181 可容の過去3

「私のお父さんさ、作品の放送中に死んじゃったんだ。知ってる?」


 その問いに、俺は黙ってうなずく。


 可容ちゃんは今、膝上までかかった薄い布団の端をぎゅっと握りしめている。端正な顔立ちが端正なままなので、ついうっかり勘違いしそうになるが、どれだけ色んな感情を抑えて俺に話をしてくれようとしているのかがよくわかる。


 海風が弱まったのか、さっきまで聞こえていた窓を叩く音はもう聞こえなくなっている。病院の廊下側からもなんの物音も聞こえてこなくて、まるで可容ちゃんの話を聞くようにお膳立てされたかのようだ。


「アニメ監督って忙しいときと暇なときで結構波があって、まあうちのお父さんは売れっ子だったから基本忙しかったんだけど、制作が佳境に入るとやっぱ家に帰って来ないのが基本みたいな感じだったんだよね。もしくは、帰って来ても3時間くらい寝たらまた会社に行く、みたいな」

「うん」

「『反省文の天才』作ってるときもそんな感じで……会社の人によると、最終回がちょうど完成した朝にタバコを吸いに行って、しばらく帰ってこなかったんだって。でも、仕事一段落したときにお父さんが長い一服に行くのはよくあることだったから、徹夜明けだったしってことで、他の人も放っておいたらしい。でも、2時間とか3時間とか帰って来なくて、『これはさすがにおかしい』って思って見に行ったら喫煙所で倒れてて……なかなか家に帰って来てなかったのに、本当に帰らぬ人になっちゃった、みたいな」


 清水監督が亡くなっているというのは、すでに本天沼さん経由で聞いた情報だったが、いざその実の娘から聞くと、一気に身近な出来事だと感じられる。


「もう秋になってたから朝結構寒かったのに、お父さんって喫煙室で吸のが好きじゃなかったから、そういうのが重なって血管詰まっちゃったんだろうね」

「うん」

「最後に会ったのは亡くなる5日前だったんだ。朝、私が学校に行くときにすれ違って」

「どんな感じだったか聞いてもいい?」

「むしろ話してもいい? って感じ」

「俺は平気。むしろ聞いておきたい」


 そう告げると、可容ちゃんは優しく微笑む。


「……そのときさ、お父さんは汚い格好で、ヒゲも伸びまくってただの不潔オヤジだったの。まぁもともとデブだからお風呂入っても汚かったけど。あ、言っておくけどこの写真の3倍は汚かったから」

「可容ちゃん、亡くなった方にその言い方は」


 ロケットペンダントの写真を見せつつそんなことを言うので、他人の俺だが思わずツッコミを入れてしまう。


 しかし、可容ちゃんはそんな俺とは裏腹に、優しい笑顔を浮かべる。


「……でもさ。すごい楽しそうだったの」

「楽しそう?」

「とっても楽しそうだった。『これはいい作品ができた』『いい最終回』『俺の代表作だ』『本当に描きたかった画が描けた』『いつ死んでも後悔はない』ってオタク特有の超早口で言ってて」


 頭の中で、興奮する清水監督の姿が勝手に脳内再生される。


「しかもさ、楽しそうなのはそこで終わりじゃなかった。最初に見つけてくれた会社の人が言ってたんだけど……お父さん、笑ってたんだって。笑いながら死んでたんだって」

「笑ってた……って?」

「お医者さんによると、どうやら外で居眠りしてる最中に心筋梗塞になったっぽくて。きっと、すっごく幸せな眠りだったんだと思う。よほど満足いく作品になったんだろうね」

「……」

「お父さんはホントに仕事好きで、アニメ作るのに疲れて趣味のアニメを作るって感じの人だったの。いつも新しいアイデアを考えててなにか思いつくとすぐLINEしてくるし、絵コンテとかシナリオ書いたら仕事仲間より先に私に読ませて感想聞いたりしてきて。でも、そんなんだから早死にしちゃったんだろうなって。過労死って普通、ネガティブにしか捉えられないし、実際そういうものだと思うけど……でも、リアルな話、『仕事たのしぃーっっ!!』って快感のなかで、脳汁ダダ漏れさせながら死んでく人もいるんだよ」


 アニメ業界の過酷さは、業界に詳しくない俺でもテレビ番組などを通じて観たことがある。低賃金かつ長時間労働で、ボロボロになりながら心身を病んでいく……そんなイメージがあった。だから、可容ちゃんの話を聞き始めた3分くらい前も、勝手にそんなイメージを抱いていた。


 でも、実際は逆だったのだ。清水監督は好きなモノに向き合う快感のなかで、その命を炎を一気に燃やし、散っていったのだ。好きなモノだからこそ、向き合いすぎて、死んでしまったのだ。


 そして、可容ちゃんは明るさを感じさせる声で続ける。


「……私さ、怖かったんだ。自分も同じようになっちゃうんじゃないかって。好きなものに没頭するあまり、自分を追い込んじゃうんじゃないかって。だから仕事するときも心のどこかで『これは仕事だ』『楽しみすぎちゃダメなんだ』って思い込もうとしてたんだけど、正直アニメに関われるってだけで楽しくて……それで今日でしょ? 崖から落ちるとき、『あ、これ演技に役立つ』とか思っちゃった」


 俺はここに来て、先程の可容ちゃんの話が伏線であったことに気付く。


「楽しまないなんて無理なんだ、私はお父さんと同じなんだ……そう思った」

「可容ちゃん……」

「でも、なんかすっきりした。私はこういうふうにしか生きられないんだなって。好きなことをするために生きてると思ったけど違った。きっと私は、好きなことに身を捧げるために生きてたんだよ」


 そう言うと、可容ちゃんはニコリと微笑む。


 先程までそこにあったはずの自分への呆れ、諦め、落胆、恐怖といった種類の感情はどこかに消え、どこか清々しさすら感じさせる笑顔だった。自分の生き方に覚悟ができ、どういうふうに生きていくか、いや死んでいくかがわかったようで……。


 ゴトン。


 手が後ろにあったイスを倒し、俺は自分が後ろにのけぞっていたことに気付く。自然と、可容ちゃんから身を遠ざけてしまっていたのだ。


「そうちゃん……?」


 気付くと、俺は立ち上がっていた。


 結果的に手に添えられていた可容ちゃんの手をはらうようになり、どうしたのかわからない様子でこちらを見上げている、青みがかったふたつの瞳と目が合う。


「ごめん、ちょっとトイレ……」


 そう言うと、可容ちゃんはハッとした表情を浮かべ、明るい声で返す。

「あ、ごめん! 私すっかり話し込んで……どぞどぞ行ってきて!」

「うん……すぐ戻るね」


 俺はなるだけ自然な笑顔を浮かべ……正直、自然に笑えている気なんかしなかったのだけど、病室を出た。


 そして、ひとり頭のなかで考える。


 俺はこれまで「好き」という気持ちがなにより大事なものだと思っていた。どんな感情より最上位にあって、仕事とか趣味とか生きがいとか、そういう生きていくうえで大切なあらゆることに関係している感情だと思っていたからだ。


 だからこそ、可容ちゃんとのあの一件以降、俺は自分の中にない「好き」という気持ちを探し、見つからずに落胆する……というのを繰り返していたし、同い年なのにプロとして自分の仕事と向き合う、中野の姿に刺激を受けていた。


 そして、同じように可容ちゃんに対して、憧れにも似た気持ちを抱いていた。自分の好きに邁進し、父親を失っても抱き続けた夢を叶えようとする、力強さを本当に格好良いと思っていたのだ。


 でも。


 それでも。


 正直、ここまでだとは思っていなかった。


 父親を好きなことによって失った状況で、『好きなことのために生きる』のではなく『好きなことに身を捧げるために生きる』と笑って言い切れるほどだとは思わなかった。


 そして、そんな可容ちゃんを見て心のなかに浮かんできたのが、言いようのない恐怖だった。あの華奢でかわいくて女の子らしい風貌の可容ちゃんのことを、どうしようもなく恐ろしいと思ってしまったのだ。 


(俺はまだスタート地点にも立っていないのに……)


 そして、同時に自分との圧倒的な差を感じてしまう。


 好きなモノから目を逸らし続けていた俺には、可容ちゃんが遙か遠い場所にいるように思えた。可容ちゃんが今の俺からとてつもなく遠いところで悩み、戦っているように感じられたのだ。


 気付くと、見覚えのない場所に来ていた。夜の病院の廊下は暗く、俺の進む道をまったく照らしてくれていない。トイレが前にあるのか後ろにあるのか、見えている角を曲がって進んだ先にあるのかもなにもわからない。


 あくまで体の良い理由として可容ちゃんには言っただけだったが、いろいろと考えていると気持ちが悪くなってきていて、冷たい水で顔を洗いたい、そうすることでいろんなものを流し去りたい気分だった。


 と、そんなときである。


「若ちゃん……?」


 背後から声が聞こえてきた。振り返ると、玄関のところ高寺の顔が見える……いつの間にか玄関に来ていたようだ。


 パジャマから私服に着替えているが、髪の毛がはねており、急いでやって来たことがわかる。


「あ、若ちゃんだ。ももたそどの部屋? りんりんと会わなかったんだけど……へっ」


 俺のところに駆け寄ってきたが、すぐに表情が曇った。


「可容ちゃんは……どこだろう」

「え、一緒にいたんじゃなくて?」

「中野は……迎えに行ったはずなんだけど」

「あうん、電話もらってすぐ来たんだけど……若ちゃん、どうかした?」

「え、俺?」

「うん。なんか、すごく悲しそうだから……」


 そう言って高寺は俺を見上げてくる。その表情には心から俺を心配しているのがうかがえた。


 でも、その理由を言うことはできない。言いたくないのではなく、気持ちを言葉にするには、せめてもう少し感情を整理する必要があると思ったのだ。


「……なんでもないよ。他のみんなは?」

「あ、家にいる。もう夜だしって」

「そっか……ごめん、ちょっと外の空気吸ってくる」

「う、うん……」


 俺の言葉に、高寺は明らかに動揺している様子だったが、それでも引き留めることはしなかった。ゆっくりと歩いて行くが、後ろから高寺の足音は聞こえず。


 結局、俺がドアを開けて外に出るときまで、その場に立ち止まったままのようだった。


==○○==○○==○○==


このあたりで作品全体の半分です。まだまだあります。笑

最近仕事が忙しく、ストックはあるんですが流し込み作業に時間がとれずに更新滞ってすみません!

まだの方はぜひブクマ&評価をよろしくお願いします!!


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