アークフィート

第9話:拷問生活:邂逅


******



 ──イスタニア王国軍特命遠征師団の撤退から、半年後。


 復興が進む大都市カイロサンドリアの北部、双角鬼人族居住区。

 キメラを飼う庭園付きの邸宅に付属する、薄汚れた離れ家にて。


「……」

「……」


 人間族の男と、双角鬼人族の少女が向かい合っている。


 半裸の男は四肢をX字に伸ばされ、鉄の拘束具で壁に磔にされている。

 黒髪の少女は鞭を片手に、中東風の装身具と貫頭衣を身に着けている。


 少女の白ツノは、頭の左側だけに、髪に隠れるようにして生えている。

 彼女は仏頂面のまま、ただただ不機嫌そうに、男の目を見つめている。


「……ナマエ、ハ?」


 少女は問うた。


「……アルベリ、だ」


「まるべりー……?」


「違う、アルベリだ」


「%&*`@ッ!!」

「痛っ!」


 少女は鞭を振るった。

 10才前後かそこらの外見だが、手首のスナップは達人級だった。


「……わけ分かんねえよ! 拷問したいなら、人間の言葉が分かる奴を呼べ!」


 アルベリは叫んだ。


「*;¥#$+**%」

「ぁ?」


「!!」

「たぁッ!」


 少女は癇癪でも起こしたかのように、連続で鞭を振るう。

 アルベリの体に、全く以て理不尽な裂傷が刻まれていく。


「止めろ!! ぉいッ!!」

「……! ……っ、……!」


 少女の黒い瞳には、なぜか涙が浮かんでいた。

 アルベリには、この状況が理解できなかった。


 この少女は、いったい何者なのか。

 この少女は、なぜ自分をいたぶっているのか。

 そもそも、自分はどうして、こんな目に遭っているのか。

 アルベリには何も分からなかった。





 アルベリはカインの首を見て以来、心の中の大事な何かを守るために、記憶力や五感の類いを著しく抑え込んでいた。


 ワイヴァーンに後頭部を蹴られ、意識が暗転して、

 気が付いたときには、独房に押し込められていて、

 日に一度出される肉や水分が、本当に獣肉や真水なのかは考えないで、

 父のことや妻子のこと……そういう、走馬燈じみた思い出に逃避して、

 現実から目を背け、自分が持つ人並みの心を、何とかして守ってきた。


 その均衡がまさに今、少女の暴力によって突き崩されようとしている。


「……はぅ」


 鬼人族の少女は息を切らすと、襟元で胸元を扇ぐ。


 彼女は火照った体のまま、血濡れた鞭を卓上に置き、本棚の前に立つ。踏み台に乗り、背伸びをして、分厚い本を指で引っ張り出す。

 しかし、手元が狂い、本のカドが彼女の額に命中する。彼女はバランスを崩し、足場を踏み外す。机の縁に後頭部を打ち、転がった。見事なコンボだった。


「ぉい、大丈夫か……」

「……っ」


 口にしてから、アルベリは後悔した。

 アークフィートは敵意に満ちた眼差しで、アルベリの方を鋭く睨み付けている。全く以て、理不尽な八つ当たりである。


 しかし、どこか可愛げがあるように見えるのは、彼女の容姿のせいなのか。

 はたまた、もっと俗物的な、自分の中に潜んでいる男のサガ的なやつのか。


 或いは。年端もいかない少女と言うだけで、娘の姿と重なって見えるのか。


「……それとも、ただ単に俺の頭がおかしくなっちまっただけのか……」


 アルベリは、覚悟を決めて息を吐く。ピキリ。と、横腹が痺れた。


 室内には、鞭以外の拷問具が山ほど置いてある。さながら、ドMのフルコースである。蝋燭ろうそく。悪魔の梨。いばら額環がくかん。指サック。麻袋と水差し。彫りの深い鉄仮面。梯子。青銅のチューブと油。悪意と組み合わせてはいけない、危険な玩具が揃っている。


「……&$、#¥」


 少女は本を抱きかかえながら、トボトボと歩き、アルベリの前に立つ。

 彼女は本を足下に置いてから、心底痛そうに、おでこと後頭部を擦る。

彼女は気が済んでから、本が纏う埃を払いのけ、分厚い表紙をめくる。

 そして、目次を当たってから、後ろのページを開き、指で行をなぞる。


「……──mawati ore ikara」


 少女は、何かの呪文を唱えた。

 アルベリは力んだが、痛みはなかった。むしろ、傷が癒合されていく。


「まさか……治癒魔法……?」

「……コワシタラ。ダメ……」


「……?」


 アルベリは、考える。


(──これは、拷問じゃないのか……?)


 アルベリは、頭痛と酸欠で痺れた脳味噌に鞭を打ち、推測を重ねる。


(──彼女の身なりから察するに、社会階級は低くない。むしろ高い)

(──ここは離れ家か別荘。つまり、両親は大土地所有者か、資産家)


(──俺はカイロサンドリアで捕虜になった。で、人身売買に掛けられた)

(──その結果、俺はこの家の主人に買い取られて、彼女にあてがわれた)


(──……そう言えば、この子。さっき、俺の名前を訊いたな)

(──単語レベルなら、辛うじて会話が成り立つかもしれない)


「……おまえ、の、なまえ。……おれ、に、おしえて」


 アルベリは言った。そして、少女の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「……ァークフィート」

「アークフィート……。それが、お前の名前か……?」


「アークフィート。……」


 少女は、俯き加減で繰り返した。

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