第3話:カイロサンドリア攻防戦:序幕


「……ところで、アルベリ隊長」

「何だ。ナンパは一人でやれよ」


「違いますよ。誕生日の話です。何か欲しいモノとかありますか? 袖の下として奮発しますけど」


 カインはバツが悪くなったのか、話題をアルベリの誕生日に戻す。


「タダでくれるなら何でも良いぞ」


 アルベリは、ふと後ろを向いた。

 カイロサンドリア市内には、数百人の負傷したイスタニア兵と、彼らを癒す看護部隊と、祖国での凱旋を待つ、浮かれ気分の将兵が少数残っている。


 アルベリは、さらに遠くを見た。

 港には、大小の帆船が30隻余り泊まっている。

 輸送船には、多数の略奪品が積み込まれている。


 沖合では、船影のいくらかが、イスタニア本国に向けてゆっくりと動いている。

 帆はパンパンに膨れ、遠征師団の意気揚々とした心持ちを象徴しているようだ。

 行く手を照らす月光は、精霊が人類に与えた、勝利と未来を表しているようだ。


「……このまま行くと、俺の誕生日は船の中だな」


 アルベリは、心底嫌そうに呟いた。


「今夜中に、全軍を撤収って話ですからね。……隊長って、確か船酔いですよね」

「あぁ。どうやら、俺の先祖はポセイドン様に嫌われるようなことをしたらしい」


「別に良いじゃないですか。その代わりに、キューピッドに愛されたんですから」

「やめてくれ。……俺とあいつの仲は、そんなんじゃねぇ」


「またまたぁ……。この戦争が終わったら、僕の人生の肥やしだと思って、隊長の馴れ初め話を教えてくれませんか? 酒代は出しますよ?」

「クソみたいな船旅が終わって、お互いにそんな元気が残ってたら、考えてやる」


 二人は、陰鬱な船内生活を思い出す。臭くて狭い寝床と、水漏れ。カビが生えたパンに、ウジの湧いたチーズ。今回の遠征で、最も多くのイスタニア兵を死に追いやったのは、荒波と食中毒である。ひょっとしたら、クラーケンや疫神の仕業かもしれないが、遠征師団の勢いを削ぐには至らなかった。

 イスタニアと魔界の間に浮かぶ島──プロキス島が人類陣営にある限り、そこを根城とする民兵組織冒険者ギルドが、煉獄海の制海権を守っている。


「……ところで隊長」

「何だ?」


「何で僕たちは国に帰るんですか? ここまで連戦連勝だったのに」


 カインの疑問は、至極もっともな問いである。




 そもそも、事の始まりは、今から半年前に遡る。


 ──魔界暦528年2月。

 人類国家イスタニア王国は、魔王ネルガル2世の崩御に乗じ、魔界西部に対する大規模示威攻撃──『エジーダン遠征』を敢行した。

 彼らは、西の人界と東の魔界を隔てる海を渡り、手始めとして魔界と人界の間に浮かぶ魔族領プロキス島を占領した。イスタニア王国は、この小島を足掛かりに、魔界本土に対する破壊的な遠征を開始した。


 遠征師団を派遣したイスタニア王国は、人類有数の軍事国家である。

 『長靴半島』の通称で知られるイスタニア王国領は、内海である煉獄海を挟んで魔界の西岸に位置している。イスタニア王国は人間界の最前線地域として、苛烈な訓練と、確固たる誇りに裏打ちされた強力な軍隊を保有している。


 アルベリとカインも、このイスタニア王国軍の将兵である。アルベリは29歳。彼は遠征師団の中間管理職──中隊長である。彼は500人の兵士を与っている。カインは28歳。アルベリとは5年の仲であり、彼の副官である。


 『イスタニア王国軍特命遠征師団』に所属する15000人の人間たちは、この半年の間、まるで赤子の手を捻るように、或いは、麦穂を鎌で刈るように、魔族の戦士たちを虐殺してきた。遠征師団が踏破した道のりには、一里おきに魔族の首で塚が築かれた。


 ドラゴンや巨人、魔神といった規格外の固有種は、遠征師団に先行した民兵部隊──S級冒険者のみで編成された通称『ヘラクレス部隊』によって既に駆逐されている。彼らは現在、魔界の首都サタンティノープルに潜入し、破壊工作を行なっている。これにより、新魔王ディアボロスの動きは牽制されている。


 固有種を除いたゴブリン族やオーク族、トロル族、コボルト族、鬼人族、竜人族といった魔界の戦闘民族たちは、遠征師団の破壊と殺戮を食い止めるべく、決戦を挑んだ。

 しかし、人間族の巧みな組織戦を前に、諸民族は各個撃破された。無謀な突撃を繰り返す魔族の群れは、まさに烏合の衆であり、精強に鍛えられた遠征師団の亀甲陣形や投槍、弓や騎馬突撃の前に、屍の山を積み上げた。




「……アレイオス大将軍も言っていただろう。本遠征の目的は『魔族に人間の力を思い知らせること』だ。魔族を殺戮して、魔界の都市をいくつか破壊して、サタンティノープルに冒険者部隊を送り込んだ時点で、おおよその目的は達成している。それに、『無敗』という結果そのものが、本国の御偉方にとっては最大の戦利品になる。遠征師団の名誉に泥が付く前に、さっさと引き上げるっていうのも悪い考えじゃない」


 アルベリの私見を聞き、カインは、頭をポリポリと掻く。


「小難しい話ですねぇ。……」

「ま、そういう戦略的な話は、俺たちみたいな木っ端の軍人が考えても仕方のないことだ」


 アルベリは再び壁外を望むと、グゥッと背中を反らした。


「……、」


 そして、そのまま動きを止める。


「……隊長?」

「……ぉい、カイン。……地平線に、何か見えないか?」


 アルベリは、目を細めた。

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