197 ひよりと琴葉の日常
そんなこんなでお互いに読書をしたり、スマホで動画を観たりして過ごしているうちに(あとで聞いたが中野は見る用にアカウントを持っているだけで、個人アカを開設する予定は今のところないらしい)、階段をのぼってくるかすかな音が聞こえてきた。その数秒後、ドアが向こう側からノックされ、コツンコツンという音が部屋内で反響する。
「ひよ姉、私だけど」
ノックの主は琴葉だった。
私だけどと声に発しているときにはすでにドアが開いており、「私だけど」がなくても完全に誰かわかる状態になっていた。よくアメリカの映画なんかで、上司(だいたいボスと言われている)の部屋に資料を持っていくとき、自分の来訪を気付かせるためにもともと開いているドアをノックするアレに似ている。この感覚が通じるのかよくわからなかったのと、通じたとしてもネタとしてあんまり面白くないのはわかっていたので、言わなかったけども。
そんなふうに俺が心のなかでツッコミを入れていたのはさておき、琴葉の姿を確認した中野は一気に笑顔になった。本もスマホも足下に置くと、手を開いて歓迎の意をわかりやすくあらわす。
「あら琴葉、お帰り」
「ただいま。晩ご飯の準備買ってきたよ……って、若宮ここにいたんだ」
「おう」
「靴あるから来てるのはわかったけど、てっきりお風呂場の天井の換気扇の裏にいると思った」
「おいそれなんの覗きだ。俺は覗きなんかしないから」
「覗きは専門外と」
「その言い方だと専門があるみたく聞こえるし、てか覗きするなら靴は玄関に置いていかないだろ普通に考えて」
「なるほど、覗き魔としての普通がもう備わっていると。経験豊富と見た」
「お前、どう拾ってもボケ返してくるんだな? ハイキュー西谷先輩のレシーブ並にツッコミスキル高い俺でも必死だぞ?」
「……高校生声優がいれば、高校生覗き魔もいるってことか」
「あ、ハイキューは未読勢だったか」
「世の中には色んな人がいるんだね。知りたくなかった」
俺のツッコミにさらにボケを重ねつつ、琴葉はなにも言わずに中野のもとへ行き、なにも言わずに足の間に腰をおろした。そしてそのまま、なにも言わずに中野をイスにするようにして身を預ける。
ふたりは20センチ強の身長差があるので、ちょうど中野の顎あたりに琴葉の頭がきて収まりがいい。小柄と言っても琴葉は小6なのでそれなりの体重があるはずだが、シスコンの中野は当然、文句は言わない。むしろ、琴葉の定位置がそこなのだと感じさせるほど、自然に嬉しそうな表情に変化していく。
普段、中野に対してツンツンしていることのほうが多い印象の琴葉なのだが、これもふたりの日常なのだろう。
(でも、そうは言ってもすごい光景だな……)
と、百合百合しい光景に、お腹いっぱいになりながら見ていると。
琴葉が俺のほうを、意味ありげな目で見ていることに気付いた。
「若宮、ちょっと聞きたいんだけど。若宮の家って多摩川の近くだったよね?」
「あぁ、結構近いぞ……ってもう何回も来てんだろ」
「そ、そうなんだけど……」
なんだか言いにくそうな表情だった。視線を合わせず、モジモジしている……どうやら、なにか頼み事があるようだ。察してくれはやめろとあれほど言っているのにこの子は……と思うが、正直かわいいのでもうどうでもよくなってきている自分もいた。ひよ姉と俺は違うはずだったのに……。
「今度はなんだ。バーベキューか犬の散歩か少年野球観戦か」
「え、なにそのラインナップ」
「全部河川敷でできる」
「あー」
「うちの家のメリットなんて、多摩川とニコタマが近いってことくらいしかないだろ」
「いや、そんなことないと思うけど……」
そこまで言うと、琴葉は頬を赤く染めながら、勇気を振り絞るように声を発する。
「若宮の家から……は、花火って見える?」
「あー、そういやもうすぐだな」
琴葉に言われ、俺は多摩川花火大会のことを思い出した。
多摩川花火大会は、毎年10月の第1土曜日に開催される。都内でも屈指の集客を誇る花火大会だが、隅田川とかと違って夏ではなく秋開催なので、人が大勢集まってもそこまで汗をかかないのがポイント。若宮家のある二子新地は、川を挟んだ二子玉川とともに花火客が降りる駅で、当日は大いに混み合う。
もっとも、我が家はマンション5階で、ちょうどベランダが川の方向を向いているので、河川敷に行かなくとも超迫力の花火を自宅にいながら楽しむことができる。まあ正直、この地に生まれ育った人間としてはもはやあんまりありがたみを感じないので、去年しばらくぶりに河川敷参戦するまで、もう何年もスルーって感じだったのだけど。
「私の家、丘の上だから見えるは見えるんだけどちょっと遠いから、いまいち迫力がなくてさ……それで、その、もし」
「いいぞ。来るか?」
「はやっ!! まだ頼んでないんだけどっ!!」
琴葉がなぜかキレ気味に返すが、こっちからしてみればこの流れで花火鑑賞を求めてくると予想できないワケがない。琴葉のイベント好きな一面を知っていればなおさらだ。
「で、来るのか?」
「あ、うん。行きたい……」
急に声が小さくなり、いつも通りほとんど聞こえなくなる琴葉。
「じゃあ決まりだな。石神井とか高寺にも声をかける感じでいいか?」
「だ、大丈夫」
「それでだけど……」
俺が視線を向けた先は、ひとり静かにこちらの様子を見守っていた次女・ひよ姉だ。妹が花火鑑賞会の交渉をする様子は、彼女的に猛烈にかわいかったようで、その大きな瞳をうるっとさせて手を合わせていた。
「シスコン発動中に申し訳ないけど中野はどうする? ここにいるから聞いておくけど」
「し、シス……んんっ」
自分の現在の状況に気付いたのか、中野は小さく喉を鳴らすと、背筋を伸ばしていつも通りのクールな表情に戻った。鼻の下が半分くらいの長さになった気がする。そこの部位、そんなに伸び縮みしたっけ?
「たしか来週よね……残念ながら、秋葉原でイベントがあるのよね。一応終了予定時刻は17時半なのだけど……」
「微妙なラインだな。多摩川は打ち上げ、18時から1時間なんだよ」
「それなら急げば後半は一緒に見られるかも……一応、そういう感じでいいかしら?」
中野の言葉に、俺はコクンとうなずいて返す。
横を見ると、琴葉がその左右に狭いおちょぼ口の端をほんの少しだけ上にあげたような気がした。
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最初にアップしたやつ、コピペがおかしかったようで公開から10分くらいで差し替えました。すでに読んでくださってた方には申し訳ありません。
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