198 朋絵の爆弾発言

 そんなふうにして花火大会の約束をしたのち、俺は中野にその日の授業のノートや、野方先生から託されたプリント類を渡して本来の目的を達成した。資料部屋が凄まじすぎて、正直すっかり忘れるところだった。


 部屋を出て1階に降りると、リビングでは朋絵さんがノートパソコンをぽちぽちしていた。レポートかなにかだろうか。


「どうだった? 資料部屋は」

「なんか声優の部屋って感じでした」

「声優の部屋だからねー。でもあんま驚いてないね?」

「いや、驚きましたけど、ふたりがちょっとアレだったんで……」

「そうだよねえ。ごめんねー。ひよりちゃんも琴葉も、あの部屋に入るとどうしても気が抜けてまったりしちゃうの」

「他の部屋だとリラックスできないってことですか?」

「そういう意味じゃないけど」


 クスッと朋絵さんは苦笑。


「そうだ、朋絵さんも花火大会行きます?」

「花火? あ、多摩川のだね?」

「琴葉に連れてってほしいって言われて。中野はイベントあるらしくて来れるかあやしいみたいなんですけど」


 すると、朋絵さんはスマホを確認して……顔の前で手を合わせた。


「あー、ごめん。私その日、おデートの予定が……」

「またですか」

「ごめんねー。私も女子大生だからさ。いろいろあるワケですよー」

「あんま派手に動いてると琴葉に勘づかれますよ?」

「なんか刑事モノみたいなセリフだね……若宮くんもう帰るとこ?」

「あ、はい」

「じゃ、駅まで送ってくよ。ちょうど気分転換したかったところだから」


 そう言うと、朋絵さんは立ち上がってニッコリと微笑んだ。



   ○○○


 

 そして、俺と朋絵さんは最寄り駅に向かって歩き始めた。と言っても、普通に歩いて5分もかからない距離なので、あえてゆっくり歩く感じである。


「あの部屋はもともと、私たちのお父さんの書斎でね」


 隣を歩きながら、朋絵さんは語り始める。


「ひよりちゃんが声優さんになったきっかけって知ってる?」

「えっと、親に勧めれて児童劇団に入って、そこの人に勧められて声優事務所に移って……ですよね?」

「経歴的にはそう。でも、原体験って言うのかな? はあの部屋なんだ」

「原体験、ですか」

「ひよりちゃんってもともとお父さんっ子で、お父さんに本を読んでもらうのが好きな子だったんだ。『かいぞくポケット』とか『エルマーのぼうけん』とかそういう感じの本」

「どっちも名作ですね。俺も好きでした」

「お父さんはべつに役者じゃなかったし、読み聞かせが上手ってワケでもなかったんだけど、ひよりちゃんは膝のなかで聞くのが好きでさ」

「へえ」

「私はすぐ飽きて、男の子と遊んでたほうが楽しいのにな~って心のなかで思ってたんだけど」

「その補足情報要ります?」

「ってのはさておき」

「さておかれた」

「ひよりちゃんはさ、もっともっとっていつもねだってて、気づけば自分で本を朗読するのも好きになっていったの。インタビューでは映画のメイキングを観るのが好きでってよく話してるでしょ? まあそれもそうなんだけど、お姉ちゃん的には読み聞かせのほうが原体験じゃないかなって」


 朋絵さんは優しい声でそう語る。さっき部屋をこの目で見たせいか、情景がはっきりと浮かんでくる。


「それが今の仕事に繋がってるんですね」

「そう……なのかな?」

「いや、朋絵さんが言ってきたんじゃないですか」

「そうなんだけど。朗読が好きだから劇団に入りたいとか声優になりたいとか、ひよりちゃん自身が言ったワケじゃないからさ。幼稚園のお遊戯会で木とか交通標識役を歴任したって知らない?」

「ああ、なんかどっかで聞いたことある気がします」

「交通標識って笑っちゃうよね」


 朋絵さんは実際に小さく笑いながら、懐かしい顔で遠くの空を見上げる。気付けば夜が顔を覗かせており、辺りは暗くなり始めていた。


「ひよりちゃんって一見、自分で自分の人生を決めているように見えるでしょう? 思ったこと言うし、決めたことを貫くし、そのためには努力も惜しまないし」

「そうですね」

「でも、彼女の根幹は受け身。児童劇団は親のススメ、声優事務所に移ったのも児童劇団の人のススメ。私立の中学も受ける仕事もぜーんぶ誰かのススメ。福沢諭吉センセもドン引きするくらい、誰かのススメに弱いんだ」

「その例えはちょっとよくわかんないですけど」

「でも、私の言ってることはわかるでしょ?」


 その問いかけに俺が首を縦に振ると、朋絵さんは満足げにうなずいた。


「ひよりちゃんの名前の由来ね、ことわざの『待てば海路の日和あり』なんだ。待っていればいいことがある。誰かが手を差し伸べてくれる……言霊って言うけど、名前って性格に影響与えるんだよ」


 そんな話を聞くと、惣太郎という昔の百姓みたいな俺はなんでこんな日影な性格になったんだと思ってしまうが、それはまあさておき。

 

 そうやって朋絵さんによって明かされる、中野の名前の由来。


 でも実際、彼女が第一印象に反して受け身な性格なのは、俺も前から気付いていた。


 彼女が押しに弱いのは高寺との接し方のなかで明らかだし、自分の欲望に忠実な本天沼さんや石神井にも振り回されたりしている。


 美祐子氏との関係だって、力関係的には対等だろうが、実際はなんだかんだで美祐子氏がリードしている印象だ。小学生向けの声優講座だって、表面的には中野が自らやると決めた雰囲気だったが、今思うと美祐子氏がそういうふうになるように色んなお膳立てをしていた。言うまでもなく琴葉にはぶんぶんに振り回されてるし。


 そして、俺は思い出す。


 まさについさっき、中野が俺に対して放った……


「だって、あなたと知り合わなければ、私は大学進学するつもりはなかったから」


 という言葉を。


 俺は中野に対して、「なにがなんでも絶対に大学には進むべきだ」みたいなことを言ったワケじゃない。


 でも、彼女に進学の意欲がないことを知って、下駄箱の近くという場所で、目の前で落胆してしまったのは事実だし、あの出来事の後も変わらず勉強面をサポートし続けてきたのもまた事実だ……そんなふうに事実を並べると、冷静に考えて俺が彼女の人生に影響を及ぼしたというのは、否定しようのない事柄なように思える。そこに意図がなかったにせよ、である。


 と、そんなことを思っていると。


「だからさ若宮くん」


 朋絵さんの呼びかけが、地面を見ながら思考の海に潜っていた俺を浮き上がらせる。気付けば、もうすでに梶が谷駅の改札前に到着しており、朋絵さんは真面目なようで、それでいていつも通りふざけたようにも見える表情をしていた。


 そして、彼女の色っぽい唇が動いて、こんな言葉が俺の耳に届く。


「もし、私が『若宮くんと付き合いなよ~』って言ったら、ひよりちゃん、絶対付き合うと思うんだ」

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