199 付き合うということ

「……え、俺が……中野と……?」


 理解できず、思考が完全に停止する。そこに立っているはずなのに、立っている感覚がなくなり、朋絵さんの笑顔だけが脳内で認識される。


「うん。若宮くんがひよりちゃんと付き合えるってこと。そうなったら私的には、若宮くんは義理の弟候補生ってことに……」

「え、えええっっっ!!??」

「ちょっと若宮くん声大きすぎっ!」

「ご、ごめんなさいっ!!」


 反射的に謝るが、その声も結構大きい。ヤバい、声のボリュームの調整機能を完全に失っている。


 しかし、朋絵さんが発した言葉はそれくらい俺の想像を超える……いや違う。それだと想像の延長線上になってしまう。そうじゃなくて、次元が違うって思うほど、まったく想像したことがない内容だったのだ。


「いやマジで何言ってるんですか急に。俺と中野が、つ、付き合う?」

「うん、そうだよ」


 しかし、動揺を隠せない俺と違って朋絵さんはすでに落ち着きを取り戻していて、先程よりも冗談めいた口調で続ける。


「ひよりちゃんと若宮くんが付き合う。うまくいけば、結婚するかもしれない。若宮くんの性格的に、付き合うハードルより、結婚するハードルのほうが低いかもね」

「いやいやいや。どう考えたらそうなるんですか」

「だから、ひよりちゃんが周りのアドバイスに弱いってことを考えたら、じゃん」

「じゃん、って言われても。あいつ、恋愛には興味ない、少なくとも高校生のうちに恋人作ることはないって言ってましたよ」


 渋谷のロフトでの会話を思い出す。便箋からいつの間にかラブレターの話題になり、中野が「恋をすると女はキレイになると言うけど、私はもともとキレイだから恋しなくていいの」的なことを言ったのだ。


 今思い出しても中野らしい言葉であり、それゆえ些細な会話のひとつなのだが、そうは言っても事務所への拉致を除けば初めてふたりで訪れた場所ではあり、俺のなかでは未だに印象に残っている出来事なのだ。


「……あれま! いつの間に恋バナしてたの?」


 しかし、反論の材料だと思ったそれは、じつはそうではなかったらしいことを、朋絵さんの悪い笑みで知る。


「いや、そういうのじゃないっす」

「ごめんね、揚げ足とって。でもからかってるワケじゃないから」

「からかってるワケじゃないって」

「私が『そろそろ彼氏作ってもいいんじゃない?』『若宮くんとかいいと思うよ?』。こう言えばたぶんすぐオッケー。それが、ひよりちゃんだから」

「そんな簡単に……」


 そんな声が出てしまうほど、朋絵さんは事も無げに言っていた。


「中野が朋絵さんのこと信頼してんのは伝わりますけど……でも、すぐオッケーって」

「まあ、もちろん説得するのに多少時間はかかるかもだけど」

「説得って。『3月のライオン』の桐山くんじゃないんですし」

「でも、2週間もあれば十分だと思うよ。それが、ひよりちゃんだから」


 今日2回目の「それが、ひよりちゃんだから」だった。


「あの子、すべてを自分で決めるのは苦手だけど、後押しがあれば即断即決ガールに変わるの。若宮くんも知ってるでしょ?」

「まぁ……小学生向け声優講座とか、大学進学とか予備校とか……ひとりだと悩んでも、後押しがあれば、いつもすぐ決めてた気がします」

「じゃあ、私の言うことがわかるでしょ」

「……いや、でも俺と付き合うってのは」


 たしかに、中野の性格はそうだ。いろいろ悩むものの、周囲の後押しがあって自分にとっていい選択肢だと思うと、すぐにその道を選ぶ。仕事でも学業でも人間関係でもそうだった。


 でも。


 でも、である。


 いくらそういう積み重ねがあったとしても、俺が中野と付き合うなんて未来は少しも想像できなかった。今日だってふたりだけで部屋にいたのに、全然そういう雰囲気にならなかったのだから。中野はリラックスしまくりで、あれはどう考えても俺を異性として認識している感じではなかった。


 と、そんなことを思っていると。


「……若宮くん。もしかすると私はあなたをちょっと買いかぶってたかもしれない」


 顔をあげると、朋絵さんはいつの間にかかなり不満げな表情になっていた。いつも温和で、母性を感じさせる笑みを浮かべている彼女なだけに、胸に不安が走る。


「だってさ、あれだけひよりちゃんと一緒にいて、ひよりちゃんのこと全然わかってないみたいなんだもん。わかってたら、自分がいかにひよりちゃんにとって理想の男子かわかるはずだよ」

「り、理想? 俺がですか?」

「うん、そう。語弊を恐れずに言うと、若宮くんはひよりちゃんにとって、とっても『都合のいい男の子』なの」

「……え?」

「勉強面のサポートしてくれるでしょ? 真面目で家庭的だし、オタクで仕事の大変さをわかってくれるのにミーハーじゃないし、口は堅いし、ツッコミは的確だし、あと、なにより私や琴葉と仲良くできる。むしろそこが一番かな。ひよりちゃんにとって私たちは、ひよりちゃん自身より大事な存在だから」

「それは……なんとなくわかりますけど」


 ちょっとくらい語弊を恐れてほしい箇所もあったが、でも琴葉・朋絵さんと仲良くしているのは間違いない。そのふたりが、中野にとって大事な存在だということも。


「ひよりちゃんって自分の意思がない子だから、このままだと積極的に恋愛をすることもないと思うの。でも、私はそれは良くないと思っててさ。だって、それって私と琴葉がひよりちゃんの人生を狭めてるってことでしょ?」


 その指摘も、たしかにそうだと思う。


 5歳年上で、あと少しで社会人になる朋絵さんはさておき、琴葉はまだまだ子供だ。高校を卒業するのに6年半、大学までいくと考えると10年以上になる。あのシスコンな中野のことだ。琴葉のために、自分のプライベートのことなど迷わずほったらかしで働くことだろう。


「いや、言いたいことはわかりますけど、でも正直俺としては全然そんなふうに……」

「じゃあさ、若宮くん」


 すると、朋絵さんは俺の言葉を遮るようにして。


「さっきからいやいやとか言ってるけど……もし、ひよりちゃんと付き合えるとして、嫌、なのかな?」


 そんなふうに問いかける。


 核心。


 つまり俺の本音に触れる質問だった。


 俺が、中野のことを、ひとりの女の子としてどう思っているかという本音にだ。


 少し迷った末、俺はなるだけ平静を装って返事する。


「それは……わかりません。今まで、誰かと付き合うとか考えたことなかったので」


 いや……違う。


 言ったあとで、胸の奥が若干チクッと痛んだことで、自分の発言が間違っていたことに気付いた。


 現実に付き合えるかどうかの話ではないものの、特定の女の子のことをはっきり異性として認識して「いいな……」と思った経験は、たしかにあるのだ。中2という、何年も昔のことだけれど。


 それを言ってしまうと、その相手が誰だったか明確にわかってしまうと思うけど。


 でも、それをどう伝えていいのかわかるはずもなく……俺の言葉を聞いた朋絵さんは、それまでの真剣な表情から一転、朋絵さんはいつもの優美な微笑みを取り戻して。


「……まあ、今のは半分くらい言葉の綾というか、冗談なんだけどね」


 それを聞いて、俺が内心、ホッとしたのは言うまでもない。


「朋絵さん、冗談キツすぎますって」

「そう? じゃあこの辺にしておこうか」


 しかし、朋絵さんは、今まで以上にイタズラっぽく笑うと、身を翻しながら、


「まあでもさ。これだけは覚えておいて。今はまだ、半分本音半分冗談だけど、私次第ですぐに冗談じゃなくなるってことを」


 そんなふうに言い残して、振り返らずに去って行った。


 その姿が見えなくなるまで、俺がその場に立ち尽くすことになったのは、至極当然のことなのだった。

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