173 ひよりと可容2
程なくして、バスは目的駅に到着した。猛暑でまたしても頭がボーッとなりそうになるなか、そこから5分ほど歩くと、高寺家の別荘だ。
「着いた。ここだよ」
俺が立ち止まるのから2歩ほど遅れて、可容ちゃんが立ち止まる。視線を移動させると、程なくして体を硬直させた。もともと大きな目をさらに大きく見開き、そのあと、いぶかしげにこちらを見る。
「マジで?」
「うん」
「うへー……すごい豪邸だね。なんかラノベとかアニメでよくある展開だ」
「そうだね。『とら○ラ!』とかね」
可容ちゃんは物珍しそうにあちこちを見回すと、奥へと進んでいく。庭からも見えているウッドデッキ部分がバーベキュー対応仕様になっていることに気づくと、タタタと走って階段をのぼっていった。短いワンピースの裾がふわっとなり、白い太ももがあらわになって、視覚的にも気持ち的にもまぶしい。
「高寺ちゃん、住んでる家も立派だけど、別荘はもっとスゴいね」
振り返りながら可容ちゃんが言う。その手はバーベキュー台に添えられており、気付けば近くにはコップや皿が置かれていた。俺が可容ちゃんを迎えに行っている間、誰か準備したらしい。
「あ、家行ったことあるんだ」
「あるよー。まあ1回だけだけど。私の家、マンションなんだけど壁が薄くて声出しできなくてカラオケ行くんだけど。だから高寺ちゃんうらやましかったな」
「そっか。まあ立派だもんな、あの部屋も」
すると、そこで可容ちゃんの手が止まる。こちらを振り向いた顔には、困惑の表情が浮かんでいた。
「え、そうちゃん、高寺ちゃんの家に行ったことあるの?」
「あ、うん。勉強会で何回か」
正確には何回も、だったけど、何回か、でも可容ちゃんの目は十分に細くなっていた。もともとアーモンド型の目は今、なにかを疑うような形になっている。穏やかな風が吹き、ふたりの間を抜けていくことで、不意に訪れた静けさが強調される。
「勉強……それってなんのお勉強?」
そう尋ねる可容ちゃんの声は妙に明るく、おどけていた。
「なんのって、数学とか英語とか」
「中に入ったことがあるってこと?」
「えっと、家の前にたどり着くのを家に行くとは言わないよね?」
「あ、屁理屈」
「すいません」
「ふーん、そうなんだ」
「……」
「でも高寺ちゃんかわいいもんね。元気で明るくて、私と違ってマニアックな話とかしないし」
「えっとごめん。勘違いさせてたら申し訳ないんだけど、俺と高寺はそんな関係じゃないから」
「……本当に?」
「うん」
俺の言葉に可容ちゃんはふいっと振り向く。その表情は、イタズラっぽく笑っていた。
「……ふふっ。ごめん、ちょっとからかってみただけだよ」
「なんだよ。脅かさないでよ」
「行こっか。みんなのところへ」
入り口の方向へ視線を向けると、可容ちゃんは俺の案内も待たずに入っていった。その背中を見ながら俺は、ここに来る前から感じていたあることに確信を持ったのだった。今までに経験したことがない、夏が来るということを。
○○○
可容ちゃんと一緒に別荘の中に入ると、リビングには誰もいなかった。俺が可容ちゃんを迎えに行ったりしている間に……と一瞬思いそうになるが、よく考えなくても戻ってくるのが遅れたのは、俺が軽く熱中症になっていたからだ。変に家で待機してくれてなくて良かった。
そんなことを思っている間、可容ちゃんはくるくる周囲を見回していた。別荘の豪華さに驚いているようだが、それだけでもなさそうだ。
「みんないないのかな?」
「いや、たぶん高寺と中野はいる。玄関に靴あったから」
「あ、そっか。てことは他の子たちはお出かけしたんだ?」
「たぶん。テディベア・ミュージアムに行く的な話してたから」
「へえ」
「あ、でもバナナワニ園かも」
「そーなんだ。そのふたつなら私はお留守番でいいかな。猫カフェだったら行くんだけど……ってそれじゃ旅行来た意味ないか」
「意味ないね。猫カフェならここで行く必要ないし」
「だね」
微笑みながら、彼女は背中のリュックを見せる。そこにはいつの日かみた、猫のぬいぐるみがついていた。
……と、そこで上からドタドタ階段を降りてくる足音が聞こえる。高寺だろう。
「やほ! ももたそいらっしゃい!!」
「やほやほ! 高寺ちゃん呼んでくれてありがとう~!」
そんな挨拶を交わしながら、ふたりは向き合ったまま両手をつなぎ、その場でぴょんぴょん飛びながらクルッと回転し始めた。非常にかわいらしい光景だが、飛び跳ねるたびに可容ちゃんの短めのワンピの裾がふわっとなって心臓に悪い。
そして何周か回ったのち、可容ちゃんを解放した高寺が俺にハイタッチしてくる。
「いえい! 若ちゃんもお迎えありがとう!」
「元気だな相変わらず……」
「てかちょっと遅かったね? 電車遅れてた??」
「あー、まあそんな感じ。彼、ちょっと待たせちゃってさ」
会話に割り込む形で、可容ちゃんが高寺に告げる。高寺から見えない側の目でウインクしており、どうやら俺が軽く熱中症になったことを隠していてくれるようだ。余計な心配をかけたくないのでありがたい配慮だ。
「バスもちょっと待ったんだ。でもその分、そうちゃんと仲良くなれて良かった」
「え、そうちゃん? ももたそ、もう名前呼び!?」
「うん」
「ももたそコミュ力さすがすぎない!? あたしだってまだ若ちゃん呼びなのにっ!?」
「いや、それは高寺が好きでそう呼んでるだけだろ」
「そうだった……」
愕然とする高寺を、可容ちゃんはにこにこ見守っている。年齢的にも声優歴も1年上のため、ちょっとお姉さん的な感じもあるんだろうか。
「まあでも俺のこと名前で呼ぶ人って少ないから。可容ちゃんと香澄くらいじゃないか」
「たしかに。石神井くんも舞ちゃんもりんりんも名字だもんね。やっぱ人を寄せ付けないなにかが出てるのかな……」
「おいそんな言い方はないだろ」
「てかさっき可容ちゃんって言った?」
高寺が尋ねてくる。さっきの若ちゃん呼びのくだりとは違い、そこに冗談っぽさは含まれていなかった。あ、これちょっと面倒な地雷踏んじゃったかも……??
可容ちゃんってファンとか同業者にはももたそって言われてるっぽいし、そうでなくても初対面の人と接するのが得意じゃない俺が、同年代の子と出会って1時間で名前呼びしてるなんてなかなかあり得ないよな……。
「ももたそがそうちゃんって呼ぶのはわかるけど、若ちゃんが可容ちゃん……?」
「えっと、そのこれはだな」
「あ、これはね、私がそう呼んでって言っただけ」
俺がなんとか説明しようとすると、可容ちゃんが間に入ってきた。
「私って仕事ではももたそって言われるけど、芸名だから普段は可容ちゃん呼びなんだよね。だからお仕事関係ない人には可容ちゃん呼びお願いしててさ」
「あ、そういうことか……なるほろなるほろ……」
可容ちゃんの絶妙な説明に、高寺はんーっと不審に思いつつも、なにも言い返せない様子だった。と同時に、俺は察する。もともと知り合いだったことを、隠しておきましょうと可容ちゃんが暗に提案してきていることに。
そう思って可容ちゃんのほうを見ると、またしても高寺から見えないほうの目でウインクしてきていた。
(可容ちゃん、出会った頃からあざとくて、自分のかわいさを隠そうとしない感じだったけど……3年経ってなんか、あざとさに磨きがかかっている気がする……こう、男心にグッとくることをどんどんしてくると言うか……)
と、そこで階段からもうひとり降りてくる音が聞こえる。高寺の足音と比べて静かで落ち着いており、品の良さを感じさせる。
そして数秒後、中野がドアを開いて入ってきた。可容ちゃんの姿を確認した途端、ぱっと外行きの笑顔になる。
「はじめまして、マリスプロモーションから来ました桃井かよです。高寺ちゃんのお誘いでこの旅行に参加することになりました。短い間ですがよろしくお願いします」
「はじめまして。アイアムプロモーションの鷺ノ宮ひよりです。こちらこそ宜しくお願いします」
先に頭を下げた可容ちゃんに応じる形で、中野も挨拶した。声優同士のせいか、所属事務所を言ったりしてなんというか業界感のある挨拶だ。おまけにどちらも声を作っている感じ。より声を遠くに響かせたほうが偉い的なマウンティングとかあるんでしょうか。
すると、中野が一歩踏み出る。
「あの、もしよければ敬語はナシにしませんか? 高寺さんとはタメ口みたいですし。あ、でも年下には敬語使ってほしいとかであればもちろん使いますけど」
「ううん、大丈夫! 普通に喋れたほうが私も嬉しいです! あんまり上下関係とか好きくないので」
「良かった。桃井さんのことは色んな人からよく聞いたから、もうなんか他人とは思えなくて」
「私も。ずっと活躍してる声優さんだし、最近は高寺ちゃんからよく聞いてて、ずっと仲良くなりたいなって思ってたから。でも、実際に会ったら想像以上にかわいくてびっくりしてるけど」
「それは私のセリフ。桃井さん、お人形さんみたいで。顔もちっちゃいし」
そんな感じで中野と可容ちゃんは初対面トークを繰り広げていた。
この会話のなかで、俺が驚いたことはふたつ。
ひとつ目は中野が最初から心を開いている様子だったこと。ぎこちなさは感じさせるものの、行きの電車での宣言と違わぬオープンハートな感じで、もともとの性格を考えるとそれなりに無理しているのがわかる。
ふたつ目は中野が女子っぽいコミュニケーションをしていたこと。あの中野が、初対面の相手に対して「かわいい」的なことを言うなんて……いや、可容ちゃんは実際かわいいからお世辞でも嫌味にもならないんだけど、それでも中野もそういう初対面トークを一応するのだ……と思ったのだ。
しかし、結論から言えばそんなことはどうでもいいことだった。予期していないことがひとつ起きたのだ。
会話の途中、中野が可容ちゃんの顔を見ながら、
「あの。もし勘違いだったら申し訳ないのだけど……私たち、どこかで会ったことないかしら?」
そう言ったのだ。
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いわずもがなですが、マリスプロモーションは架空の声優事務所です。あしからず。
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