閑話~小学校最後の学校見学日・後~

「琴葉~! 来たよ!!」


 聞き慣れた声に、私を顔をあげる。空耳かと疑いつつ振り向くと、そこにいたのは……いや、こうやって三点リーダーでもったいぶる必要もない。とも姉とひよ姉だった。


「ひよ姉と……とも姉……?」

「やっほー」

「驚かせちゃったかしら?」


 とも姉は笑顔でこっちに手を振り、ひよ姉はニコリと微笑んでいる。しかも、ふたりとも私服姿だ。とも姉は大学生だからそりゃそうだけど、ひよ姉が制服姿じゃないのは驚きだ。もともと大人っぽい容姿なのもあって、普通に女子大生に見える。


「なんで……来たの?」

「なんでって、来ちゃいけなかった?」

「いや、そういう意味じゃなく……お仕事は?」

「私は今日はなかったの。朋絵はバイトも大学も休んだって」

「休んだって……ダメじゃん! 行かないとっ!」

「それはそうなんだけど……」


 とも姉はなぜだか申し訳そうな表情になりながら、こう続ける。


「でも、今日は琴葉が学校にまた行き始めて、初めての見学日でしょ? だから、お姉ちゃんたちもちゃんと見てあげないとなって」


 その言葉に、私は思わず胸の奥がアツいものに満たされるのを感じた。


 嬉しい気持ちと、ちゃんと私のことを心配してくれてたんだという安堵の気持ち、わがまま私を受け入れてくれる感謝の気持ち……そういったものが、頭の奥でない交ぜになってわき上がってきた。


「琴葉、今から授業なのに……」

「わかってる。わかってるんだけどひよ姉……」


 ひよ姉が心配して、私の頬に両手で触れる。


 しかし、その心配の表情を見ていると、私は逆に耐えられなくなり、涙が瞳から一気にあふれた。


「うわー、泣いちゃった。あはは」

「あははじゃないわよ、朋絵……仕方ないわね、こうなったら」


 こうなったら? ひよ姉はそう言うと教室後方にあるドアのほうを振り返いて、透明感あふれる声で楽しげに呼び掛ける。


「ほらいつまでも隠れてないで。琴葉も待ってるから」


 えっと、誰に話しかけてるんだ……??


 そう思う私の前に現れたのは……


「よ、よお琴葉……」

「琴葉ちゃん、や、やっほー」


 なんと、若宮と絵里子だった。


 え、どうしてふたりがここに!? という疑問が瞬時に私の頭のなかに浮かんで、と同時にふたりが妙に照れてるのが気になった。若宮の照れ顔なんて見たくなかった。おえっ。なんてことは今はさておき、いろんなことが気になって私の頭は爆発しそうだ。


「若宮に絵里子……どういうこと?」

「こ、これはだな……」

「……もしかして、若宮が仕組んだの? とも姉と、ひよ姉を誘って?」


 そうだ。そうに違いない。学校に通い始めて数日経った日、私は河川敷で若宮と話した。教室で感じた異変と、私が知らなかったことの答え合わせをした日だ。そのとき、若宮は、


「なあ、琴葉……ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 そんなふうに切り出したあと、


「学校見学日はいつ?」


 なんて聞いてきた。


 そのときの私は、なんでそんなこと聞いてくるんだろう……私が保健室に逃げ込む可能性を考慮してなんか時間潰せるものでもくれるのかな? とか思っていたのだけど、まさか、ひよ姉たちをここに連れてくるなんて。


 でも、お節介な若宮のことだ。絶対そうに違いない……そう思った私だったけど、でも、若宮はブンブンと首を振っていた。


「いや! そうじゃなくてだな、こうなるとは俺も思ってなかったというか、思ってたらここには来なかったというか……」

「えっと、意味不明なんだけど」


 すると、照れてモジモジしている若宮の横から、ひよ姉が割り込んでくる。


「私たちはなんにも打ち合わせしてないわ。ただ、私は朋絵と話し合って、今日くらいはさすがに来ないとダメよねって話になってここに来たの。そうしたら、なぜか若宮くんたちがいて……」

「じつは若宮くん、私たちにナイショで絵里子さんと一緒に、家族役をするつもりで来たんだって」

「朋絵さん、マジで勘弁してください……」


 楽しそうに言うとも姉に対し、顔を真っ赤になった顔を隠しながら言う。


「家族役……?」

「そうなの。さっき流れで聞いちゃったんだけど、琴葉、私たちが学校見学に来ないから、さみしかったんでしょ? それで、じゃあ俺たちが行くかって話になったらしく」

「はい……そういう感じです」

「息子に同じです……せっかく勇気出して来たのに……」


 絵里子は、普段家で会っていたときとは違って、ジャケットを着たりなんかして、すごくかっちりとした服装をしている。でも、絵里子は私から見てもシンプルダメ人間の引きこもりニートだから、ジャケットが致命的に似合っていない。そして、若宮と同じく、なんだか物凄くモジモジしている。おえっな若宮と違って、こっちはちょっとかわいい。


「若宮くん、いつも水面下で色んなことして回ってる印象だけど……まさか、私たちの家族を自称する日が来るとは」

「いや、これは琴葉を励ましたい一心で、べつに他意も悪意も害意も、そういうのは一切なくて。俺も小学生のとき、絵里子が授業参観、今で言う学校見学に来られなくて悲しい気持ち味わってたから」

「え、やっぱそうちゃんそうだったんだ……ごめん」

「いや今はそれいいから……」


 若宮がとも姉、ひよ姉だけじゃなく、絵里子に対してもアタフタしている。そっか、絵里子にも言ってなかった気持ちとかあったんだ。とか私が思っている間も、とも姉の追求は終わらない。


「若宮くん、家族ってどういうことなのかなあ? 年齢的に、私かひよりちゃんのどちらかが若宮くんと夫婦、ってことになりそうだけど」

「ちょ、マジでそういうの勘弁してください」

「違うわ朋絵。若宮くんは顔がその若くないから……」

「私たちのお兄さん? うわお、それいいね!」

「……俺もう、帰ってもいいですか」

「ダメよ。もう授業始まるんだし、今から出たら迷惑だわ」


 ひよ姉ととも姉に散々いじられて消耗している若宮はなんだか小動物みたいで、いつものような変に打たれ強い感じは皆無だった。さらっと静かに格好良くしようとした行動が、思いっきり明るみに出てしまった……という感じなんだろうか。


「……はははっ! なんかみんな、ホントばかみたい!!」


 みんなの様子を見てると、どうしようもなくおかしくなって、私は腹を抱えて笑ってしまう。周りのクラスメートが私のことを見てるのがわかるけど、もう、そんなことはどうでもよかった。


 嬉し涙が笑い涙になって、顔をあげると、情けなく眉を八の字にした若宮と目が合った。普段の目つきの悪さがなくなり、私は不覚にも「ちょっとかわいいかも」と思ってしまう。


 私に黙って見学に来るから、こういう恥ずかしい目にあうんだ!


 ざまあみろ!


 そう思うと同時に、私は気づいたのだ。きっと自分は、そういう若宮の『格好悪い格好良さ』がこのうえなく好きだし、こんな自分が信頼を寄せられる理由なんだろうなと。


 先生のいる教壇に体を戻しながら、自分の胸がスッと軽くなっているのを、私はひとり感じた。

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