195 これがプロの仕事場

 玄関正面にある階段をのぼって2階に達すると、廊下沿いにふたつ、突き当たりにひとつ部屋があった。


 それぞれDIYされた感じの表札がかけられており、手前から「KOTOHA」「HIYORI」とある。作業の雰囲気的に数年前に行われたものなのだろうが、よく見ると「HIYORI」には「&TOMOE」という文字も貼られていた痕跡があった。


(朋絵さん、中野に部屋を追い出されたのかな……)


 そんな心配を一瞬するが、よく考えれば1階にもう一部屋あったことを思い出す。たぶん、三姉妹の親が使っていたぽい部屋の。追い出されたのではなく、住む人の数が変わった結果、そっちに部屋替えすることになったのだろう。


 そんなことを思いつつ、突き当たりにある一番奥の部屋の前に到達する。そこには表札はない。軽くノックをしてから、俺は声をかけた。


「中野、いるか?」

「若宮くん、来ていたのね」


 ドア超しに声をかけると、中から聞き慣れた声が返ってきた。


「朋絵さんがこの部屋にいるんじゃないかって。入ってもいいか?」

「どうぞ」


 許可を得て、俺はドアを開く。


 そして、視界に飛び込んできた景色に目を見開いた。資料部屋という表現がまさにふさわしい、そんな景色だったのだ。


 部屋は12畳程度のそれなりに大きい、奥に細長い形をしていた。壁の両サイドには天井近くまである高い本棚があって、小説、ラノベ、マンガ、さらには台本の類いまで、さまざまな本が並んでいて壮観だ。


 部屋のトーンは全体的に落ち着いているが、もっとも大きな要因は左右の本棚だろう。暗い色合いの木材が使われており、触れてみるとその材質の良さに驚かされる。俺の部屋にある本棚とは全然違う。


 と、この時点ですべての文化系人間が憧れるに足る部屋なのだが、そこからさらに細かなこだわりがあるのが中野家らしかった。


 たとえばデスク。市販品を購入したのではなく、左側の本棚だけ一部が改造されてデスクのようになっているのだ。きっと特注で作ってもらったもので、そのうえには読みかけの本と台本数冊、MacBookAir、Kindle、そして『京都念慈菴』と書かれた丸い小さな箱が4つほど載っていた。これはなんだ……のど飴っぽいけど……。


 デスクの前に置かれている一人掛けのソファーも特徴的な形状をしていた。凹型のソファーなのだが、ソファー部分の外側が凹型の本棚になっており、そこに数十冊程度の本を入れられるようになっていたのだ。正直、腰とか肩にはあまり良さそうじゃないが、文化系人間をときめかせすぎる形状だ。


 さらに、声優の資料室であることも納得できるポイントもいくつかあった。


 たとえば、窓際にある背の低い本棚に並べられたCDおよびDVDたち。CDはアニメキャラのイラストがプリントされており、本棚の上には少し古い型のCDコンポが置かれていた。

足元にはタイルカーペットが敷き詰められており、防音対策だとわかる。加湿除湿機能つきの空気清浄機も当然置かれていた。


「いや、マジでスゴいな」


 思わずそんな声が出る。初めてこの家に入ったとき、外観や内観が色々と凝って建てられていることに驚いたが、おそらくこの部屋も建築時にオーダーされ、色んなところにこだわって作られたことがわかる。


「お父さんがはりきっちゃってね。今はすっかり私の資料部屋になったけど」


 そんな返事が、低い位置から聞こえてくる。


 中野は窓に近い位置で、木製のちょっと高級そうなイスに体を横たえていた。足下が曲線になって前後に揺れることができるタイプのものだ。手に持っているのは台本であり、長母指屈筋や長掌筋のあたりがピシッと伸びて数センチの分厚さの重みを支えていた。リラックスしている様子だが、もう片方の手には赤ペンが持たれている。疲れを癒やしながらも、ちょっとした仕事をしているのだろうか。


「あ、仕事中?」

「ううん、大丈夫。軽く読んでるだけで実質リフレッシュ中」

「そうか」

「若宮くんも好きに過ごしてくれていいわよ」


 そんなふうに言いつつ、中野は3色ボールペンを口に咥えて小刻みに振っていた。自然と口がすぼむので妙になまめかしい。屋内仕様なのか、普段着ている印象のないショートパンツを履いており、スラリとした脚が美しい。窓から差し込む光に包まれた彼女の姿は、控えめに言って絵画のような美しさ、神々しさを宿していて、見慣れているはずなのに油断すると心がざわめいてしまうのを感じる。

 

(しかも、よく考えたら中野と部屋でふたりきりって初めてだよな……)


 好きに過ごしてくれていいというお墨付きは得たものの、緊張してしまうのも自然なことだろう。まあ中野は俺のこと、まったく視界に入ってない感じなんだけども。さっきから全然こっち見てこないし……。


 そんなふうに、若干恨めしげに思いつつ、俺は視線を本棚に移動させる。そこに収められているのは、さっきも言ったように大きく分けて4つ。マンガとラノベと小説と、そして台本だ。


 量だけで言えばマンガとラノベが当然ながら一番多く、右側の本棚がすべてと、左側の棚の3分の1程度がそれだけで埋まっていた。とくに右側の本棚は端から端まで、床からほとんど天井近くまであり、それでも並べて入りきらなかった分は、本の上に重ねて置かれていたりしている。


 しかも、よく見ると右側の棚は奥行きがあり、2列に収められていた。正確に見積もるのももはや難しい量だが、軽く見積もっても2000冊はありそうだ。TSUTAYAでレンタルしたり、読み終わったのは古本屋で売ったり、最近はKindleで購入することも多く、結果的にそこまで家の中に本がない俺の家とは大きく違う感じだ。


 左側の本棚の残りの場所には、膨大な量の台本が置かれていた。サイズはどれもA4で、さまざまな色合いゆえ集合体になるとなかなか壮観。こうやって見てみると、自分が今までに観た作品もたくさん含まれており……


 中には中野がブレイクするきっかけとなった、


『反省文の天才』

 

 の台本も、ちょうど目につく高さで並んでいた。


 台本の陳列には、ふたつの特徴があるようだった。


 ひとつは年度別に配置されているということ。入り口側の左上から、反対側の右下に向かうにつれて新しい作品であり、TSUTAYAで見るタグのように「2012年」とか「2015年」とか書かれている。


 もうひとつは、台本がわりと欠けているということ。同じ作品の台本のなかで一段左に差し込まれているのを手に取ってみても、第3話の台本だったりしたのだ。


「どうして欠けてるのかなって思ったでしょう?」


 中野が声をかけてきた。手には台本はもう持たれておらず、スマホがある。


「それはね、私が途中から登場するキャラだったからよ。たとえばラブコメ作品でも、2番手3番手のヒロインとかになると、登場するのも少し遅れてってことあるでしょう?」

「たしかに」

「そういうとき、声優って最初のほうの収録には参加しない。だから台本ももらえない」

「そんな高いものじゃないだろうに、くれてもいいのにな」

「でもスタッフさん的には、ちりつもなんでしょうね。ちなみに、バトル物とかだとたまに主人公が出てこない回ってあったりするけど、そのときももらえないらいし、あとはゲームの台本は分厚いから表紙だけ貰う人が多いわね。私もそうしてる」


 そう言う中野の視線の先を追うと、たしかに綺麗に切り取られた表紙たちが、クリアファイルの中におさめられていた。表紙だけにも関わらず、そこそこの分厚さになっていることが、中野が人気声優であることを逆に証明している感じだ。


「でも、若宮くんも人のこと言えないでしょう?」

「ん?」


 話が変わったので戸惑うと、中野がなぜか意味ありげな視線を向けてきた。


「琴葉が言ってたわ。たくさん本があるって」

「ああ、参考書の話?」

「それもだけど、部屋に置いてあるでしょ? 観た映画とか読んだ本の感想を書いたノートの」

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