183 女児と過ごす夏休みは最高だ2

 こんなふうにふたりのJSと会話をしながら、俺は中野家にて朝10時から、琴葉と香澄の家庭教師をしていた。


 話の内容を書き記してみると、ただ女子小学生とじゃれているようにしか見えないかもしれないが、安心してほしい。ちゃんとしっかり勉強を教えつつ、じゃれている。全然安心できない。


 事の経緯を詳しく説明すると。


 俺が今日、中野家に家庭教師としてやって来ていたのは、香澄との勉強会の約束を果たすためだった。もとはと言えば琴葉の宿泊とダブルブッキングして破ってしまった約束だったのだが、1泊2日の旅行を通じて距離を縮め、事情を知ったらしい琴葉が後から「私も一緒に勉強したい」と言い出し、それなら一カ所に集まってやろう……ということで中野家に集まったのだ。


 もっとも、小学生の勉強会だからと言って、学校の夏休みの宿題とか自由研究を教えているワケではない。俺たちが学んでいるのはもっとハイレベル。具体的に言えば香澄が中1の、琴葉が中2の学習範囲だ。だから、算数じゃなく数学と呼ぶのが正しい感じ。


 しかも、琴葉に至っては、科目によっては中2の学習範囲を終え、中3に入っている状態だった。俺と知り合う前も、本屋で執拗に立ち読みならぬ立ち暗記し、自学自習を進めていたおかげで、かなり先まで進んでいる。


 というか、琴葉は正直勉強面についてもかなり地頭が良く、学業の成績だけならひよ姉こと次女こと中野よりも優秀だと感じた。あの子は負けず嫌いなので、自分より優秀と聞くと無条件で勝負を挑みそうだが、一方でそれ以上にシスコンなので、言ってもとくに問題はないと思う。まあ、言う必要がないので言わないけど。


 そして、もうひとつ、このふたりの女児の機嫌をとっておきたい理由が俺にはあった。



   ○○○



 可容ちゃんが溺れた次の日、俺たちは朝早く、地元へと帰ることになった。


 幸いにもケガ人がひとりも出ずに済んだので、それぞれの親に知らせないでいてくれると思っていたのだが、どういうチョイスなのか事務所には伝わってしまい、中野、高寺、可容ちゃんの3人がそれぞれ呼び出されたのだ。


 結果、可容ちゃんを助けた中野は美祐子氏から褒められ、可容ちゃんの事務所の人からは感謝され、プチ旅行を黙って企画した高寺は美祐子氏に叱られ、危ない崖に自分から行った可容ちゃんは事務所の人からこっぴどく叱られたそうだ。


 そんな経緯があり、3人が朝早くに帰ることに。他のメンバーで予定通り観光に行ったりすることもできたのだが、正直そういうムードではなかったこともあり、本天沼さんの提案で大人しく帰ることに。結果、予定していた観光ができず、琴葉と香澄はあまり遊べなかったのだ。


 香澄は自称大人なので「気にしないでください」と言ったが、まだ精神的にお子ちゃまな琴葉は帰りの電車でずっとプリプリ怒っていた。


 それゆえ、俺はこうやって機嫌を取っているというワケだ。それが多少は功を奏したのか、それとも小旅行から少し日が経って冷静さを取り戻したのか、琴葉は今のところそれなりに機嫌良く過ごしてくれている。


 香澄にわからない問題の解法を教え終えると、俺は読書へと戻った。自分の勉強でやるべき宿題、予備校の夏期講習の予習復習は終わらせたので、今日はふたりの質問に答えていない時間は読書に勤しんでいた。


「惣太郎さんって本当に読書家ですね」


 香澄が微笑みながら言う。その大人びた瞳に尊敬の色が浮かんでいる気がして、素直に嬉しい。


「まあ平均よりは読む……かな?」

「哲学堂依人……あ、もしかして大学見学に行ったっていう」

「あ、お兄ちゃんから聞いたか?」

「はい、お兄ちゃんから聞きました……今、自然に言いましたけど、お兄ちゃんが聞いてたらすごく喜んでたでしょうね」


 石神井のことを思い出したのか、香澄の表情が険しくなる。


「ご、ごめんつい」

「いえいえ、お気になさらず。月に何冊くらい読むんですか?」


 そう言いつつ、香澄は俺の手から文庫本を奪ってパラパラめくり始める。


「その月によりけりだけど10~20くらいかな」

「えっすごい」

「ラノベも含めてるしね。マンガを入れるともっと増えるよ」

「ひょえー……読むのとか早いんですか? 速読術? とかあるんですか?」

「速読術ね。本好きが一度は通る選択肢だな。もちろん俺も読んだことあるよ」

「え、どうだったんです??」

「そうだな……『指輪物語』全10巻を読んだんだけど、早く読み過ぎて途中1冊分読み飛ばしたことに気付かなかった、と言えばスピード感が伝わるかな?」

「え、意味ない……」

「ダメじゃん」


 香澄だけでなく、琴葉もツッコミを入れてきた。ジト目でこっちを見ている。


「だから今度からはできるだけ新しい版で読もうと思ったよ。「指輪物語」も今ポピュラーな全10冊のが出る前は3巻のがあってさ。それだと読み飛ばすこともないだろって」

「まあ上中下で読み飛ばすことは……ってなんないから。10分の1読み飛ばしてる時点で速読できてないし」

「だな」


 もっとも、こんな話をしつつ、ジョークなのはふたりともわかっている感じだった。俺の神経質な性格的を考慮すれば、そんな不注意はしないのだ。


「……その本って面白いの?」


 と、ここで琴葉が質問してきた。俺をなじったり、小馬鹿にするときと違い、純粋な好奇心が感じられる声色だ。この子は好奇心が強く、そして好奇心に対してはとても素直だ。なので、俺も自然と柔らかい口調になる。


「面白いよ。というか、哲学堂先生の本は全部面白い」

「そうなんだ……ひよ姉、大学見学に行ったあと、この人の話をしてたんだ。すごく素敵な人だったって」

「だな。作家ってもっと偏屈で変わった人なのかと思ったけど……いや変わってはいるか。あの年齢であんな目キラキラしてないもんな。でも、すげー人間としての器の大きさを感じたんだよ。俺たちに対してもすごく丁寧で、気さくで、話も面白くて」

「へえ……」

「惣太郎さんも憧れた感じですか?」


 香澄が尋ねてくる。なんとも答えにくい質問だ。


 だって前者だと「自分もそういう人間になりたいと思う」って言ってる感じで恥ずかしいし、後者だと自分のひねくれを認めているかのようだ。ひねくれだと簡単に認めるほど、俺は真っ直ぐではない。それくらいにはひねくれている。


 でも。


 それでも、哲学堂先生とまた話したいという気持ちは俺のなかで日に日に膨らんでいた。理由はきっと、可容ちゃんとの話だろう。


 あの夜。


 俺は可容ちゃんのお父さんが、今は亡き清水監督であることを知った。彼はアニメが好きで、好きすぎるあまりに命まで失ってしまった。


 そんな姿を誰よりも近くで見てきた可容ちゃんは、好きなことを仕事にしたはずなのに(まあアニメ監督と声優なので、関わり方は変わってしまっているが)、夢中になれないでいた。夢中になると、いつか自分も清水監督のようになってしまう……そう思っていたのだ。


『私はこういうふうにしか生きられないんだなって』

『好きなことをするために生きてるんじゃない、好きなことに身を捧げるために生きてたんだよ』


 可容ちゃんの言葉が、今でも脳内で反芻する。


 空気の通りの良い、ほんの少しハスキーで甘い声。女の子らしい声で語られたその決意は、正直なところ、俺をかなりおびえさせた。そこまで覚悟が決まっていないと、表現というモノに向き合い続けるのは不可能なんじゃないかと思えたのだ。


 そして、そういうふうに思っているからこそ、哲学堂先生にまた会いたいと思った。会って、話を聞いてみたいと思った。長年、小説家として第一線で活躍し続けている、プロフェッショナルな精神に、少しでも近づきたい、触れてみたい、覗き込んでみたい……そう思ったのだ。


 だから、そのためにはまず彼の作品を全部読む。


 この行為になんの意味があるのか自分でもわからないし、哲学堂先生が求めているのかも不明だったけど、そうすることで自分が新しい一歩を踏み出せるような気がしたのだ。


 そんなことを脳内で考えた末、俺は香澄に答える。


「うん、憧れたよ。俺もあんなふうに格好良い大人になりたいなって」

「そうですか。格好良い大人になりたい、そう思える時点で私には格好良いですけどね」

「そんな褒め言葉」

「本当ですよ?」


 優しく首をかしげつつ、香澄が言う。


「そりゃあ惣太郎さんのそういう考えを綺麗事に感じる人もいるかもしれませんけど、でも綺麗事が綺麗に思えなくなったら人間終わりってとこあるじゃないですか。体には成長期ありますけど心の成長期は人それぞれ。ずっと成長する人がいる一方でどうしよもない子供からどうしようもない大人になる人もいます」

「まあそれはね」


 キツい言い方に苦笑がこぼれるが、香澄は至って真面目な様子だ。


「たとえばうちのお兄ちゃんもそうです。最近は花火資料館? みたいなところに通ってて、惣太郎さんが遊んでくれないからって私を連れて行くんです」

「あー、それは申し訳ない……でもまあ、あれはあれで進化な気もするけど」

「かもですね。ほとんど動かないナマケモノだってクマなのに笹しか食べないパンダも、進化と言えば進化ですもんね」

「うむ」

「惣太郎さんとひよりさんが哲学堂先生にすごく刺激受けてるのに残念ですけど……まあでも学校で学びを得るかはその人次第ですもんね」

「学校か……」


 そんなふうに香澄と話していたら、琴葉がポツンとつぶやいた。聞き間違いかと思ったが、なにやらしんみりとした表情をしているので違うらしい。


「琴葉、どうかしたか?」

「ううん、なんでもない。こっちの話」


 そう言うと、琴葉は追求を拒むように立ち上がり、台所ではちみつジンジャーの2杯目を作り始めた。俺に命令するワケでもなく自分で作るのだから、なんでもないワケではないのは明らかだった。


==○○==○○==○○==


さあ琴葉はなにを考えてるのでしょうか?

お姉さん回を挟んでロリエピソードがつづきます。下ネタもあるよ(最低な告知)

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