した、執務室にて。


「ベリアル。四年前の会話を、君は覚えているかい?」


 椅子ではなく、最奥のデスクに腰を掛けている魔王は、徴発するように問うた。傍らには、エルトルトが控えている。

 魔王は相変わらずのディアボロス少年であり、エルトルトも、相変わらずの側近ぶりである。


 ベリアルは、魔王から支給された公用の略式礼装──白とを真紅のチュニックを纏い、少々手狭な執務室の入ってすぐのところで、手を後ろに組んで立っている。


「確か、……魔王軍を本当の軍隊にするには、長い時間が掛かる。とか言ったな」


 ベリアルと魔王の距離感も、相変わらずであった。魔王の方が上座であることは明白だが、その一方で、魔王はベリアルに、過度な忠誠を強いてはいない。少なくとも、今のところは。


「四年という歳月は、人間族にとっては長い部類に入るのかな?」


 魔王は訊いた。


「人によるだろう。少なくとも、若者にとっての4年は長い。4年もあれば、若い人間は見違えるほどに成長するし、堕落もする」

「なるほど然り。それは、魔族も例外ではなさそうだ。アークフィートの成長ぶりには、目を見張るものがあるからね。外見的には大して変わってないようだけど」


「ここ4年の間、身長が8センチ伸びたそうだ。出会った頃に比べれば、ちゃんと育っている」

「コッチの方はどうなんだい?」


 魔王は、自分の胸を指差した。


「知るか。……。…………まぁ、まだ、これからだろう」

「エルトルトはどう思う? 彼女、僕好みに育つかな?」

「アークフィート様は勉学のために夜更かしも多いですから。望み薄かと」


 魔王は、残念という風に溜息をつく。


「……まぁでも、あの子は将軍志望だからね。仕方ないか」

「お前の子守は今でも足りているだろう。寝言は寝て言え」

「ディアボロス様。その寝言は、是非わたくしの胸の中で」


「善処するよ。……さて。だいぶ前置きが長くなったけど、本日、君を呼びつけた理由は2つある。魔王軍創設という大事業が一段落したことを伝えるためと、君に新しい役職を与えるためだ」


 ベリアルは、エルトルトから分厚い紙の束を受け取った。

彼は、赤い文字で『最高機密』と書かれた表紙をめくる。




 文書の主な内容は、大きく分けて2つであった。第一に、魔界を取り巻く外患の分析。第二に、それらに対抗する魔王軍の規模や配置についての概要である。


 魔界の西部属州エジーダンは、相変わらず人間勢力からの脅威に晒されている。ベリアルの祖国たるイスタニアは、依然として軍拡を続けており、その国家戦力は5万を数えるという。イスタニアは、煉獄海での活動も活発化させている。サタンティノープルの沖合に浮かんでいる旧魔族領のプロキス島と、エジーダンの西部に近いイスタニア領ハチリア島は、長らく人間勢力の軍事拠点となっており、一刻も早い攻略が望まれる。


 脅威は、魔界の北西にも存在する。魔界北西部の属州クルガチアでは、人間族と同盟関係にある亜人勢力──エルフ族、ドアーフ族、ドグウェル族に加え、人類と魔族の双方に喧嘩を売るババリジャガという妖精族により、絶えず緊迫した情勢となっている。イスタニアも頻繁に介入し、人魔の抗争が最も激しい地域でもある。


 加えて、イスタニア王国と亜人勢力の背後には、もう一つの人間国家ゲルガニア王国が控えている。ゲルガニアは王国の本土は亜人勢力よりも北に位置している。しかし、彼らは煉獄海の北岸に小規模ながら飛び地を持っており、冒険者や軍隊の活動拠点となっている。


 一方で、魔界の東方属州メリエントは全く異なる敵──三毛猫朝と向かい合っている。多数の獣人国家を束ねるこの帝国は、巨大な版図と人口を擁しており、人類勢力ほどではないにせよ、巨大な軍隊を保有している。


 これら諸勢力に対抗するべく、魔王軍は20万の軍隊を組織した。これは魔界の総人口2000万の10%であり、魔界の経済を破綻させない限界ギリギリの規模となっている。


 魔王軍は、大きく分けて3種の軍団に分類される。1つ目は、辺境軍と呼ばれる軍団であり、その名の通り、魔界の辺境を警備する前線部隊である。5000人を

1個軍団とし、魔界の国境沿い──煉獄海沿岸と、メリエントの東の縁にかけて、10個軍団が配置される。

 2つ目は、機動軍──即ち遊撃部隊である。竜人族を主体とする第1機動軍と、親魔王派の獣人を主体とする第4機動軍が東方を分厚く守り、吸血族を主体とする第2機動軍が北方を固め、鬼人族を主体とする第3機動軍が西方を睨んでいる。各機動軍は30000人で編成されている。

 最後に、首都サタンティノープルには、魔王親衛隊30000人が配置される。




「……各軍団における、種族のバランスはどうなっている」


 ベリアルは訊いた。


「全ての軍団に、ゴブリン族とオーク族が配属されている。ワイヴァーンは頭数が少ないし、協調性が低いから、今回は配属を見送った。騎兵が乗るのはグリフォンだったり馬だったり、軍団長の嗜好に任せているよ。野戦軍に関しては、それぞれ多数派を占める種族に、単一の種族から成る『騎士団』を創ることを認めた」

「竜人騎士団、吸血騎士団、鬼人騎士団、猛牛騎士団、近衛騎士団の5つか」


「そう。一見して、僕のビジョンと矛盾しているように見えるかも知れないけど、そんなに深刻な話でもない。魔界文化の名残であり、ある種の妥協でもある」


 前者3つは名前の通り、それぞれ、竜人族、吸血族、鬼人族の単一種族から成る騎兵部隊である。猛牛騎士団はミノタウロス族とトロル族、近衛騎士団は魔神族で構成される部隊である。

 これら諸部族は、魔王軍の創設に参画しつつも、ゴブリン族やオーク族のような雑兵と混じることには、根強い抵抗を見せていた。


 ベリアルは、再び文書に目を落とす。プロキス島に近いエジーダンの海岸を守る第6辺境軍の司令官に、クルートの名前を見つける。ハチリア島と向かい合う第9辺境軍の司令官には、テンプターの名前がある。この2つの辺境軍をバックアップする第3機動軍には、巨漢の将アングエルと、土木で功を上げたシェイド、双子のモノ・ユニ姉妹、そして、アークフィートの名前がある。アングエルは第1軍団の団長に、アークフィートは鬼人騎士団の団長に収まっている。急拵えの組織によくある、異例の大出世である。


「ベリアル。ここまでの内容で、何か質問は?」


 魔王は訊いた。


「第3機動軍の司令官ポストが、空欄になっているんだが……」

「……どうしてか? とか、野暮な質問は投げないでくれよ?」


 魔王は、ニヤリと笑う。


「ベリアルに命ずる。──君は第3機動軍の最高司令官として、属州エジーダンに赴き、当地における一切の軍事的案件を処理せよ」

「……ぉい、ちょっと待て! あまりに急すぎる! 俺は、ついさっきまで新兵の訓練をしていたんだぞ? それが、いきなり……」


 慌てるベリアルの足下に、血色の魔法陣が広がった。強制転移魔法が発動する。


「つべこべ言うな。ベリアル。魔王の命令は絶対だ。君ごときに拒否権はないよ」


 魔王は無詠唱のまま、ベリアルをエジーダンの中心都市カイロサンドリアに転送した。魔王は一息つくと、エルトルトを見やる。


「ぁあ、そうそう。エルトルト。君にも、エジーダンに赴いてもらう。ついでに、ベリアルの私物も持って行ってくれないかい?」

「……ぇ?」


 エルトルトは、珍しく間抜けな声を上げた。その瞳は、動揺の色を帯びている。


「勘違いしないでくれよ。君に対する僕の寵愛は、全く揺らいでいない。むしろ、深まっているくらいだ」

「しかし、……」


「それから、君の配属先は2つあるんだ。一つは、第3機動軍の鬼人騎士団。もう一つは、魔王軍第2親衛隊だ」


 魔王の唇は、悪戯に歪んだ。

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