200 望んでいなかった再会1

 あの日、俺は自分がどうやって家に帰ったのか、記憶がまったくない。それくらい、朋絵さんの言葉は衝撃的だった。


 姉に付き合えばと言われて付き合うとか一体どんなんだとか、朋絵さんが中野に言ったりしないだろうかとか、学校で会ったらどんな顔をすればいいのかとか、そもそも付き合うって何だとか……いろんな考えが浮かび、そしてひとつとして解消できることなく積み重なり、俺にあれこれ考えさせたのだ。


 その結果、中野からなにげないLINE(その日の授業内容に関する質問とかだ)が来ても過敏に反応してしまい、なかなか既読をつけることができず、でも気付いているのに放置しているのはおかしいと思って返信して、俺の気持ちなど知らない中野はすぐに既読をつけてすぐに返信してきて……というふうに、勝手にいろいろ考えて疲れてしまっていた。


「あいつがもし、朋絵さんの気持ちを知ったら……」


 勉強中、そんな独り言が自然と口からこぼれた。まるで、心の中に残しておくのが耐えきれないと体が判断したかのように、ごく自然にあふれた。


 そもそも中野と俺の関係は、彼女の正体を俺が偶然知ってしまったことから始まっている。そこにあったのは友人関係でもクラスメートの関係でもなく、ひとつの秘密をともに共有する、どこかいびつな関係だった。ツッコミどころしかない関係性だったのだ。


 でも。


 正直なところ。


 俺たちの関係性が、いつの間にか最初と比較できないほど深いものになっているのは間違いなかった。妹を預かったり、彼女の授業参観に出たり、一緒に合宿に行ったり、あるいは逆に俺の母親・絵里子の引きこもりのことを向こうが知っていたり……経験した出来事を並べただけでも、単なる仲良しという領域はもうとっくの昔に過ぎている。


 でも、だからと言って、俺のことを異性として認識している感じがまったくしない中野と恋人関係になるなんてやはり想像できないワケで……。


 とにかく、朋絵さんの言葉は俺にとって予想外すぎたのだ。


 だからだろうか。その週の土曜日、俺は朝から本屋に足を運んでいた。


 これは俺だけかもしれないが、日々の出来事で情報過多になって脳細胞が追いつかなくなったとき、本屋に行くと妙に落ち着くのだ。きっと膨大な数の小説、ラノベ、マンガ

の類いを前にすると、自分の世界の小ささを感じることができ、それによって直面している問題を冷静に見ることができるから……とかたぶんそんな感じ。


 まあ普通の精神状態のときに来ると「ああ……俺ってまだ全然本読んでないんだな……」「もっと読まないとな……」とか思ってしまってしまうのだけど。


 いずれにせよ、本屋やTSUTAYAに来ると、自分のちっぽけさを感じる俺である。


 そんなことを思いつつ、俺は本棚を物色する。探しているのは哲学堂依人が7番目に出した『サガンを待ちわびて』という作品だ。哲学堂先生は売れっ子の作家のため、基本的に出した小説は重版されているのだが、この作品は出版社が倒産し、そのあと別の会社が出したりしていないせいで、手に入れるのが少々難しい作品なのだ。当然Amazonはなく、別の書店で注文しようとしたら「出版社にも問屋にも在庫がない」と言われてしまっていた。川崎市の図書館で検索しても見つからず、もはや書店で偶然見つけるか、国会図書館に足を運ぶかしかない状況になっていた。


 夏休み中に哲学堂先生の作品を全部読むと豪語していた俺だが、結果的にその目標を達することはできなかったワケだ。正直、日数的には最後丸2日残っていたのだが、現物が手に入らず、電子書籍版が発売されているワケでもない以上、どうしようもないだろう。自分との勝負に引き分けた、という気分だった。


(でも、あと一冊読めば、哲学堂先生にまた会いに行ける……)


 俺は胸のなかで思う。


 哲学堂先生は、大学見学のときに「いつでも来ていい」と言ってくださっていたけど、あのプロフェッショナルさを前にして、今までの自分のまま会いに行くことはどうしてもできなかったのだ。だから、先生の作品を全部読もうと思った。他の人から見れば小さなことかもしれないが、特定の作家・ジャンル・表現形態について深い思い入れを持つことができず、自分のことをオタクだと思えなかった俺にとっては、正直かなり大きな変化だったと思う。


 と、そんなことを考えながら、やっぱりお目当ての本はないな……などとと思っていると、である。


「ちょっと困るよ~。今日忙しい日なんだけど」

「それは重々! 重々なんですけど!」


 向こうのほうから男性同士の話し声が聞こえてきた。


 本棚に身を隠しながらこっそり覗くと、店員のおじさんと若いスーツ姿の男性が話をしていた。店員のおじさんは年齢と白髪から、きっと店長かなにかだろう。そんな彼に対してぺこぺこしている若い男性は威勢がよく、ぱりっとしたスーツを来ていることもあって、清潔な雰囲気が漂っていた。


 ……のだが、よく聞くとその会話はかなりとんちんかんだった。


「ぜひ僕に1分! いや2分! いや3分だけでいいのでください!」

「いや増えてるんだけど」

「そんなこと言わずに! ほら、ちょっと付き合ったって減るもんじゃないでしょ?」

「減るよ時間なんだから。オヤジみたいな言い方だね若いのに」

「ホントちょっとでいいんで。なんなら先っぽだけでも!」

「先っぽってなんの話!? 卑猥な話じゃないよねっ!?」

「セールストークの先っぽって意味です」

「まったく毎回毎々押しが強いんだから君は……」

「褒めていただき恐縮です!」

「褒めてはないんだけど……まあいいや。ちょっとだけね?」

「やった! ありがとうございます!」


 店員のおじさんが許可を出すと、若い男性は手に持っていた紙袋から、ラノベらしきものを数冊取り出した。


「それで今月刊行の新作なんですけど」

「はいはい。今月も新作出るんだねえ。よくもまあこんなに毎月たくさん出すね」

「諦めが悪いのが弊社最大の持ち味なので」

「諦め以外で頑張ってほしいね。で、それぞれどんな内容?」

「はい。まずこの『ロリコン転生~異世界に転生したらそこは美少女でとった出汁で万病を治す国だったので、ロリコンかつ温泉マニアな俺は自然に無双しちゃいます~』なんですが……」

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