193 野方先生の苦悩

「よく勘違いされがちなんだけどさ、留年は登校日数じゃなく科目別で決まるんだ。だから1科目でも欠席が3分の1を超えると強制的に留年になっちゃうんだよね、うん」

「結構厳しいんですね、公立なのに」

「公立と言っても、高校は義務教育ではないからね……なのに、なんで中野さんはこんなに学校を休んでるのかな?」

「いや、知らないですよそんなこと。俺に聞かれても」


 2学期が始まって3週間ほど経った、ある日の放課後。俺は野方先生に呼ばれ、生活指導室にやって来ていた。


 自分で言うのもあれだが、俺は基本的に品行方正で成績優秀だ。授業をサボることもないし、宿題だってきちんと出す。不運が重なって補講を受けることになっても、プライドとかそういうのとは関係なく、受ける義務があるので受ける。


 にも関わらずここに来ているのは、中野への配布物を受け取りに来るためだ。彼女は仕事が忙しいようでここ数日、学校に遅れてきては早退していた。基本的に担任である野方先生がクラスに顔を出すのは朝夕のホームルームのときなので、そのタイミングでいないと配布物を渡すことができない。


 そこで、俺の出番というワケだ。野方先生からの配布物だけでなく、レジスタンス(タブレットを使った教育が普及我が校にあって紙での教育にこだわる原理主義者たちのこと)のプリントが、目の前に多く並んであった。


 それらをひとまとめにしつつ、野方先生はファイルに入れる。


「これで全部かな」

「タブレットあるのに、なんで紙にこだわるんでしょうね」

「まあ全部の参考書・問題集が電子化されてるワケじゃないからね。仕方ないよ」

「そう言う野方先生も普通に紙で配ってますもんね」

「中には保護者さんに見てもらいたいものもあるからね、うん。たとえばこの」


 そう言って、野方先生はひとつを指さす。


「文化祭の案内」

「そう言えばもうそんな時期か……中野は参加するんですかね」

「知らないし、そんなことより普段の授業もう少し出てほしいよ僕は。去年も散々言って、美祐子にも何度も伝えたんだけど結局3科目ダメだったから」

「ダメってのは」

「出席日数が足りなかったってこと」

「あらま」

「仕方なく僕がこっそり出席簿を改ざんしたからなんとなかなったけどさ」

「……いや、それ先生が休む一因になってません?」

「え、なんで?」


 俺の指摘に対し、野方先生が目を見開いてこっちを向く。一瞬ギャグで言ってるのかと思いきや、反応を見るにそうではないようだ。


「だって先生が改ざんしてくれるなら、そこにまた頼りたいって思うじゃないですか」

「……でもさ、僕があのふたりに反抗できると思う? とくに美祐子に」

「今色々考えた末、開き直りましたね?」

「でも開き直るしかないんだよ」

「到底思えませんね、反抗できるとは」

「だよね……」


 俺は最大級の同情と憐れみを持ってうなずいてみせる。美祐子氏ってとにかく押しが強くて、なのにその割に嫌な感じが全然しないからついつい引き受けちゃうんだよな。俺はこの半年弱そんな感じだけど、野方先生はもうきっと何年も振り回され続けてきているんだろう。積もり積もった精神的な疲労は相当なはずだ。


「はぁ……」


 深いため息が聞こえて視線を移すと、野方先生が脚を放り出すようにして伸ばし、靴のままデスクの上にのせていた。ダランと傾いた頭が左肩に力なく乗っており、まるでこの世のやつれのすべてを集めたかのような体勢だった。このまま灰になってしまっても違和感はなさそうとすら思える。


「いや、その姿勢いいんですか。ここ生活指導室ですよ? 生徒が教室でその格好してたら怒られますyよ?」

「若宮くん、突然だけど『人間は考える葦である』って言葉あるでしょ? フランスの思想家の」

「本当に突然ですね」

「ラスカルの『パンツ』」

「いや、それアライグマですから。正しくはパスカル。んでパンツじゃなくて『パンセ』です。先生なんですからちゃんと覚えててくださいよ」

「意味は知ってる?」


 思想家の名前を知らなかったことは脇に置いて、意味について尋ねてきた野方先生。体勢以上に投げやりな姿勢で、教師としてどうなのかと思うが、尋ねられたからには答えるしかない。


「えっと、たしか人間は自然のなかでもっともか弱い葦のような存在だけど、でも思考する存在として偉大だ、的な」

「そうそう、そういう意味。でもね、それって逆に言えば『考えたところで葦』ってことでしょ?」

「考えたところで葦」

「いくら考えたところで弱いのは変わらない。まるで美祐子と僕のような関係。だから思うんだ。考えても無駄ならもうなにも考えないでおこう、考えない葦になろうって」

「なんてネガティブな……俺でも引いてますよ?」

「いやいやネガティブなんかじゃない。逆に僕はプライドを持って色々諦めてるから。僕はね、中野さんが声優として活躍するための踏み台になりたいんだ。だってさ、君たち普通の生徒がみかんだとしたら、彼女ってメロンとかマンゴーとかでしょ? 果物の中でも次元が違うじゃん?」


 そんなふうに話しながら、野方先生は机に置いていた足をあげ、そのままそこを蹴ってクルクルとイスのうえで回転し始める。最初は伸ばした足の遠心力を利用しつつ、速度を落とさないように綺麗に足を戻してくる様子などは匠の技であり、きっとこの部屋で何度もやっているのだろうと想像させた。めちゃくちゃどうでもいいスキルだ。


「彼女の人生がより良いものになるなら、僕の教師としてのプライドなんて、捨てたほうが絶対にいいなって」

「なんかもはや格好良く思えてきました。感覚麻痺してるんすかね?」

「つまりね、社会を支えてるのはね全力少年じゃなく、僕のような全力中年なんだ。情けない多数の全力中年が、モブとして生きてる全力中年がいるからこそ、中野さんみたいなスターが輝くんだよ、うん」

「今頃の僕らはきっと全力で中年だと」

「というワケで中野さんの家にプリント届けてね」


 そんなふうに話をまとめると、野方先生はイスから立ち上がり、俺にファイルを手渡す。


「あ、了解です」

「いい返事だ。君も諦めるのが上手になってきたね」

「まあ慣れましたし……先生、ひとつ質問なんですけど」

「なにかな?」

「さっき全力中年とか言ってましたけど、たしか先生ってまだ29とかじゃ……」

「……若宮くん、僕ってまだ29歳だったのか」


 重大な事実に気づいた野方先生は、窓ガラスに写る自分を見つめると、その姿がいつかの自分と比べて老けたと気づいたようで、がっくりと肩を下ろした。


 細身でわしゃわしゃした黒髪のルックスから、担任になった4月の辞典では「優男な人」だと思っていた野方先生だが、今ならわかる。完全に勘違いだった。


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新作始めました。いいスタートダッシュ切りたいので、フォローと星レビューをなにとぞよろしくお願いします。皆さんが頼りです…! どうか!笑


ロリでも愛してくれますか?〜幼馴染(16歳)と付き合ったら寝不足でロリ(10歳)になる特異体質者だった件〜

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