魔王軍の胎動

第15話:軍事教練ごっこ:座学


******


 ──半年後。

 魔界歴529年8月。


 西を城壁に、残りの三方を海に囲まれた魔界の首都──サタンティノープル。

その中央にそびえ立つ、魔界の大本営たる要塞宮殿──魔王城の貴賓室にて。


 アルベリは、寝返りが3回はできそうなベッドに腰を掛け、エルトルトの接見を受けていた。アルベリの隣では、アークフィートが何かの写本を読み耽っている。

 二人の部屋は別々に用意されているが、昼の間は、アークフィートもアルベリの部屋にいることが多い。


 エルトルトの用件は、あまた存在する兵法書や戦記について、アルベリの所感を聞き取ることであった。


 アルベリとエルトルトの会話は、全て魔界の言語で行なわれている。

 アルベリには、以前アークフィートが使ったような小手先の通訳魔法ではなく、夢魔族による睡眠学習と深層教育が施されている。

 その結果、アルベリは学習開始から半年にして、一定程度の語学力を獲得した。相当な早口を聞き取ることや、高尚な演説は打つことはできないが、質問の内容を理解し、それを人間の言語で考え、魔界の言語に置き換え、いくらか問答を交わす程度なら、アルベリの語彙力は十分に育っていた。


「──では、本日はウェゲティウスが記した『軍事概要』に関して。その実用性を確認したく存じます」

「今から役200年前……ロムルス帝国の後期に書かれた軍事指南書、か」


「御存知ですか?」

「存在くらいはな。中身に関しては、祖父や上司から聞きかじった程度だ」


 アルベリは答えた。

 エルトルトは、一人用の丸テーブルに羊皮紙を広げている。彼女は、アルベリの発言を逐一記録している。


「本書では、とかく規律と訓練の重要性が記されております。これは、実際の軍隊でもその通りなのですか?」

「まぁ、そうだろうな」


「これまで扱ってきたテキスト──具体的には、共和制ロムルスの英雄シーザルが記した『ゲルガニア遠征記』や、タルプルコスが著した『対比列伝』に比べると、かなり地味な印象を受けます」

「……軍事のハウツー本を、地味とか派手とかの基準で評価することが間違いだ。そもそも、軍人が全員シーザルやカイロサンドロスみたいに振る舞う必要はない。というか、そんな軍隊は成り立たないだろう。少数の有能な将軍が、多数の従順な兵士を統率する構図が、軍隊にとって最も望ましい」


「個人の活躍や将軍の采配を重視する書物と、兵士全体の団結を強調する書物の両方がありますが、この点は……どちらが実情に近いのでしょうか?」

「どちらも合っているし、どちらも間違っている。……1人の才ある将軍が下した決断や、1人の無能が犯したミスにより、戦局が激変することは良くあることだ。ただ、その手の英雄譚や失敗談は、誇張や悪意、忖度を以て書かれることが多い。鵜呑みにするのはお勧めしない」


「魔族にも、己の武勇伝に尾ヒレを付ける者は大勢います」

「兵士の団結云々という記述にも、注意を払った方が良い。例えば、古代都市国家における重装歩兵軍団の活躍は、かなり誇張されている。当時歩兵軍団を構成していたのは、高価な鎧を自弁できる金持ちの子弟たちだったから、そいつらの手柄が強調されたんだ。だから、相対的に騎馬隊や弓兵の活躍が隠されることがある」


「なるほど。……」

「戦争や軍事について書き記したものは、見栄と誇張、伝聞と机上の空論に満ちている。お前たちのやり方じゃ、まともな軍隊は完成しないだろうな」


 アルベリの言葉に、エルトルトの目付きが一段鋭くなった。


「だから、本当のことを魔族に教えても問題ない。……と?」

「そうかもな」


 アルベリは、肩をすくめて見せた。

 確かに、彼はイスタニア王国──それも軍部に対して、並々ならぬ不満を抱いている。しかし、それを理由に魔族を利して、全人類を危険に晒すつもりなど、彼の頭には微塵もなかった。


「……本日の聞き取りは、これまでとさせていただきます。次回の接見は明後日の予定です。それでは」

「了解。……」


 エルトルトは筆記用具を纏めると、部屋から退出した。


「……アルベリさん」


 アークフィートが口を開いた。


「何だ?」

「……魔王軍は、できると思いますか?」


「名乗るだけなら、簡単だろうな。……使い物になるかどうかは別問題だが」


 アルベリは、寝台の上に寝転んだ。

 彼は目を閉じて、静かに黙考する。


(──指揮権の明確な序列と、協調性を持った兵士と、適切な命令があれば、軍隊は問題なく組織され、円滑に運用される)


(──魔王を頂点とする階層社会と、共闘の意味を理解した魔族の戦士と、魔界を守るという確固たる目的があれば、魔王軍は問題なく組織され、円滑に運用されるだろう)


(──確かに今の魔界には、強力な軍隊を組織できるだけの素地がある。あの少年魔王の妄想も、あながち荒唐無稽な話ではないのかもしれない)



 アルベリは目蓋を上げ、高い天井を見つめた。

 これから自分はどうするべきか。彼は考える。


 今すぐ魔族との関係を断ち切り、場合によっては自らの命を絶つことも、一つの選択肢だろう。

 また、デタラメな情報で魔族を混乱させ、魔王の野望を破綻に追い込むという道もあるだろう。

 家族のことを思うなら、故郷への帰還を目指し、死に物狂いで魔界を脱出するのが当然だろう。

 面従腹背を貫き、魔王軍で出世を果たしてから、魔王に刃を向けるというやり方もあるだろう。


「……或いは」


 ついさっき打ち消した誘惑──復讐や仕返しといった情念が、しぶとく鎌首をもたげてくる。


(──イスタニア王国には、苦い思い出が2つもある。いっそのこと魔界に与し、あの忌まわしき古巣に一杯食わせてやることも、ありなのかも知れない……)


 今まで考えもしなかった──ぃや、考えても『できるわけがない』と思っていたオプションが、彼の心を甘く誘う。


「アルベリさん……?」

「……、」


 アルベリの黙想を、アークフィートの声が遮った

 彼女は物憂げな表情で、アルベリの顔を覗き込む。


「……ぃや。何でもない」


 アルベリは、アークフィートから目を背けるように、寝返りを打った。

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