陰謀の走馬燈

第7話:近衛と女王




(……俺も、死ぬのか)


 アルベリの耳には、ワイヴァーンの鳴き声が割れんばかりに響いている。


(……もぅ、終わりなのか)


 次々と泡が弾けるように、頭の天辺から、血の気が引いていく音がする。

 古びた金属どうしを擦り合わせるような不快音が、徐々に遠のいていく。


 前のめりに倒れ込むような、天地が裏返るような、現実感の薄い、焦燥と虚無の渦の中で、アルベリは既視感を覚える。


 ──終わりだ。


 そう思ったことが、以前にもあった。

 アルベリの記憶は、まるで壊れたパズルを組み上げるように、時間を逆再生する要領で、そのイメージを再構築していく。



******



 今から10年前。

 アルベリがまだ、王都に務める近衛兵だった頃。


『──昨日の深夜。イスタニア王国第2王女エウリケ殿下、並びに、主席財務官のサビヌスを、大逆の容疑で逮捕した。サビヌスの息子アルベリは、至急大法院まで出頭せよ』


 大逆とは、王族と摂政、及び軍部の枢要な人物に対する背信・反逆行為の全てを指し示す。父サビヌスは、王党派という派閥を束ねるほどの高位公職者だ。父は、いったい何をしたというのか。近衛師団の新兵として、エリート街道を歩み出したばかりの自分はどうなるのか。

 そして、自分が初めて恋い焦がれた女性──王女エウリケの侍女メッサリナは、どうなってしまうのか。


 19歳のアルベリは、放心状態のまま、大法廷に出頭した。





 大法廷とは、国王または摂政を裁判長とする特別裁判所である。今回は死の床に伏している国王に代わり、軍部出身の摂政が裁判長を務めている。裁判官は、本来司法を担う法務官ではなく、軍部の幕僚と、親軍派の元老院議員が選ばれる。


『──近衛師団第1連隊第1大隊所属アルベリ一等歩兵。汝が知りうるエウリケとサビヌスの関係について、かつに述べよ』

『……裁判長、それは……相矛盾する質問では?』


『──詳細かつ端的に述べよ!』

『……。……畏まりました』


 偽証は即死罪となる、緊張状態の中。

 正面と左右に座る13人の裁判官に対し、アルベリは事実を語った。



***



 遡ること、さらに1年。

 アルベリが18歳の時。


『──エウリケ殿下!!』

『!?』


 アルベリが、イスタニア王国軍の近衛兵として、ロムルス・ポリスのイスタニア王宮に勤めた初日。

 イスタニア王国第2王女エウリケの馬車が、王宮の門前で何者かに襲撃された。


 アルベリは、自分でも驚くくらいに体を張った。彼は馬車から引きずり出されたエウリケを庇い、腕と背中に手傷を負った。彼は背後に彼女を守りながら、新品の剣を抜き放ち、暴漢4人を斬り倒した。

 残りの暴漢を退けた後、アルベリはそのまま、出血多量で気を失った。




 ──襲撃事件から2日後。

 医務室で目を覚ましたアルベリを、一人のうら若い女性が訪れた。

 紛れもなく、彼女は王女エウリケに


 アルベリは初め、かなりつっけんどんな応対をした。

 病み上がりであったことと、女性経験の乏しさがその理由だった。


 母と姉を疫病で亡くして以来、アルベリには、女性と言葉を交わす機会がまるでなかった。父の勧めで軍人を志し、軍学校の宿舎に押し込められ、体と頭と精神の鍛錬に青春を奪われた。


 そんなアルベリにとって、自分より少し年上の、気品と優しさに満ちた、温かい太陽のような女性は、あまりに眩しすぎたのだ。


 襲撃事件から10日後。

 彼女は、彼女に瓜二つの女性と、アルベリの父サビヌスを伴って現れた。


『……アルベリ様。……今まで隠していたわけではないのだけれど、貴方が助けてくれたのは、エウリケ様ではなくて、の私──メッサリナだったの』

『何だって……』


 アルベリは、父サビヌスを見た。


『エウリケ殿下は敵が多い。このイスタニアで、唯一軍部の横暴に物申す御方だ。いつ何時、軍部の連中に暗殺されるかも分からない。故に、日頃から影武者を用意しているのだ。……ぁあ、それから。今まで見舞いに来ていたのは、メッサリナの方だからな』


 メッサリナは、にっこりと微笑んで見せた。


 アルベリは恥ずかしくなり、目を逸らした。

 ついでに、話も逸らす。


『……エウリケ様と言えば、近衛の間でも噂になっていますよ。……「──軍隊は軍部の私物ではなく、王族と臣民のためにある」でしたっけ? 賛成か反対かで、近衛どうしの喧嘩まで起こる始末です』


『おいおい……。殿下の目の前で、良くもまぁそんな口が利けるな。お前は』

『良いではありませんか。サビヌス殿。そういうなまの声を知るために、彼を軍隊に入れたのでしょう?』


 王女エウリケは微笑んだ。

 彼女の言葉に、アルベリは首を捻る。


『それは本当なのか? 親父……』

『細かいことは訊くな。お前も我が身が惜しいだろう。……それと。殿下は、将来イスタニアの全権を握る御方だ。くれぐれも、失礼のないようにな』


『語弊がありますよ。サビヌス殿。……ほら、アルベリ殿も反応に困っているではありませんか。おいそれと王位を窺うなど。……それこそ、サビヌス殿は我が身が惜しくはないのですか』

『このサビヌス。命果てるまで、殿下に尽くす所存です。……殿下こそ、あの日の誓いをお忘れですか?』


 父と王女が、仲睦まじく小突き合う。


『こほん。……御言葉ですが、エウリケ様。サビヌス様。そういうことは怪我人の前ではお控えください』


 メッサリナは言った。

 怒った顔も、美しい。そんな馬鹿なことを、アルベリは思っていた。


 父サビヌスの笑顔も、久々に見た気がした。最愛の妻と娘を亡くして以来、彼は仕事の鬼と化しており、心ここにあらずといった感じであった。そんな父が、心の底から楽しそうにしている。


 今まさに、この一時が、アルベリの人生における最高の瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る