187 琴葉の相談1

 その後、ラーメン屋から戻ると、俺と香澄は中野家を後にすることにした。


「若宮くん、また来てね」


 朋絵さんが手を振って、見送ってくれる。ふと横を見ると、帽子を深めにかぶった琴葉の姿があった。


「お、もしかして駅まで送ってくれるのか」

「うん、まあ……」


 なんとなく歯切れが悪い。どういうことかと思いつつ、俺たちは3人並んで駅へと向かう。両手に花ならぬ、両手に女児である。


 中野家の最寄りである梶が谷駅の駅前につくと、琴葉がふいに足を止めた。帽子のつばで目元は隠れているが、口元は見えており、小さく動いた。


「若宮……ちょっとモス寄ってかない?」

「……いやさっきラーメン食ったばかりだし。もしかしてもう腹減ったのか」

「は、違うし。若宮、喉渇いたかなって」

「かわいてねーけど……まあ、いいや。入るか」


 どうやらなにやら話があるようだ。俺がそうやって返すと、琴葉の口が小さく「ありがと」と動いた。



   ○○○



 それぞれソフトドリンクを頼んで席につく。俺はアイスコーヒー、琴葉はお子ちゃまにオレンジジュース、香澄は大人っぽくアイスティーだ。大人っぽくアイスティーって、自分で言っておいて違和感がスゴいけど、きっと香澄なのでそういう思考過程があったと想像できる。


 一方、用があるらしいはずの琴葉はなにも言わないまま、オレンジジュースをちゅーちゅー飲んでいる。ぱっと見は自然体な感じだが、店に入って3分でオレンジジュースを8割方飲んでいること、隣にいる香澄がそんな琴葉の様子をちらちら見ていることから、自然体を装っているだけなのが丸わかりだ。


「で、なんだ俺に話したいことって」


 切り出すと、琴葉がジトッとした視線を俺に返してくる。


「話したいことがあるなんて言ってない」

「そうか、話したいことはないんだな。じゃあ俺、帰るわ」


 予想通りの生意気な返答。なので、立ち上がる素振りを見せると、


「ま、待って! ないとも言ってないっ!」


 案の定、琴葉が引っかかってきた。必死の形相で、顔を真っ赤にし、俺のTシャツの裾を掴んでいる。


「か、帰っちゃダメ……」

「用あるんだろ? じゃなきゃ琴葉から誘ってこないだろうし」

「私はべつに誘ったワケじゃ……」


 そう言いつつ、琴葉はもぞもぞしながら頬を膨らませ、視線を横に逸らす。どうやら例の察してくれタイムが始まったらしい。


 普段は毒のあることはっきり言うくせに、自分の本心とかそういうことになると途端に素直に言わなくなるんだよな。出会った当初はただツンデレなだけだと思ってたけど、構ってほしい気持ちのあらわれなのだと水族館とか旅行とかを経て思うようになった。


 しかも、構ってちゃんは構ってちゃんでも、絵里子とはやはり違う。絵里子は単純にコミュニケーションに飢えている感じだが、琴葉は周りの人、親しい人を困らせたいという雰囲気があるのだ。琴葉さまは困らせたい、のだ。


 そして、相手の気持ちをはかろうとする節がある。


 幸いにも、最初のうちにペースに飲まれないのが接し方のコツだと気づいたので、琴葉に対しては適度にテキトーに接しており、振り回されてはいないのだが……琴葉の教育面を考えると、この先どんなふうに接していくべきなのかとか、若干悩んでしまうのも事実だった。ひよ姉はシスコンで甘々だし、朋絵さんは朋絵さんでもともと人に対して厳しい性格ではないので、琴葉にとってストッパーになる人がいないんだよな。 


 ……とか考え始めている俺は、もはや何目線なんだろう。


 正解。


 兄とか、親とか、そういう類いである。


 ……いや、兄とか親って……自分でもさすがにおかしいのがわかる。精神年齢の低い母親を育ててきた結果、俺って精神的に老けているのかもしれない。


「あー、老けてんのは顔だけでありたい……」

「え、なに若宮急に」

「惣太郎さん、どうかしましたか……?」

「あ、いやなんでもない」


 琴葉と香澄のキョトン顔を見て、我に返った。


「琴葉」

「なに」

「琴葉に話したいことがあるのはわかる。でもなにを話したいかは3秒くらい考えたけどわからん」

「諦めるのはやいな。カップ麺できる時間じゃなく、もはやお湯入れてる時間じゃん」

「だから自分から言ってくれってことだ」

「自分から……」

「香澄はどう?」

「いや、香澄はもう知って……あ」

「知ってんのか?」


 琴葉の反応を見るに、香澄にはすでに話しているようだ。


「はい。あ、でもどの悩みのことか……」

「何個かあんのな」

「はい。たとえば『キャミソールからティーンズ向けブラに変えるタイミングがわからない』とか」

「か、香澄っ!!」


 琴葉がハッと香澄のほうを向き、制止しようとするかのように腕に掴みかかる。だが、香澄はそれをいなすと涼しい表情で続ける。


「え、ちょっと前に話したでしょ?」

「そ、それはそうだけど、若宮に相談する話じゃないし!」

「そうでしょうか? 惣太郎さんならきっといいアドバイスくれると思いますけど?」

「いや、なんでやねん」


 思わぬキラーパスだったので不自然な関西弁になる。


「惣太郎さん博識ですから、その辺のことも詳しいのかなと」

「いや、なんでやねん。小学生女児の下着事情に詳しいとかそれアカンやつやん」

「うわキモ……関西弁になってるのもキモ……」

「おいべつに俺、詳しいと認めてないからな。そんでもって急に方言になるのはとも姉もだろ」

「とも姉って言うな。あとさっき琴葉って言った」

「琴葉、良かったらオススメとか教えてあげましょうか?」

「いらない! それにわ、私だって、そういうことはちゃんととも姉から聞いてる……じゃなくて! って話逸れてる!」

「ちなみに、私は大人なので、当然みんなより早くキャミオンリーは卒業しましたけど」


 香澄がなぜか自慢げにそんなことを言う。本当に大人なら、モスバーガーで下着の話をしない良識を身につけてほしいものだ。


「疲れてきたから話戻すけど、なにか用があるんだったらはやく言ってほしいな」


 視線で琴葉に訴えると、さすがに本気で言っているのが伝わったらしく、神妙な面持ちに変わる。


「そもそも、『察してほしい』ってスタンスで生きてると損だぞ琴葉」

「またひよ姉みたいなこと……」

「違う。これは人間としてのスタンスの話だ。親とか家族とか、そういうのじゃなく」

「う……」

「人になにかを期待するから裏切られた気持ちになる。人に期待しないってのは立派な処世術だ。もちろん俺にもな」

「……わかった」

「ということでそんな期待しないで話してほしいんだけど……どうせあれだろ。勉強か、それか学校のことなんだろ?」


 琴葉は言葉に詰まって、下を向いてうなずく。いくら風変わりな子だとしても、小6が悩んでることで俺に相談してくることなんか、限られている。


 そして、言葉を待って黙っていると、ぎゅっと真一文字にした口をほどきながら、琴葉が喋り始める。


「もうすぐ、始まるでしょ……学校」

「そうだな。始まる人は始まるわな」


「私、久しぶりに通ってみようかなって思ってて……」

「……ほぅ」


 なんと、小5から通っていない学校に行こうとしているらしい。


「へえ、いいじゃないか。どういう心境の変化だ?」

「べつに深い理由はない」

「ないのか」

「ただ、どうせ中学生になって学校に通うようになるなら、今のうちから習慣づけしておかないとって」

「それ結構、深い理由だと思うけどな」

「公立高校に行くには内申が必要って、若宮言ってたでしょ?」

「ああ、若宮言ってたぞ」

「あと半年ちょいで中学生ですし、小学生のうちに通うには最後のチャンスじゃないかって琴葉と話してたんです」


 香澄が横から入り、琴葉の話を補強する。琴葉はコクコクうなずいたのち、ふたたび重い口を開いた。


「でもさ……どうしても勇気が出ないの」

「それはどうしてだ?」

「私にちょっかいかけてくるやつらがクラスにいて……そいつらと会うのが辛い」


 先日、水族館に行ったときに、琴葉から不登校の経緯について聞いた。


 実の姉が人気声優であることを知った、心ない同級生から心ない言葉をかけられ、ケンカで強く言い返してしまい、無視されるなどをイジメを受けた……という話だ。


「中野が声優なのがバレて、ネットに書かれた根も葉もない噂話を言われたりしたんだよなたしか」

「うん。ホントひどいんだよ……性格が悪いとか、あの声優さんと仲が悪いとか、Dカップで隠れ巨乳だとか」

「おい琴葉、モスバーガーでそんなこと……」

「私、今、真面目な話してんだけど」

「いやそれはわかってるけど」


 ツッコミを入れたが、彼女は真面目な顔だ。


「信じちゃう人がいるのはわかるんだ。だって、とも姉だって、まとめブログ見て『え、ひよりちゃんってDカップもあったのっ!?』って驚いてたもん」

「朋絵さんヤバいな。姉なのにネットのデマ情報信じるのか」

「まあ、とも姉はちょっと天然なとこあるから……」

「そこは、ひよ姉も同じだけどな……」

「ちなみに、ひよ姉は……カップだから」

「おい今、小声で聞こえなかった感じだったけど、明らかに声発してなかったよな? 口が動いてなかったぞ俺は読唇術マスターしてるんだぞ?」

「ホントのサイズ聞きたいの?」

「いえ、遠慮しておく。これは令和を意識したラブコメ作品だからそういう描写には繊細なんだ」

「だからなにそのメタ発言……しかも、まあ性格も良くはないかな、ひよ姉は」

「まあ黒くはあるからな」

「……でも、そういうのを私に向かって言うこと自体がムカつくというか……酷いよね、ほんと」

「……そうだな」


 話が急にもとに戻る。


 胸の話をしていたせいか、琴葉の隣で香澄が自分の胸を気にして「いつ大きくなるんでしょう……」とか小声でつぶやいていたが、なんとか無視して琴葉に視線を向ける。こんなところで条例にひっかかるワケにはいかないからな。


「それで、まだ話してないと思うんだけど……学校見学日の日に、クラスの女子をぶっちゃったことあって」

「学校見学日?」

「今の小学生って、月に一回は親が授業を見学してもいい日があるってこと、ご存じですか?」


 香澄が琴葉の話を受け継いで進行する。その問いに、俺はコクンとうなずいた。

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