182 女児と過ごす夏休みは最高だ1

 夏休みとは不思議なものだ。始まる前は1ヶ月以上休みがあるのに、いざ始まってしまうと、驚くほどはやく時間が過ぎていく。


 計算上は30日は1日の30倍、普段の週末換算だと15回分の長さのはずなのに、体感ではその5倍くらいにしか感じない。


 俺が思うに、これって神様が人間に与えたバグなんじゃないかと思う。きっと時間の積み重なりを正常に認識するには人生は苦しいことが多すぎるのだ。


 だからこそ、神様はあえて人間にバグを植え付ける。物心がついた頃は、知らないことのほうが多いから世界そのものが新鮮に思えるけど、大人になるとそういうのもなくなり、いよいよ本格的に苦しみの連続と対峙することになり、ゆえに時間の経過をあっという間に感じるようになった……。


 なんて書き出しをすると、いかにも中2風味のある自意識の手垢にまみれた青春ラノベという感じだが、こんなふうにツラツラと書きつつも、俺としては今年の夏休みに限っては時間があっという間に過ぎるという感覚はなかった。なぜなら休み期間中もやることが少しも減っていなかったからだ。


 いや、むしろ増えている感まである。


 料理洗濯炊事等の家事は、学期中と変わらずにずっとやっているのは当然のこととして、俺が家にいることで、学期中は昼飯は自分でなんとか済ませている絵里子が、やれチャーハンが食べたいやら、たらこパスタが食べたいやら、今日はそうめんの口だとか、そんなことを言ってくるのだ。 


 それに加え、俺自身も今年からは予備校に通っているので、勉強に費やす時間も増えた。学校の宿題も去年に比べて増えており、課題の量にも受験が遠くから迫りつつあることを感じる。


 もちろん、その間にもコンテンツに触れるのも欠かさない……途中、2日ほど読めない日があったが、それ以外は順調に哲学堂作品の読書に勤しみ、なんとか夏休み中に全作品を読了できそうな感じだった。


 そんなだからこそ、ある意味、普段以上に夏休みに忙しさを感じていた俺だったが、合宿から1週間が過ぎ、お盆も終わり、気づけばもう授業開始まであと一週間に迫っていた。 そんなある日のことである。



   ○○○



 俺はその日、ふたりの女子小学生と中野家のリビングで過ごしていた。


 外はもはやうだることすらできないほどの暑さだが、この家のリビングはこんな猛暑のなかでも気温・湿度が完璧に管理されており、過ごすには申し分ない環境だ。乾燥機能つきの空気清浄機が2台、リビングの隅で静かに動いているせいか、空気のおいしさすら感じてしまう。


 目の前には色鮮やかなガラスのコップに入った、ハチミツジンジャーがあった。中野家に常備されてあるハチミツをジンジャーエールに入れたもので、客人として来ている俺が出したのだ……客人として出されるには至らなかった、つまり琴葉に命じられるままに作ったということだが、まあたいした労力ではない。なお、最高級のニュージーランド産のマヌカハニーはひより&琴葉姉妹用だったので、俺は普通のハチミツだった。


 そんなふうに客人として、そこそこ丁重な扱いを受けているのは、俺が今日、先生としてここにやって来ているからだ。


 ……と、勉強会が始まるまでは、そのはずだったのだけど。


「若宮、ちょっと」


 横から首筋に冷たいものが当たる感触。


「ここわかんないんだけど大人しく教えて」


 声の方向を見ると、琴葉が俺に先の尖った鋭利なシャーペンを頸動脈に突きつけていた。俺の実力をはかるような目でこっちを見ている。たぶん歴戦の工作員ならシャーペン一本で刺殺されそうな現状だ。


 とはいえ、相手は女子小学生。俺がテンパるはずもない。


「あ、なんだ琴葉? それが人様にモノを聞くときの態度か?」

「……」


 冷静に言うと、俺はシャーペンをどかせながら続ける。


「それに『大人しく』って刑事か犯罪者が言う言葉だろ」

「言い直す……人様、ちょっとここわかんないんだけど」

「いや、俺が人様って名前なんじゃなくて」

「じゃあ神様」

「一気にランクアップしたな」

「神様、無駄な抵抗はよしてはやく教えて」

「犯罪者じゃなくて刑事だったか」

「てか琴葉って呼ぶな。コードネームで呼ばないと私が内通してることバレるでしょ……」

「刑事と思いきや内通者!? 『ブラッディ・マンデイ』的に言う宝生さん!?」

「てかなんの話これ」

「いや話ややこしくしてんのそっちだろ……あと、名前で呼んでくれないやつに名前で呼ぶなって言われたくねーよ」

「うるさいなあ。どうせなんだかんだ言って、いつも最後にはちゃんと教えてくれるんだしさっさと教えてよ」

「なんだよそのほんのり俺が優しいみたいなその言い方……」

「なに喜んでんの? もしかして鞭と飴ってやつ……これだから若宮はさ。べつに鞭と飴するつもりなかったのに勝手に鞭要素飴要素見いだして」

「人のこと高度な変質者みたいに言うな。あと飴と鞭だろ順番が違う。言い間違いは姉貴の専売特許だし、読者にキャラブレだと思われるからやめとけよ?」

「なにそのメタ発言」


 そんなふうに、俺と琴葉は今日もいつも通り言い合いを繰り返す。


 琴葉は無意識らしいが、飴と鞭のコンボを繰り出してきているのは否定できないだろう。とくに寝起きの甘さはそんじょそこらの飴じゃない。甘さ的にアメリカのキャンディだ。それくらい、かわいい女子小学生に暴言を吐かれ、そして最終的に甘えられるのは嬉しいことなのだった。俺はなにを言ってるんだ。


 そして、そんなやり取りと指導を終えると。


「惣太郎さん」


 反対のほうから大人びつつも、子供らしさも残った声が俺を振り向かせる。


「ここがどうしてもわからないんですけど、もし良ければ教えてもらえませんか……?」

「いいぞ、香澄」

「ありがとうございます、惣太郎さん」


 整った顔を崩しながら、香澄は大人っぽく笑う。


「香澄は誰かさんと違って本当に素直だな。小学生とは思えないよ」

「はい。だって私、小学生でも大人なので。自分でも時々、自分が小学生じゃないように思えてきます」

「小学生じゃないならなんなの?」

「……」


 俺の目を見る香澄。上を見上げ、んーっと考えると。


「んー、慎み深く言うと……24歳OL、ですかね」


 潤った形のいい唇からそんな冗談を放つ。


「全然慎み深くないから。香澄、大人っぽいけどさすがに24には見えないよ。年齢とか今の倍じゃん」

「ちなみに勤務地は赤坂です」

「そこは丸の内とかじゃないんだ」

「はい。広告代理店の美人営業なので」

「どこでそんな単語覚えてくんだよ……」

「だって私、『見た目は大人、頭脳も大人』じゃないですか」

「いや、頭脳が大人なのは十歩くらい譲ってわかるとして、見た目は……んー……」

「いや、大人なんです。じっちゃんの名にかけて」

「それ別の作品だから」

「じっちゃんの名をかけて」

「それじゃギャンブルマンガになっちゃうぜ? ちなみに、じつは『金田一』って『ブラッディ・マンディ』と原作者同じっていうね。『神の滴』とか『サイコメトラーEIJI』とかも同じ原作者なんだから驚くよなあ」

「話、戻してもいいですか?」

「逸らしたのはそっちだけどな。あと今のトリビア驚いてくれると思ったんだけど……」


 香澄ならきっと通じて驚いてくれるだろう、と思いきや、そうでもなかった模様。


 反応を見るかぎり、そのトリビア自体については知らなかった様子だが、不意の返しで俺を困らせることを優先したようだ。琴葉と一緒に3人で過ごすことが増えたせいで、だんだん俺の扱い方にも慣れてきたらしい。


 かわいいけど、困った子だ。でもかわいい。やっぱ女子小学生は最高だな! 


 って自制自制。


「一個わからないところがあるんですけど、教えてもらえますか……?」


 丁寧に、俺の気分をうかがいつつ尋ねる香澄。首をかしげているせいで、整った顔が斜め下から俺を見上げる。石神井の妹とはいえ、やはりこの辺は常識的だ。


「もちろん。一個じゃなくても何個でも聞いてくれ」

「じゃあわからないとこ今から探します」

「いや、そういう意味じゃなくて……」

「むしろわからないフリします」

「先生それ困っちゃうぞ!」

「冗談です。一個だけです。私、素直なのでウソはつかないです」

「自分で自分のこと素直って言う人が本当に素直なのかはさておき、まあでも人間、素直なのが一番だよ。誰とは言わないけど」


 誰と言うつもりはなかったのだが、不思議と視線が琴葉の方向に向いてしまう。すると、彼女はイラついた表情でこちらをにらみ返してきた。


 だが、そんなことで腰が引ける俺ではない。スルーしつつ、香澄にこう続ける。


「素直ってのは人間の一番の美徳だよ。とくに香澄は小学生なんだし素直でいよう」

「そんな惣太郎さん、小学生は素直だから最高だなんて……」

「いや、そんなこと一言も言ってないんだけどな」


 赤らめた頬に手を添える香澄に、俺がツッコんだのは言うまでもない。


 しかし、真顔でとぼける女子小学生にツッコむのは、それはもうなんとも言えぬ楽しい行為で、俺は心のなかで身もだえしながらその時間を楽しんでいた。だから俺は何を言ってるんだ。



==○○==○○==○○==○○==



本作、しれっとファミ通文庫大賞ってやつに応募していたんですが、中間審査を通過していたみたいです! 300/3300くらいの通過率っぽくて、つまり約10%。わかりやすく言うと左利きの人の割合くらいみたいです。全然スゴイのかわかんないすね。笑


これも全然関係ない話ですが、最近、読者の方とちょこちょこDMさせていただく機会がありまして(レビューも嬉しいですがそっちからの感想でも大歓迎です)、その方はひよりちゃんが夏吉ゆうこさん、高寺が悠木碧さん、かよちゃんが雨宮天さんでイメージして読んでくださってると聞いて「面白い! 作者の想像よりずっと合ってるんじゃねっ!?」となりました。笑


書籍化の声とか当然全然ないですし、筆者がアニメ的な想像するとかほんと恐れ多くて自ら言えなんですけども、でもだからこそ、読者さんにそんな風に想像してもらえてるってのは楽しんでもらえてる証拠って感じで嬉しいですね~!! いつも読んでくださってる方々には感謝ですっ!!

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