180 可容の過去2
その後、俺たちはおじさんのワゴン車に乗せてもらい、近くの病院へ連れて行かれることになった。彼らは別荘に行く途中のバスで見かけた人たちであり、近くの大学のサイクリングチームで、半日にも及ぶ耐久ロングラントレーニングを行なっていたところだった。 そして、診断の結果だが、幸いにも処置がはやかったこともあり、医師が言うには可容ちゃんはとくに問題なし。擦り傷も一切ついていなかった。
もっとも、俺たちが厳重な注意を受けたのは言うまでもなく、助かったから結果オーライだったものの夜に岸壁のうえを歩くのは自殺行為だし、浮き輪もなく夜の海に助けに飛び込むのはもっと自殺行為だとめちゃくちゃ怒られた。
「ふたりとも、ホントにごめん」
医師による一通りのお叱りが終わり、病室が俺たち3人になると、ベッドの上で可容ちゃんがぺこりと頭を下げる。
「コンビニに行くはずだったのに私があっちに行こうって誘ったから」
「受け入れた時点で私にも非があるわ。正直、ロケーションに私も酔っていたし……まあとにかく無事で良かった。もう終わったことだし、感謝も陳謝もナシで」
「……わかった。ありがとね」
いつもと変わらない、淡々とした口調で中野が言う。人の命を救ったとは思えないテンションだった。
「相変わらずというか。すげー切り替えの早さだな」
なので、俺はそんなふうに言ってみる。呆れ半分、尊敬半分といったバランスだっが、中野は笑わず、表情は沈痛なまま両手を胸の前でギュッと合わせる。
「切り替えれてなんかいないわ……桃井さんに心臓マッサージしているときの、肋骨が沈む感触が、今でもこの手に残っているもの」
気付かなかったがその手は、俺から見てもわかるくらいに小刻みに震えていた。
そんなことを言われると、俺も可容ちゃんもなにも言うことができない。
「私は高寺さんたちに電話してくるわ。きっとすごく心配していると思うから」
「ああ……悪い助かる」
「困ったときはお互い様よ、若宮くん。あなたこそ、海から桃井さんを引き上げてくれてありがとう」
「うん……これ俺のスマホ。ないだろ? 使っていいから」
「あ、うん、了解」
スマホを差し出すと、中野は少しおどおどした反応を見せるが、受け取る。
そして、病室を出て行った。結果、俺と可容ちゃんだけの空間が数時間ぶりに生まれることになった。
「……ごめんね。そうちゃんにも、怖い思いさせちゃって」
そう言われ、俺は改めて可容ちゃんに視線を送る。
パジャマから病院の入院服に着がえた可容ちゃんは、もともとの華奢な体躯もあってか本当の病人のようで、儚げな雰囲気が増幅されている。銀色の髪に月の光が反射し、なおかつ潮の影響か白く曇った白い窓ガラスだったことで、まるで狭い世界に閉じ込められているかのような気持ちにさせた。
「あの崖、20メートル以上あったらしくて」
「そんな高かったのか……」
飛び込んだときは無我夢中だったが……宙に浮いて体重を失ったときの感覚や、落下していくときに肌に感じる摩擦のような感触、夜の海が黒すぎるせいで壁にぶつかるかのように錯覚する独特の恐怖……などなど、いろんな感覚は、この肌と心ではっきり記憶している。
思い出さないようにしていたものの、可容ちゃんの言葉がきっかけになったのか手が震えてきてしまって……俺はごまかすようにして、近くの窓を開けようと手を添えた。だが、レール部分に砂が溜まっているのかきしんでなかなか動かず、逆に手の震えを可容ちゃんに晒してしまうことになった。
「そうちゃん」
すると、可容ちゃんの手が伸びてきて、俺の手を包んだ……いや、正確に言えば彼女のほうがだいぶ手が小さいので、上に添えたという感じなのだが、それでも彼女の心境的には包んだつもりだったに違いない。
「怖い思いさせちゃってごめんね」
「それはもう言わない約束でしょ?」
「鷺ノ宮ちゃんとは約束したけど、そうちゃんとはまだだもん」
「じゃあ俺との約束ね」
「……うん」
「それに、一番怖かったのは可容だろ。俺は自分で飛び込んだけど、可容ちゃんは落ちたワケだし」
「うん。それはまあ、ね……助けてもらっといてこんなこと言うのどうかと思うけど、『あ、こういう役きたらすごいリアルに演じられる!』って思っちゃった」
「溺れながらそんなこと考えてたの?」
驚きつつ俺は尋ねる。いくら根が役者とは言え、あんな状況でそんなことを思うんだから、ちょっと信じられない。
「違うよ、溺れる直前」
「一緒だよ。一緒でいいよ」
「役者は人生経験が大事だからね……そういう意味では、鷺ノ宮ちゃんとのキスを覚えてなかったのは残念だなあ」
「軽口たたけるようになったならもう心配ないね」
俺の言葉に、可容ちゃんはフッと息を吐いて小さく微笑む。うんともいいえとも答えていないのは、答えを拒んだのではなく、自分でもわからないから……という感じだった。
なおも、可容ちゃんは手を、俺の手に添えている。自分から外すのおかしいと思ったので、俺はゆっくりとベッドの縁に腰をおろした。自然と、可容ちゃんの膝のところに重ねた手が移動する。
「……私さ、実はアニメ監督の娘だったんだ」
そして、可容ちゃんが述べる。声のトーンは至極真面目なモノになっており、俺も自然と背筋が伸びる。
「うん……ごめん、さっき聞いた」
「謝らなくていいよ。いつかは言わないとって思ってたから。逆にいい機会だった」
「なら良かった」
「びっくりした?」
「びっくりした半分、納得した半分、かな」
「どういうこと?」
可容ちゃんが顔だけこっちに向けて、小さく首をかしげる。
「可容ちゃんがアニメもマンガも映画もなんでも異常に詳しいのとか、見方が俺とは全然違う理由がわかったというか」
「まあ、鋭才教育だったからね」
自嘲しているようにも、逆に誇らしげなようにも見える顔つきだった。
「家にマンガもラノベも普通の本もアニメのDVDも映画のDVDもなんでもたくさんあって、基本的にずっと触れてる子供時代だったから」
「楽しそうだ」
「うん。楽しかったよ。私以上にオタクで……」
そう言うと、可容ちゃんは胸元に手を入れる。いきなりそんなことをするのでびっくりするが、手を伸ばした先は胸ではなくネックレスだった。それはペンダントタイプのネックレスだった。3年前に初めて会ったときから身につけていたアイテムだが、なるほどそういう感じだったのか。
可容ちゃんがハート型のロケットペンダントを開くと左側に写真が確認できる。そこに写っていたのは小学生時代と思わしき可容ちゃんと、かなりデブなオタクな感じのおじさんだった。笑顔で並んでいる。
「えっと、この男性は……」
「今の流れ的に私のお父さんしかいなくない?」
「ですよね」
「ここで全然無関係の人の写真出したら『可容ちゃん、崖から落ちるときに頭打ったのかな?』ってなるよね」
「そうなんだけど、その、あまりに……」
「ふふ。でもそうだよね」
クスクスと可容ちゃんは笑うと。
「たぶんお父さんと私が親子に見える人はいないだろうね。顔のパーツは意外に似てたりするんだけど、お父さん太りすぎだから」
そう言って、写真のなかの清水監督を愛おしそうに撫でる。なるほど似ていないが、彼女のそんな様子を見ていると、親子なんだなあと感じる。
「もちろん、クリエイターとしても尊敬してたけど、私の一番のオタク友達でさ。子供の頃は一緒にお風呂に入って、ずっとアニメとかマンガの話してて」
「お風呂ってこの頃に?」
「そうだけど」
「……あ、親子だから犯罪じゃないか」
「おいおい人のお父さんロリコンにすな! まあロリコンだったけどな!!」
「認めちゃうんだ」
「男のアニメーターさんなんて半分はロリコンだからね……ってのは今は良くて」
可容ちゃんは笑いながら言うと、スッとまたしても真面目な表情になる。
「私のお父さんさ、作品の放送中に死んじゃったんだ。知ってる?」
湿った部屋の空気を伝って、かすれた声が俺の耳に届いた。
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