178 岸壁での密会2

 無論、俺がそんなふうに心のなかで抱いた感想とは関係なく、いや正確に言えば感傷にも似た感情とは関係なく、ふたりの会話は続いていく。


「驚いたかな、鷺ノ宮ちゃん」

「えぇ……だって、お世話になった監督の娘さんが、最近よくオーディションで役をとられる新人声優だったんだもの」

「ふふっ。たしかにね」

「……」


 可容ちゃんは清楚に、明るく笑う。が、中野としては笑えないようで無言が続く。


 でも、そりゃそうだろう。自分がお世話になった、それも出世作になった作品の監督の娘が目の前にいるのだから。しかも、彼が逝去したことが作品を神格化させた一因になっていると言うのだから。


「いやー困ったなぁ。重い空気になっちゃって」


 重い空気になりつつあるのを察したのか、後頭部をかきながら可容ちゃんが明るく笑う。「私、鷺ノ宮ちゃんと仲良くなりたいって思ってたんだけど」


「仲良く……ね」

「だって同年代で一番の売れっ子だもん。この先、同世代がどんどん増えてっても、鷺ノ宮ちゃんが売れっ子なのは変わらないだろうし」

「私のこと高く評価してくれてるのね。光栄だわ」

「高く評価なんてそんな偉そうに言える立場じゃないよ私。鷺ノ宮ちゃんのことはお父さんからよく聞いてたから、むしろ私のほうこそ『あの鷺ノ宮ひよりと話してるんだ……』って感じだもん」

「清水監督が……私のことを?」


 驚いたように尋ねる中野に、可容ちゃんはゆっくりととうなずく。


「不器用でちょっと天然なところもあるけど、真面目でプロ意識が高くて、仕事に対して一切手を抜かない、一人前の声優さんだって」

「……光栄な話ね。まさか3年経ってから、こうやって聞くことになるとは思ってなかったわ」

「お父さんがそんなふうに言うから、その頃からずっと鷺ノ宮ちゃんがどんな子が気になってたんだ……じつは私、もともとはアニメーターになりたくて」

「そうだったんだ」

「経済的な事情で声優になったクチでさ。アニメーターは食べてけるようになるまで時間かかるでしょ? でも、仕送りとかお母さんには頼めないし……」

「なるほどね」


 中野のその何気ない反応に、親近感のようなモノが滲んでいることが俺にはわかった。


「だからそのときは『この子、自分より年下なんだ』『すげーなー』ってくらいのノリだったんだけど」

「リアルな感想ね。それも嬉しいわ」


 噛みしめるように中野が言う。彼女の目には、可容ちゃんの姿が生前の清水監督のそれと重なっているのだろうか。


 そして、可容ちゃんがどこか懇願するような口調で、言葉を続ける。


「だから、お父さんのことは気にしないでいてほしいんだ。鷺ノ宮ちゃんは私の憧れだから、私がアニメ監督・清水弘文の娘ってことは考えずに接してほしい。友達になってほしいし、もっと言えば……」

「もっと言えば……?」

「ライバルになってほしい。まあ、そんなのなってって言ってなるものじゃなく、自然とお互いに認識するだけだと思うけどさ」


 いつもの笑顔で、そう告げる可容ちゃん。俺にはわかる。彼女は心から、本心からそう言っている。


 アニメ監督の父のもとに生まれ、おそらく鋭才教育を受けて育ってきたであろう可容ちゃん。実際、彼女のコンテンツに対する知識量や理解の深さは、とっくにプロのそれだろう。むしろ、並のクリエイターより色んなことが見えているかもしれない。 


 そして、それでいて、可容ちゃんはとても純粋でまっすぐな性格の持ち主だ。


 いつも笑顔で人当たりがよく、誰とでも分け隔てなく接する。だからと言ってその裏側に「誰にも嫌われたくない」みたいな打算があるワケでもなく、むしろ、自分のなかに一本筋が通っているからこそ自分らしく振る舞えていると言えよう。


 しかし、そうやってまっすぐだからこそ、同じような面を持った相手とはぶつかることもある……そこまでは、可容ちゃんにはわからなかったらしい。


「……ごめんなさい。それは、わからない」


 中野の返答が静かに海辺に広がって消える。崖に打ちつける波の音が妙に大きく、それはまるで可容ちゃんの心への衝撃を想起させた。


「どうして?」


 数秒の間ののち、可容ちゃんが会話を再開させると……中野は、まるで暗がりのなかでなにかを落としたかのように、言葉を探すようにして続ける。


「正直なところ、あなたのことはずっと心のなかでライバルだと思っていたの。同世代であなたほど芝居が上手な役者はそうそういないし、それだけじゃなくあなたは人間としての魅力もある。いろんな人が『ホントにいい子』って聞いてたから」

「照れるな、そんなの」

「でも清水監督は私の恩人だから。私が声優をまだ続けられているのは間違いなく監督のおかげなの」

「それは私とは関係なくない?」

「……あなたさっき、経済的な事情で声優になったって言ったよね?」


 可容ちゃんがコクンとうなずく。


「私も声優業の厳しさは知ってるわ。大金を稼いで高級マンションに住んでる人なんかごく一部。一個一個の仕事を積み重ねてそれでもやっと暮らせる収入で……そう思うと、もしあなたと一対一で競う瞬間がきたとき、私は全力であなたと戦えないな」

「え、なにそれ。それってあれじゃない、憐れみってやつじゃない? 家の事情なのに、そんなふうに言われると……」

「違うの、私もそうなの。私、親が両方とも亡くなっててさ……私が稼いで生きてるの。姉と妹と一緒に」


 その言葉を受け、可容ちゃんが絶句。


 そして、すぐに表情からわずかにあった怒りの色が消える


「……私こそごめん。早とちりで憐れみとか言って。そっか、鷺ノ宮ちゃんも……」

「だからさ、どうしても他人事に思えないというか。もし全然違う理由なら感情移入なんかしなかっただろうけど……」


 中野の考えはもっともだった。彼女はプロフェッショナルな声優だ。高いモチベーションを持っていて、自分に厳しく、表現という形のないモノに対して真摯に向き合っている。 しかし、それ以前に、人間として善人なのだ。表面的には毒舌だったりツンとしていたりするものの、それはあくまで外側に過ぎず、内部は芳醇な優しさや思いやりが存在している。


「もちろん手を抜いたりはしない。でも、心の底からライバルと思えるかと言うと、正直自信がないの……」


 その言葉に、可容ちゃんは押し黙る。


 強制することはできないと理解しながらも、中野の心の痛みを受け取り、自分自身まで傷ついてしまう……そんなふうに見えた。


「あなたが嫌な人間なら良かったのに。そうすれば心なくライバル視することができた」

「ごめん、それって私のせい?」

「そんなワケないじゃない。って知ってて言ってるんだろうけど」

「うん、そうだね」

「……」

「……」


 そして、ふたりは沈黙する。


 1秒、2秒、3秒……おそらく10秒程度の沈黙だったはずだが、俺にとっては永遠にも思える沈黙だった。


「……そろそろ戻ろうか」

「そうね」


 可容ちゃんが沈黙を断ち切り、すぐに中野が呼応する。会話のテンポ感などだけを見れば、初めて会った昼過ぎに比べてふたりの距離は一気に縮まったように思える。だが、ぎこちない空気も存在していて、縮まった以上になにか別の距離が生まれたような気持ちすらした。


 そして、中野がこちらを向いた。


 と、そこで俺は自分が置かれている状態に気付く。


(ヤバい、聞き込んじゃって離れるの忘れてた……!!)


 マズい、バレないうちに逃げ出さないと。盗み聞きしてただけで心象悪いのに、まだ明かされてなかった可容ちゃんの秘密も知っちゃったとか、バレたらどう思われるかわからない。いやでも、今から逃げたら絶対に見つかるし……どっかに隠れる場所、隠れる場所はないか……。

「あ、ごめん。スマホ落としたみたい」


 と、そこで可容ちゃんがそう発する。

 中野が足を止め、向こうを向く。チャンス、今のうちに一気に逃げて……


「ダメ! そこは危なっ……!!」

「へっ」


 中野が駆け寄るが、時すでに遅し。


 可容ちゃんの踏み出した先の足場は、音を立ててボロっと崩れる。


 宙に向かって伸ばされた手を中野が掴もうとするが、あと少しのところで届かず……ふたりの手が触れ合うことはなく、可容ちゃんは小さな背中から暗い海へと落ちていって見えなくなったのだった。

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